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稲荷様は平穏に暮らしたい  作者: 茶トラの猫
戦国時代 番外編
136/288

十二話 神輿(1) 清洲同盟

神輿の後となります。事前にお読みください。

<松平元信>

 織田信秀おだのぶひで松平清康まつだいらきよやすは宿敵の間柄だ。


 いくら自分の幼少期に息子の信長殿と面識があるにせよ、父の代の禍根は今も強く残っている。


 なので普通ならば両国の同盟がまとまるはずがないのだ。

 それでも稲荷神様は、もし協力関係を結ぶのならば尾張の織田信長を頼るべきだと、断言した。


 だがしかし、世は戦乱に明け暮れているため、またもや石ヶ瀬で小競り合いが起きてしまう。その場所で織田と戦をしたのは、これで三度目であった。




 そのため私は、信頼できる家臣を引き連れて織田勢の居城、清洲城に訪問することにした。


 正直生きた心地がしないが、このくらいやらなければ両者の禍根を飲み込んで和睦し、強固な同盟関係を構築することなど不可能だ。


 私は心の中で後押ししてくれた稲荷様に何度目かの神頼みをして、板張りの謁見の間に敷かれた、い草を編んだ円座に緊張しながら腰を下ろす。


 そして織田殿が現れるのを冷や汗をかきながら、とにかく微動せずじっと待ち続ける。




 焦ってはいけない。今は忍耐の時だ。

 自分が成鳥となって大空に羽ばたくには、今しばらくの時間が必要となるのだ。


「松平殿、待たせたな」


 奥座敷から織田殿が現れ、静かに歩いて私たちよりも一段高い板張りの上に敷かれた円座に、堂々と腰を下ろす。


「いえ、お気になさらずに」


 彼が来る少し前にも、こちらのことを快く思っていないであろう表情の織田家臣団が、続々と謁見の間に入室してきた。


 おかげで、ここは敵地だと再認識させられたので、肩身の狭い思いを味わった。




 それはさて置き、いよいよ正念場だ。

 両国の同盟を結べるかどうかが、三河の今後の進退を決定付けると言っても過言ではない。


「書状は読ませてもらった。織田と和睦して同盟を結ぶために訪れた。相違ないか?」

「はい、その通りでございます」


 私自身が使者として出向くことで、同盟締結への一助になれば幸いだ。

 その相手は桶狭間の戦いで今川軍を打ち破り、今現在は飛ぶ鳥を落とす勢いの織田信長である。


 対等な関係をと書状には記載したが、下に見られて不平等を迫られるかも知れないので、油断はできない。


「自ら敵地に出向くという松平殿の誠意、確かに見せてもらった。

 互いの先代が亡くなっている今、過去の禍根を水に流して同盟を結ぶことに、異論はない」


 どうやら織田殿も、松平勢と正面切って争うのは本意ではないらしい。


 他に油断できない勢力が周りを囲んでいるので、無理もない。

 とにかく双方の利害が一致したのは確かだ。


 まずは一安心とホッと胸を撫で下ろして、条約の締結へと向けて会議を始める。




 その後は順調に進み、話し合いで細かな調整を行い、無事に対等な同盟を結ぶに至ったのだった。


 たとえこれがつかの間の平和だとしても、互いに肩の力を抜き、仲の良い同盟国として周辺諸国に主張することができる。


 これで少しは攻められにくくなり、三河を統一する時間が稼げれば助かる。




 とにかく一時的でも、織田と松平が協力関係になったわけだ。

 そんな時に、織田殿がこれから同士の歓迎の宴を清洲城で開くと持ちかけた。


 本当は今すぐ国に帰って、残してきた部下たちに条約の締結が成ったことを伝え、安心させたいところだ。


 しかしここで断ると印象が悪くなるため、数名ほど伝言役として三河に帰し、私と残りの部下たちは快く受けることにしたのだった。







 清洲城での和気あいあいとした宴会の席で、半刻ほど時間が過ぎた頃のことだ。

 ほろ酔いとなった織田殿の口から、とんでもない話題が飛び出した。


「そう言えば、三河国に稲荷神を名乗る者が現れたと言うのは、本当か?」

「はてさて、何のことでしょう? 皆目見当がつきませぬな」

「ふむ、……さようか」


 松平と織田は隣国であり、常に互いを警戒して情報収集を行っている。

 その際にやはり距離が近いからか、双方の噂話は良く耳に入ってくるものだ。


 なお私は、稲荷様が他国や一向宗に狙われないように誤情報を広めることで、根も葉もない噂に留める策を取っていた。


 しかしそんな情報工作をしたところで、隣国の織田殿には筒抜けかも知れない。


 少なくとも、宴会の席で話題に出すと言うことは、織田殿は稲荷様に対して、何らかの興味を持っているのだろう。


「もしよろしければ、どのような噂か教えてもらっても?」

「ああ、構わんぞ」


 酒の席なので遠回しな探りよりも、たった今興味を持ったかのように酔いを演じて尋ねるほうが、自然だろう。


 これで織田殿が稲荷様の情報をどの程度掴んでいるのか、多少なりともわかれば上出来だ。


「三河国に稲荷神を名乗る女が現れり。

 人々を時には助け、時には騙し、その反応を楽しむ者なり」

「話を聞く限り、稲荷神を語る詐欺師でしょうな」


 織田殿が本当のことを語っているかはわからない。

 しかし稲荷様についての偽情報を信じていることは把握した。酒に酔ったフリをして尋ねたかいは、十分にあったと言える。


「では松平殿は詐欺師に騙されて、織田と同盟を結ぶために敵地まで来たと?」

「今、何と?」


 酔いが一気に冷めるような追求を、織田殿から突然浴びせられる。


 彼は私が稲荷様に会いに行ったことを知っている? それは果たして何処から何処までだ。


 しかし何故漏れたのだ。それとも部下が漏らしたのか。もしかして、織田の密偵が潜んでいたのか。


「松平殿、どうしたのじゃ? 酒を飲む手が止まっておるぞ?」

「はっ!? こっ、これは申し訳ない!」


 先程まで和やかに談笑していた私は、途端に難しい顔になって、心底焦ってしまう。


「はははっ、松平殿と稲荷神の関係など、儂は知らぬよ。

 今は無礼講の席じゃ。この通り、許せ」


 言葉もなかった。

 織田殿にカマをかけられて、思いっきり顔に出してしまったのだ。穴があったら入りたい。


 これでは、笑顔で送り出してくれた稲荷様に申し訳が立たない。


 だが同時に、三河国を統治する者として、これ以上の失態を犯すわけにはいかないとも思った。


 取りあえずは急いで呼吸を整えて、表情にも余裕を見せるための微笑み、宴会の席という利点を最大限に活かす。


「いやはや、織田殿には敵いませんな!」

「そうであろう! しかし松平殿には儂にはない若さがある! 羨ましいのう!」


 互いに笑い合って酒を楽しみ、今のやり取りをなかったことにして、双方水に流すのだ。


 何処からどう見ても和やかな宴である。


 織田殿に一杯食わされた私は、これ以上この場に留まる気にはなれず、今すぐ三河に帰りたい気持ちが一層強くなる。


 だが彼は、そう簡単に逃してくれる気はなかった。


「ところで、稲荷神と名乗る女は、儂について何か言っておったか?」


 これについては正直に答える必要はない。

 双方一度は水に流したので、稲荷様には会ったこともないと惚けてしまえば、それで済む話だ。




 だが織田殿は同盟相手とはいえ仮想敵の私に、遠回しだが策略というものをわざわざ教えたのだ。

 ある意味では、敵に情けをかけられたように思えた。


 なので私は一応は味方になったことと、めでたい宴会の席である点も吟味して、今だけは正直に答える気になった。


「もし頼るのならば、尾張の織田殿にするように。

 そして今後は、破竹の勢いで勢力を伸ばしていくだろうと」

「ほほうっ! そこまで儂を褒めるか!」


 織田殿は成鳥で私は雛鳥だ。

 たとえ酒の席で失態を犯しても、今は忍耐の時だと羞恥を何とか抑え込む。


「しかし稲荷神という女は、この国の情勢をよく見ておるじゃな。

 ぜひ直接会って話をしてみたいのう」


 話をした後は、当然配下に加えようとするだろう。

 しかしあの稲荷様が動くはずがないので、その点に関しては全く心配をしていない。


 実際に話した私しかわからないだろうが、彼女は他人に仕える存在ではない。


 本物の神様なので当たり前だが、たかが一国に収まる器でもない。いよいよ動く時は自分から立ち上がり、日本全ての民に救いの手を差し伸べるだろう。




 その日が来るかはわからないが、多分その時には織田殿も同胞になっているはずだ。


 だが今はまだ同盟が締結されたばかりで、信頼関係を構築していくのはこれからだ。

 それまでは引き続き撹乱工作を行い、稲荷様が少しでも動きやすいように立ち回り、私が代わりに泥をかぶろう。


 そんなことを考えながら少しだけ距離が近くなった織田殿と、表向きは楽し気に酒を飲み交わすのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 稲荷神様に失礼な事したら、尾張が火の海になるなぁ
[気になる点] ある意味では、敵に塩を送られたように思えた。 清洲同盟が1561年?1562年?くらい 謙信が塩を送ったが1569年くらい
[気になる点] 謁見の間の畳に敷かれた座布団に 座蒲団wikiで調べると江戸時代に布に綿を入れるように なってます。それまでは小さな畳に飾りをしたり イグサを丸くぐるぐるしたり? この頃だと謁見は…
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