二話 新しい家族(3) 水場
雨乞いのお願いを妥協案でも良いので達成するべく、参道を通って麓の村の入口まで下りる。
そこで私は、お供え物を運んできた四人に声をかけた。
「村の案内は村長さんだけで十分です。他の皆さんは仕事に戻っても大丈夫ですよ」
だがそれでも四人は離れる気がないようで、我らもぜひ稲荷神様のお供に! と、興奮気味な様子である。
「では何かあれば、その時は頼りにさせてもらいますね」
若干引き気味になった私が言葉を重ねる。
それでようやく諦めがついたのか、四人は一礼して各々の仕事場へと去っていった。
(私のやったことと言えば、大きなイノシシを狩って、首をはねて内臓を取り出しただけなんだけどなぁ)
ただまあ手刀と手掴みなのは確かに驚くだろう。
しかし冷静に考えれば、私が思い描く稲荷神のイメージとは全く違っていた。
これでは農耕ではなく、戦いの神だと勘違いされてしまう。
つまり、現地住民に敬われるほどの偉業を成したとは、とても思えなかった。
(それとも稲荷神は戦いも得意だった? うーん、私は神仏も歴史も詳しくないしなぁ)
自分は歴女ではなく、極めて平凡な高校一年生だ。
強いて特徴を上げれば広く浅くのライトオタクである。だがそれで戦国時代の勝ち組になれるかと言うと、大いに疑問であった。
なのでぶっちゃけ、民衆の信仰心や神様の特長など、殆どわからなかった。
だがまあ娯楽作品を通じて中世は魔女狩りをしていたという情報は得ていたため、狐っ娘の自分がどれだけ必死に足掻いても、絶望から抜け出すのは困難だと察していた。
(逃げ隠れて妖怪として退治されるなんてまっぴら御免だし。寿命が尽きるまでは、稲荷神のフリをして平穏に暮らしたいね)
朧気な歴史知識から、戦国の次は江戸になり平和な時代が三百年ほど続く。
なので取りあえずそれまで生き延びれば逃げ切れた感があるし、稲荷神の立場が盤石ならなおヨシだ。
私が深いようで結構浅く思案していると、参道の入り口で四人と別れて一人になった村長さんが、こちらに顔を向けて話しかけてきた。
「稲荷神様。村の何処を見に行かれますか?」
村長さんが尋ねられた私は現実に戻り、慌てて今の状況を分析し、取りあえず無難な答えを出す。
「村民の利用が一番多い水場に行きます」
「では、案内致します」
彼が先頭に立って歩き出したので、私はすぐにその後を追う。
歩調は小さいが狐っ娘の身体能力はとんでもなく、チョコチョコ歩きでも引き離されることなく、余裕で付いていけるようだ。
なお道中に村の人たちが挨拶してくれたので、私もにっこりと微笑んでは、おはようございますと返す。
適当に村の観察をしたり、村民に挨拶しながら歩いていると、やがて川の前に到着した。
どうやら自分が住んでいる山の方から流れてきているようで、透き通っていて底まで見通せるので、一番深いところで私の膝まであるのだと容易にわかった。
立ち止まって川に視線を向けたことで、村長さんが少し緊張気味に説明を始める。
「ここが村民の多くが利用している水場です。
普段はもっと川幅が広く深いのですが、最近は雨が降っていないので狭まっています」
元がどのぐらいなのかは川や河原を観察して調べるしかないが、素人の私でもちょっと減っているのは、何となく理解できた。
そこでふと周りを見ると何人かの村人が、水桶を片手に川の水を汲み上げているのが目に入った。
「川の水はどのようなことに利用されているのですか?」
「飲料水や食事、また米や雑穀を育てるにも必要です。
あとは下流の側屋で糞尿を落としたりと、色々ですね」
それから村長さんは、思いつく限りのことを丁寧に説明してくれた。
私はと言うと、川の水が村民の生活を支えているため、なくてはならないのだと、なるほどと納得したのであった。
ちなみに、側屋と言うのは便所のことだ。
言葉の意味は何となく知ってはいたが、実際に見るのも聞くのも初めだ。しかし、普通は肥溜めではないか。疑問に思ったことは取りあえず聞いてみるに限る。
「穴を掘るのは重労働です。
ならば近くの川に流したほうが、一年中使えて楽ですから」
つまり自然の水洗便所のようなものかと、私はなるほどと小さく頷く。
川が遠い地域では普通にぽっとん便所が掘られているが、うちのように川沿いの村町では、そのまま流すのも多いとのこと。
あとは糞尿を撒かないのかと聞くと、宗教的な理由で田畑を穢してはならないのだと、教えてくれた。
(じゃあ川は穢しても良いの? このガバガバ感、でも下流の水質汚染が心配だなぁ)
今ここであれこれ考えても、私の頭が悪いこともあって名案が出るとは思えない。
それに解決すべきことは水不足で糞尿問題ではない。
なのでそれは一旦棚上げして、取りあえずでも自分なりの考えを整理していくのだった。
現場を見て村長さんの説明を聞く限り、最近日照り続きで川の水かさが減っている。
村民にとっては水の安定供給は死活問題であり、明日の天気さえわからない戦国時代では不安が広まるのは当然と言える。
私は口元に小さな手を当てて思案を続けながら、村長さんに再度質問する。
「では、川以外の水場は何処にありますか?」
「いえ、川以外の水場は存在しません」
つまり川の水以外は供給されていないので、それが枯れたら大打撃というわけだ。そこまで考えて、私は村長さんの顔をマジマジと観察する。
「……冗談?」
「えっ? あの、事実ですが?」
思わず間抜けな返事をしてしまった私だが、彼の答えを落ち着いて分析する。
現状は山から流れてくる川に頼り切っており、きっとそれ一本でも十分だと思えるほどの水の恵みを、麓の村にもたらしてくれていた。だから、他の水場は必要ないと考えていた。
しかしここ最近は晴れが続いて水かさが減ってきた。今回だけは不自然なので、過去にも同じようなことが起きていただろう。
ならば何故このタイミングで私に話を持ってきたのかと言えば、これは自分が稲荷神(偽)だからで間違いない。
(確かに、困った時の神頼みとは言うけどさ)
稲荷神を自称して村民に面倒を見てもらっているので仕方ないことだが、無茶振りをされる私にとっては堪ったものではない。
しかし神様ロールプレイを続けるうえで、やっぱり出来ませんとは言えないため、何らかの妥協案を示さなくてはならない。
麓の村では川の水のみという現状を打破するため、足りない頭をひねって考える。
(うーん、私の家まで来れば湧き水が出てるし、元々水が豊かな村なんだろうな)
そこでふと疑問に思ったので、改めて彼に質問するために声をかける。
「井戸は掘らないのですか?」
「井戸を掘ろうにも、うちの村は人手も金も、何もかもが足りません」
麓の村では毎年の年貢を納めて、住民が食いつないで冬を越すだけで精一杯だとも教えてくれた。
(でも、いつまでもこのままじゃなぁ。川の水場が枯れればお終いだし。
あとは生水をそのまま飲んで、お腹を下したら大変だよ)
何もかもが足りないだらけの戦国時代では、逐一水を沸かして殺菌してから飲むのは、貧しい農村ではなかなかにハードルが高いと察してしまう。
ついでに自分にお供え物をくれるのも、住民の生活を圧迫しているのは確実であり、ここで少しでも役に立つ所を見せないと、良心の呵責に苛まれて精神を病んでしまいそうだ。
(濾過に関しては、炭を入れるってことまでは覚えてるんだけどなぁ)
口元に手を当ててああでもないこうでもないと思案するが、濾過に関しては確かに重要だが何か脱線している気がする。
私はすぐに水不足の解消へと思考を切り替えて、足りない頭が空回りさせる。
この先も平穏な生活が送れるかどうかがかかっているので、必死である。
それでも結局、名案は浮かばなかった。なので迷った末の脳筋ゴリ押しを、迷うことなく堂々と口に出す。
「わかりました。私が井戸を掘りましょう」
「「「えっ!?」」」
村長さんだけでなく、近くで聞き耳を立てていた他の住人までもが一斉に驚いたのがわかる。
「いっ、稲荷神様がですか?」
「正確には私と、狼たちがです」
チラリと家族であるワンコのほうに視線を向けると、狼たちもこっちを見つめ返す。
私の家族がおいおいマジかよと困惑の表情を浮かべて、つぶらな瞳で見上げているのに気づいてはいるが、そっちは完全に無視する。
とにかく彼らを信頼して、井戸掘りの仕事を任せると決断したのだった。




