6.何となくそんな気はしてた
優雅に微笑みかけるわたくしに、マーサは解せぬ、と顔にしながらも頷いて早速、紅茶の準備をしてくれる。よし、なんとか誤魔化せた!!……と、思いたい。
話は戻るけれど、人間、死ぬときゃポックリ死ぬんだろう。だけど、わたくしは少しでも長く生きたい。その為にはどうするか……。
まず、今回の馬車の暴走ではわたくしは奇跡的に生き延びた。つまり、ジェイド様ルートからは確実に外れた。
……もしも。もしも、この世界があの『アリアドネに花束を』の世界に沿っているのなら…。わたくし、あと10回程は死亡予定があるってことになるのですけれど。攻略キャラの数だけ殺されるわたくしの気持ちも考えてくださいます?制作会社の皆様。小一時間ほど問い詰めたくてしようがありませんわ。
さて、今回はラッキーとミラクルで助かったのだけれど、次はそうはいかないだろう。そう何度も死にかけるくらいならまず、わたくしが死ぬような状況を作らないでいただきたい。
まあ、それは置いておいて。それぞれのわたくしの死亡イベントをどうにか回避できないものか。
んー……まず、人為的なもの…毒殺とかは犯人が分からない以上、何の対策もできない。その場で臨機応変に対応するしかない。
次に、流行病は……お父さまに次の誕生日のプレゼントに、薬草園でもねだろうかしら?多くの薬草を育てておけば何かしら道が広がるんじゃないかと思うのだけれど……。あとは薬草学を学ばないと。
そして、事故。…正直、これは一番防ぎようがないと思う。ゲームのストーリー上ならいざ知らず、その前に死んでいるフェリシエンヌの事故を一体、どうやって防ぐのだと言うのだろうか。
あとは……自殺、かぁ。はっきり言って論外としか言いようがないわ。
あとは……何かある?
「お嬢様、お茶がはいりました」
「ありがとう、マーサ」
一人で思考に耽っている間にも、せっせとお茶の用意をしてくれていたマーサからカップを受け取る。左手でソーサーを持ち、右手でカップを傾ければ程よく熱い紅茶が口いっぱいに広がる。味は勿論、香りも良くてどこか安心するマーサのお茶に、ほぅ…と息をつく。
なんだかうだうだ考えていたのが馬鹿らしくなってきたわ。
「あぁ、そういえば。マーサ。ヴィクターとアンは元気?」
ふわふわと漂う湯気をぼんやりと眺めて思い出したこと。先程、わたくしの寝室の扉を壊してまで駆けつけてくださったお父さまたちの中に、ヴィクターとアンの姿が見えなかったことに、今更ながら気付いたのだ。
泣き虫で甘えん坊で、気が付けばいつも「ねーさま、ねーさま」と雛鳥のようにわたくしの手を握って付いて回るヴィクター。一歳になったばかりでまだよちよち歩きができるようになったばかりの妹、アンリエット。可愛い可愛い、わたくしの弟妹たち。
まだ一歳のアンリエットがこの場に来なかったのは何ら不思議はないが、ヴィクターが来ないのはなんだか違和感がある。というか、あの子は泣きすぎで枯れてはいまいか。
「え…えぇ。アンリエットお嬢様は健やかにお育ちになられておりますよ。
この間…まだお嬢様が眠っていらっしゃる間ですが、奥様に連れられてこの部屋に来られましてね。お嬢様を一目見て「ねー」と呼んでおられました。きっとお嬢様がご自身の姉君であると理解していらっしゃるのでしょうね」
「あら!そうなの?それは惜しいことをしたわね…。是非とも早く会いたいわ。
……ところでマーサ。『アンリエットお嬢様は』?なら、ヴィクターは?」
わざと避けているようにヴィクターの話題を出さないマーサ。アンのことばかりの彼女に何となく胸騒ぎがして、少し強めに尋ねる。
あぁ、こんな嫌な予感なんて外れてしまえばいいのに。
「ヴィクター様は……その…あの事故の日からお部屋に篭りきりに…」
「そうなの?なら、お医者様に診てもらったらすぐに顔を見せに行きましょうか」
歯切れの悪い彼女の言葉に、そっと胸をなでおろす。とりあえず、ヴィクターは無事なのね。良かった…!
久しぶりに外を連れ回してみようか。
暗い部屋に篭りきりだと体にも良くないしなにより、何でもネガティヴに考えてしまうだろう。それは苦しい。下手をすれば気が触れてしまうかも。
――――そう。ぬいぐるみを「姉様」と名付けて常に持ち運び、家族すらも近寄せない、メンヘラっ子に…。
ん?ちょっと待てよ……?
「お嬢様?如何なさいました?」
カシャン、と大きな音を立ててティーカップをソーサーの上に置いてしまう。これにはマーサも驚きの表情で、慌てたようにわたくしを見る。けれど、そんなのが気にならないくらい、わたくしの頭の中を別のことが支配していた。
「……マーサ。ヴィクターは部屋に篭っているだけで食事はちゃんと摂っているのよね?」
「そ、それが……。食欲が湧かないとかで殆ど手を付けられません。料理人たちも工夫はしておりますが、結果は芳しくなく……」
あっかーん、それ、マジでヤバいやつ!!と、顔を覆って叫ぶ。…心の中で。
ヴィクタールートでは、フェリシエンヌが自らの首を吊った後、ヴィクターは部屋に引き篭もり、拒食状態に。腹は減るが食欲がない、とご飯を拒否し続け、あまりの空腹と精神ダメージが振り切れたところでヴィクターは完全に壊れてしまう。
異常なまでに亡き姉、フェリシエンヌに固執するのだ。
わたくしだって生きているし、状況は全く違うけれど。同様のことが起こるかもしれない。下手したらわたくし、監禁されてしまうのでは……!?
「わたくしが意識を失ってからの一週間と三日の間、ずっと?」
「はい。私共もどうすれば良いのか……ってお嬢様っ!?」
マーサの言葉を最後まで聞かず、彼女にソーサーごとカップを押し付ける。そしてそのまま掛け布団を捲り、足を下ろす。
「予定を変更します、マーサ。お父さまには申し訳ないけれど、お医者様がお見えになる前にヴィクターの所に行くわ」
「何をっ……!」
「きっと空腹で辛いはず。お腹ペコペコで狂ってしまうかも」
焦ったようなマーサの声を無視してベッドから立ち上がり、一秒でも早くヴィクターの元へ。
そう思ったわたくしの体は一歩も進むこともなく、そのまま崩れ落ちるように地面に倒れ伏してしまった。
一体、何が起きたのか。
自分の身に起きたことすら分からず、地面にうつ伏せて倒れたわたくしに、ソーサーとカップを置いたマーサが声にならない悲鳴を上げて駆け寄ってきてくれた。
「大丈夫ですか、お嬢様っ!お怪我は!?」
「え、えぇ。大丈夫よ。ごめんなさいね、マーサ。びっくりさせたわね」
そう笑って見せ、立ち上がろうと腕に力を込めて…確信した。自分の身に何が起きたのか。なぜ、マーサがこんなにも顔を悲痛に歪めているのか。
ベッドから足を下ろした時から、なんとなくは感じていた。けれど、やっぱりこの現実は受け入れ難くて、信じたくなくて。
「ねぇ、わたくしの足、どうしたの?」
「っ……お医者様にも、治癒士にも診ていただきました。けれど…おじょっ、お嬢様の、あっ足はっ…!も、もうっ…使い物にならないっと…!回、復もっ…絶望的だとっ!!」
耐えきれずにボロボロと大粒の涙を流し始めたマーサ。わたくしも勿論ショックだ。まさか、歩けなくなる日が来るだなんて思いもしなかった。
ショックで、わんわん泣いてしまいたいのに、頭はなんでか妙なまでに冷静で。あぁ、これが《障害》なのかって。
馬車に撥ねられたあの日から、わたくしの足は膝から下が全く動かなくなっていた。




