二話 新しい家族(7) 千歯扱き
正確な月日がわからないため紙に筆で正の字を書いて経過日数を調べていた私は、この時代に来てからもう二十日が過ぎたのだと、しみじみ感じた。
その一方で、麓の村ではそろそろ米の収穫が近いのか、住民たちが山の中腹までお参りにやって来ては、五穀豊穣の祈りやお供え物を捧げたりと、何とも慌ただしくなってきている。
そんな私以外が忙しくなってきたある日のこと、村長さんと木工職人が大勢で参道を登り、自分の住んでいるオンボロ社務所にやって来た。
割と慣れたものなので中にどうぞと招き入れ、居間の畳の上にペラッペラの座布団を敷き、少しヒビが入って歪んだ湯呑を並べ、それぞれに白湯を入れる。
その後に私も所定の位置に腰を下ろして、彼らがここに来た目的を尋ねると、ある意味予想通りの答えが返ってきた。
「収穫作業を楽にする道具ですか」
「秋に入ると収穫作業で休む暇がなくなるのです。
ですので、稲荷神様のお知恵をぜひともお貸しいただきたく──」
村長さんのお願いを聞いた私は、この時代の貴重なタンパク源であるお供え物の鹿肉を、横目でチラチラ見る。
餌に釣られるのも癪だが、稲荷神として頼られれば応えないわけにはいかない。しかし私が神の奇跡は起こせないので、未来の知識に頼ることになる。
おまけに常に成果を上げ続けなければ、いつか住処を追い出されて妖怪として退治されてしまう。
今の待遇は魅力的だが、同時に予断を許さない状況にうんざりする。
だが嘆いても始まらないので、真面目な表情でしばらく考えでいた私は、思いついたことをそのまま口に出す。
「千歯扱きを作りましょう」
「稲荷神様、千歯扱きとは?」
皆は興味津々という表情でこっちを見るが、上手い言葉が思い浮かばず、どう説明したものかと頭を悩ませるのだった。
未来の日本で私が通っていたのは田舎の小中学校で、ちょっと変わった課外授業があった。
それは機械に頼らず苗を植えたり肥料や農薬を作り、さらに脱穀や精米に至るまでの過程の殆どを、実際に生徒にやらせるのだ。
小さな田んぼとはいえ、当時は何でこんな苦行をと思って嫌々だった。しかし歴史の先生が授業を脱線するのと同じように、世の中何が役に立つかわからない。
今は機会がないに越したことないが、あの時やってて良かったと思っている。
だがまあとにかく、千歯扱きを旧校舎から引っ張り出してヒーヒー言いながら脱穀した経験から、これは使えると考えた。
もちろん一発成功とはいかずに調整が必要になるだろうが、たとえ模造品でも実用化さえできれば、手作業よりは多分だが効率が良くなる。
私はスクっと立ち上がって戸棚にしまっておいた墨と筆を取り出し、スズリに水を入れてゴリゴリと擦る。
ある程度黒くなったところで筆を浸して、目の荒い紙に千歯扱きの簡単な構図を描いていく。
「これが、……千歯扱きですか?」
「そうです」
どうやら誰も見たことがないようだ。
戦国時代の脱穀は別の道具を使っているのか、それとも手作業なのかは知らないが、もう持っていますと言われなかったので、少しだけ安堵する。
「歯の間隔だけは要調整ですが、完成すれば手作業よりも効率は遥かに上がるでしょう」
「「「おおー!!!」」」
実際に戦国時代で稲作をしていない私では、どのぐらい効率が上がるかはわからない。
それでも手作業より楽になるのは、間違いないだろうと考えている。
何より自分の拙い未来の知識でも、目の前でこうして喜んでくれる人が居るのだから、身振り手振りでも頑張って教えるのも悪い気はしなかった。
「稲荷神様! 他にはないのですか!?」
「ええと、……他にはですね」
人力で風を起こしてお米を選別する唐箕。傾斜を転がして米ぬかをふるい落とす千石通し。
あとは収穫作業とは関係ないが、ホームセンターで販売していた、耕作で深く効率よく土を起こす備中鍬。
クワ以外の造形はうろ覚えで怪しいが、構造は単純だ。
もちろんこれも千歯扱きと同じく要調整だが、比較的早い段階で実用化できるだろうと、楽観的に考えている。
説明が取りあえず一段落したところで、私は白湯で喉を潤す。
向こうのお願いは叶えたことになるので、今度はこちらから質問させてもらった。
「ところで、米の他には何を栽培しているのですか?」
「米以外には、規模は小さいですが麦等の雑穀を育てております」
つまりは基本的に田んぼ以外は、あまり積極的には育ててはいないようだ。
それもまあ年貢があるから仕方ないかと、私は頭の中でぼんやりと想像する。
「では、田んぼの肥料は何を?」
「あの……稲荷神様? ヒリョウとは何でしょうか?」
村長さんに質問を質問で返されてしまい、私は思わず硬直する。
なお、狐っ娘は少し前に田畑には肥料を撒かないとを教えてもらっていたが、綺麗さっぱり忘れていた。
ちなみに後で知るのだが、戦国時代は牛糞や人糞などを田畑にすき込んでいたが、その一方で、田の神を汚してはならないと忌み嫌われている地域も、確かに存在した。
だがまあ、そんな歴史事情はどうでも良く、今問題なのは麓の村では殆ど米しか育てていない。
さらに、田畑には肥料を与えていないということだ。
つまり土地は痩せる一方で、米が病害虫や災害、日照りに襲われれば、その年の収量は大きく低下してしまう。
(これはもしかして、不味い状況なのでは?)
先程までは、稲の収穫作業が楽になったよ。やったね狐ちゃん! と、無邪気に喜んでいた私だったが、事態の深刻さに気づいて思わず真顔になる。
他にも連作障害や冷害に備えたりと、農作業には厄介事が山程ある。
戦国時代で快適で平穏な暮らしを成し遂げるのがいかに大変か、否応なしに思い知らされた。
これはもう四の五の言っている暇はないなと考えた私は、姿勢を正して堂々と声を上げる。
「今から肥料の作り方と、来年からの栽培方法を教えます」
「「「えっ?」」」
栽培方法の改善と肥料作りを教えることで、強引にでも収穫量の増加をさせる。
そして年貢の取り立てがあるため、米以外を育てる時間が足りないと言うなら、作業効率を上げて他の雑穀を育てる余裕を作る。
未来では人糞は下水から浄化施設へと送っていたが、知ったこっちゃない。戦国時代には化成肥料など存在しないし、自分には到底作れない。
ならば今ある手札を組んで、勝負するしかない。
何か耐性持ちの寄生虫の混入とかが怖いと聞いた気もするが、そこはまあ十分に発酵させて殺してやれば大丈夫だ。……多分。
それに裸足で歩くゲンさんの漫画にも、人の糞尿を肥料として使っていた場面があった。やってやれないわけではない。
そのようなことを順序立てて考え、私は麓の村の大改革を行う決意を固めたのだった。
「村の住人全員に私の教えを徹底させなさい! さすれば来年は必ずや豊作となるでしょう!」
「「「はっ、ははー!!!」」」
珍しく声を荒げる狐っ娘が余程恐ろしかったのか、オンボロ社務所に居る村人全てが何度も頷く。
正直に言うと現代の稲作が戦国時代に合っているかはわからないし、課外授業で実習済みと言っても、うろ覚えの部分もかなり多い。
それでもこのまま彼らに任せていては、快適で平穏な暮らしは一生かかっても達成できない。
何より、住処と食料の提供元である麓の村が困窮すると、私も道連れになるのは確実だ。
少なくとも、ただ毎日をのんびり暮らしているだけでは、一寸先は闇からの脱出は不可能と言っていいだろう。
そんないつ沈むかもわからない泥舟に乗って、大海原をあてもなく彷徨い続けるのは、絶対に嫌である。
(平穏な暮らしとは、明日への不安がないこと。
でも現状では達成できてるとは言い辛いし、ご飯が不味いのが致命的すぎる)
私は心の中で大きな溜息を吐いた。
既に色々やらかしているが、これから自分が積極的に動くことで、本来の歴史が大きく様変わりするだろう。
しかし稲荷神(偽)としての力を誇示するという目的には合致しているし、自分の望む平穏な暮らしを手に入れるためには、大改革を行って古く非効率的な風習を上書きすることで、文化や技術の発展を後押しするのが最短ルートなのだ。
それでも外に出るのが怖いので、基本的には山の奥に引き篭もるつもりだ。
とにかく千里の道も一歩からで、まずは麓の村を豊かにしようと心に決めたものの、失敗したら狼たちを連れて夜逃げするので、一応備えだけはしておこうと予防線を張ったり、ちょっとだけへっぴり腰なのだった。




