九話 藤波畷の戦い(1) 遠出
藤波畷の戦いの最中となります。ご了承ください。
私は悩んだ末の決断として麓の村を飛び出した。
だが気持ち的には、台風の日にちょっと田んぼの様子見てくるのと同じで、別にそこまで深い考えはなかった。
それでも歩みを止めることなく、東条城を目指して犬ぞりで駆ける。
神主さんに簡単な地図を描いてもらったのでそれを参考にしているが、戦国時代の街道に電柱が立っていて、町名や番地が書いてあるわけでもない。
なので分かれ道の地形や、通りがかる村の特長、途中に通過する関所等が記されているだけの、何ともあやふやなものだ。
正直自分が今何処を走っているかがわかり辛く、本当に合っているのかどうかと、かなり不安であった。
それでも持ち前の気楽さと行けばわかるさの思考で、直感と地図を頼りに時々立ち止まって確認し、間違いに気づいたら引き返したりしながら、三歩進んで二歩下がりつつも、徐々に目的地へと近づいていった。
街道を走っているうちに、やがて日が暮れてきた。
私も狼も夜目が効くし、狐火を灯せば夜間も走り続けることもできる。しかしワンコたちは自分と違って疲れるのだ。
ならば何処で休もうかと考えたが、流石に他の村で一泊する気はない。
万が一にも正体がバレて妖怪として追われたら困るので、常に藁傘で耳を隠して何食わぬ顔で素通りするつもりだ。
特に私の支配下、……という言い方はどうかと思うが。
とにかく安全圏の麓の村から外に出てしまえば、指定暴力団ならぬ一向宗が我が物顔で闊歩する危険地帯である。
身バレは死ではないが、即刻妖怪退治屋を呼ばれそうなため、尻尾を巻いて逃げる必要がある。
これらの情報から想像すると、東条城の様子見て三河の殿様が優勢であると確認したあと、実家に帰るまでは、当分野宿生活が続くことになる。
念の為に長旅用の荷物は犬ぞりの後部に積んできたので、その点は抜かりなしである。
私があれこれ考えている間に、太陽は完全に山の向こうに隠れてしまったので、辺りは暗闇に包まれる。
それでもしばらく街道を走り、狐耳を澄ませて周囲に人が居ないことを確認し、近くに小川が流れる音を感知したので、急きょ林に分け入るルートに変更する。
茂みをかき分けて進んでいくと、予想通り小さな川が流れていた。
水も透き通っていて綺麗なので、これなら飲んでもお腹を壊すことはなさそうだ。
「今日はここで一泊するよ。今から紐を外すから、ちょっと待ってね」
躾が行き届いているので犬ぞりに繋いでいる紐を外しても、勝手に何処か行ったりはしない。
ある程度自由に動き回ったりはするが、口笛を吹けばすぐに集合するので、本当に優秀なワンコたちだ。
解き放たれた狼たちを前にして、私は犬ぞりに積んでいる荷物の中に手を突っ込み、ガサゴソとさばくる。そして数秒ほどで、燻製肉を探しだした。
「一個ずつね。もっとお肉が食べたければ、自分たちで狩りをするように」
そう言って煙でいぶしたシカの燻製肉を、さらに手刀で均等に切り分けてから、狼たちのほうに放り投げる。
尻尾を振りながら飛び上がって空中でキャッチするので、芸を教えたつもりはないが、こっち方面の躾けも完璧であった。
と言うか前々から犬が混じっていそうな気はしたが、ここ最近は完全にワンコ化している。
「明日の早朝に出発予定を忘れないでね。以上……解散!」
実際のところ、私の言葉を何処まで理解しているかは不明だ。
しかし手を叩いて解散の合図と同時に一斉に動き出したので、ある程度わかっていればまあ問題はないだろう。
狼たちには干し肉で良いとして、自分はと言えば、出かける前に作ってきた、たくあんとおにぎりというシンプルイズベストの和食である。
ずっと海苔なしなのは寂しいが、今の時代は高級品なので仕方ないと割り切る。
それでも日本人の原点回帰というか、毎日は嫌だけどたまにはこういうのも良いなと考えながら、一部残った狼たちに夜の間の見張りを任せる。
あとはその辺りの草地に横になり、焚き火もせずに、緊張感もまるでなく、あっという間に眠りに落ちるのだった。
次の日は早朝に出発して、犬ぞりを走らせて街道を進んでいった。すると途中で、寂れた農村を見つけた。
別にわざわざ立ち寄る必要はないが、通り道にあるので真っ直ぐ突っ切ったほうが移動時間の短縮になる、
今の御時世なら旅の僧侶や巫女など珍しくないだろうし、何食わぬ顔で通り抜けてしまおうと、私はそのまま進むことにした。
なお、犬ぞりに乗っている身綺麗な幼女という時点で普通でないし、耳は藁傘で隠していても、絹のように滑らかで美しい狐色をした長髪は丸見えだ。
さらにはお貴族様かと思えるほどの仕立ての良い紅白巫女服と、傷一つない瑞々しく健康的な柔肌が露出しているので、正直に言えばとても目立っていた。
(肉の焼ける臭いは、もしかして人を燃やしてる? それに凄く見られているような)
村に点在する茅葺屋敷や掘っ立て小屋が所々破損していた。中には火事でも起きたのか、炭になっている家もあり、少しだけ気になった。
さらに犬ぞりを走らせて広場の前を通りかかると、死体を積んで火葬している現場を目撃してしまう。
まだ生焼けなのか何とも言えない強い臭いが漂ってきて、うっと気分が悪くなる。
そんな中で生気のない農民たちは、誰もが犬ぞりを操る私を見てくるだけでなく、一人の少年が狼たちを恐れることなく、真っ直ぐにこちらに駆け寄ってきた。
「巫女様! どうか! 母ちゃんを助けて!」
それを何故自分に言うのかは不明だが、きっと困った時の神頼みだ。
私はいつのもの巫女服なので、若干背丈が小さい以外は旅の僧侶に見える。……はずだ。
ならば不自然な対応をすれば怪しまれて即通報しまうので、彼にはわざとらしく咳払いをした後、それっぽい対応をする。
「コホン! どういうことですか?」
「うちの村が野盗に襲われて! 母ちゃんが連れてかれちまったんだ!」
頼りにされても、それは巫女のできる仕事ではない。
狐っ娘の身体能力なら撃退は可能だろうが、それはそれこれはこれである。
そんなことはつゆ知らず、少年以外の村人も続々と集まってきて、口々に救いを求める声を上げる。
「野盗は女と食料を奪っていっただ!」
「逆らった者は、皆殺されて家と一緒に焼かれただ!」
「次に来たら、おらたちが殺されちまう!」
「領主様に訴えても戦が忙しくて、それどころじゃねえだ!」
この人たちはたまたま通りかかった巫女に事情を聞かせて、どうしようと言うのか。
そして家や人を燃やしたのは野盗だったという、事実が明らかになった。
しかしきっと村の人たちは、自暴自棄になり誰でも良いから助けて欲しいのだろう。
それでも私にとっては、大迷惑である。
(これって旅の巫女として、どう答えるのが正解なの?
神仏が決して野盗の乱暴狼藉は許しはしません。必ずや天罰が下るでしょう。……かな?)
多分これが旅の巫女としての模範解答だと考えた。
しかしこの答えは、連れ去られた女性たちや奪われた食料は戻ってこない。
殺された人たちの無念も晴らせないから、諦めて泣き寝入りしなさいと言っているように聞こえる。
(私って諦めが悪いし、実際に助けてくれない神様にすがるのって、好きじゃないんだよね)
自分が稲荷神(偽)を演じているにも関わらず、現実での神頼みはしたくないと言う、破茶滅茶な理論であった。
(どうせこの村は素通りするし、行きがけの駄賃に野盗をボコって、ストレス解消していこうかな)
唯一野盗に感謝するべき点があるとすれば、生焼けの死体を見た気持ち悪さを、戦国時代特有の理不尽な仕打ちで、怒りによる上書きをしてくれたことだ。
そのせいで不快感は引っ込んだのだが、今度は行き場のないイライラに支配されることになった。
なので私は取りあえずの行動方針を再設定し、犬ぞりに繋いでいる狼の紐を外して自由にする。
「連れ去られた人の私物は、残っていますか?」
「あっ、あの? 巫女様、一体何をされるおつもりでしょう?」
「狼に匂いを覚えさせて、攫われた女性を追います。そして野盗の拠点を突き止めるのです」
村人たちが唖然としている間に、私は犬ぞりから下りて、乱雑に積まれて燃やされている死体に歩み寄る。
「……その前に、死体を何とかしないといけませんね」
人間が積み重なって火葬されている様子を見ても、怒りが勝っているので全く動じることはなかったが、近くまで来ると匂いが酷くなったので、衛生的にも迅速に処理するに限ると覚悟を決める。
右手をかざして青白い狐火を生み出し、物言わぬ死体に向けて飛ばすと、赤い炎ごと死体を飲み込んでいく。
時間にして多分一分足らずでだろうが、目の前の物全てを燃やし尽くして白骨化させると、青白い狐火は自然に消え去る。
「私が手を貸すのは、拠点を突き止めて野盗を片付けるまでです。
連れ去られた人や物を取り返すのは貴方たちがしてください」
「「「はっ! ははー!!!」」」
最初は巫女に野盗が退治できるものかと疑問を浮かべていた村人たちは、今や両手をついて地面に頭を擦り付けるほどに、見事な土下座していた。
それを見た私は、自分がまたも盛大にやらかしに気づいたが、今は誰彼構わずに当たり散らしたい気分である。
どうせもいいからさっさと野盗を片付けて、正体が完全にバレる前にこの村を去れば後のことは知らぬ存ぜぬだ。
狐耳と尻尾を隠して戦えば、多分大丈夫だろうと、楽観的に考えるのだった。




