42.令嬢と伯爵とその息子
『アリ花』の攻略対象の一人であるユティフィス・サァル・メラントリニス――つまり、目の前のメラントリニス伯爵のご子息――は、お兄さまルートのハッピーエンド後に開放されるキャラクター。一言で表現するならば、とんでもない魔法バカ。魔法の研究に周りがドン引きするくらいに心血を注ぐ、わりかしフレンドリーなおちゃらけキャラだったはず。それ故に、攻略の難しいキャラクターだったと思う。なにせ、おちゃらけキャラは中々本心をこぼしてくれないのだ。顔で笑って心で泣いて、ってやつである。
他の攻略対象ならハッピーエンドを迎えられるだろう好感度でも、ノーマルエンド…別名、友情エンドしか迎えられないのだ。ちなみに、前世でわたくしは難しすぎる、とこのルートを早々に投げたため、詳しい攻略方法は知らない。確実にわかることはほとんどないと言ってもいい。
彼のフェリシエンヌとの接点は魔法。そして彼のトラウマもまた、魔法。彼を攻略するのに必要なのも魔法。…そう、彼のルートにおいて魔法はとにかく必須項目だ、ということのみ知っている。
ユティフィスルートのストーリーも例に漏れず前世の末弟がプレイしているのを携帯片手に眺めていたことでぼんやり知った。そのストーリーはこうだ。
ジェイド第二王子殿下を身を挺して救い、その代償に両足の機能を失ったフェリシエンヌは、元々弱かった体が更に弱まり病床生活を強いられる。だがしかし、一日中ベッドの上というのも退屈極まりない。そこでフェリシエンヌが興味を持ったのが『魔法』である。そして、瞬く間に『魔法』に夢中になったフェリシエンヌを見たお兄さまことシャロンが、友人であったユティフィスに頼むのだ。「どうか妹の話し相手になってやってくれないか」と。令嬢の話し相手なんて、と渋るユティフィスにお兄さまは「一度だけでいいから」と食い下がり、何とか了承を得る。渋々話し相手を引き受けたユティフィスは、ファーストコンタクトでフェリシエンヌの『魔法』に対する造詣の深さに舌を巻く。宝石の話や噂話ばかりのつまらない令嬢とは違い、自分の話を目を輝かせて聞き、貪欲に知識を蓄えて己の問いに打てば響くように答える。そんなフェリシエンヌに興味を持ち、彼がフェリシエンヌのもとに通っては共に研究をするようになるまでに時間はかからなかった。
『乙女ゲーム』なのだから、ここからラブストーリーが始まってもいいのだろうが、二人の間にそんな甘酸っぱいものは存在しなかった。どちらかと言えば『盟友』のようなものだったのだろう。
数年間二人は共に研究に励み、あと少しである魔法が完成するというところでフェリシエンヌの容態が急変した。体を起こすこともままならず、日々衰弱していくフェリシエンヌを元気づけようと、ユティフィスは魔法を披露しようとする。しかし、何度も使ったことのあるはずの『魔法』の発動に失敗し、ユティフィスは左半身が麻痺。巻き込まれたフェリシエンヌは命を落としてしまう。
死なせてしまった……いや、殺してしまった罪悪感と後悔、そして『盟友』を亡くした深い悲しみから二人で完成させるはずだった『魔法』を完成させたユティフィスは、おとぎ話の中の『蘇生魔法』を実現できないかと研究に没頭。最初はその研究を応援していたヒロインは偶然、それが禁忌であると知り、何とか止めさせようと奔走する…。
いや、色々待て。なんでこのルートだとお兄さまとフェリシエンヌが和解してんだよ。食い下がってまで頼むほどフェリシエンヌが可愛いのか。毛嫌いしてたんじゃなかったのか、おい。っつーか、ユティフィス。お前は体調を崩した少女のもとに通い詰めるんじゃない。ベッドから起き上がれないほどしんどいなら、お前の行為はただただ迷惑だ。……などなど、前世のわたくしはこのストーリーにツッコミまくった。
そもそも、事故で処理されてる(実際に事故だが)とは言え魔法で人を殺めてしまった人間が魔法を使えて、しかも研究までできてるってヤバくないか?牢に繋いでおけ、とまでは言わないがお咎めの十や二十、用意しておけよ。
これを前世の末弟にこぼしたところ、「ゲームのシナリオにリアリティーを求めるのは良くないと思う」とのお言葉を頂いた。「なるほど確かに」と納得する気持ちと「いやいや、それにしたってこれはないだろう」という否定的な気持ちが入り混じって変な顔をしてしまった記憶がある。あれは…乙女にあるまじき顔だったなぁ……。
閑話休題。
とにもかくにも、目の前にいるこの人はビスティア王国の実質トップ3だかトップ4だかなわけで……。なんだってそんな方が王都から遠く離れたグラッツェル公爵領に?だなんて思わない。どう考えてもお父さまでしょ。絶対、職権乱用しよっただろあの人。
「その反応だと、知らなかったわけじゃないみたいだね。よかった、よかった」
わたくしの珍妙な咳に変な顔一つ見せずにのほほんと笑うこの人は、間違いなく大物だ。普通ならこの時点で珍獣を見るような視線を向けられているはずだから。……なんで断言できるか?そんなの、前世で経験済みだからに決まっているでしょう。前世のあだ名が人外なところで察してくれ。
「…大変失礼いたしました、メラントリニス伯爵」
「ああ!良いよ良いよ、頭を上げて!!全く気にしてないから!大丈夫だから、ね?どうしよ…こんなところあいつに見られたら終わる!!」
誰に何を見られたら何が終わるのか。そんなことはわざわざ聞かずとも察せる。
まず、状況からして「何を見られたら」には「わたくしが頭を下げているとことを」が当てはまるだろう。これは、ほぼ百パーセント、間違いない。では誰に?これも簡単だ。彼は「あいつに」と言った。つまりあいつ呼びが許されるほどに親しい間柄で、そして彼はお父さまの友人。自己紹介で「同僚」と言わずに友人と言ったということは、それなりに付き合いが長いのだろう、と思うことは想像に難くない。その先は言わずもがな。最後に「何が終わるのか」?彼の慌てっぷりとお父さまの性格から考えて、人生的なサムシングじゃないですかね?あっはっはー。……はぁ。笑ってる場合じゃないわ。
とにかく、言われるがままに頭を上げて背筋をピンと伸ばす。そうすれば目の前の彼はどこかホッと息を吐き出した。そんなに怖いんですか、うちのお父様は。
「そしたら、そうだな……今の君の状態について説明しないとね。結構これ、深刻だから」
ニコニコと人好きのする笑みを消してそんなことを言い出したメラントリニス伯爵に、思わず難しい顔をしてしまった。いやだって急過ぎじゃない?わたくしの状態??甘ったれてんじゃねーよってこと??何それ怖いんですけど。国の偉い方がわざわざ出向いてまでそんなこと言う?…言わないわ。馬鹿じゃないの、わたくし。
「じゃあまず…………これ、何か分かるかな?」
ゴソゴソとポケットを漁ってメラントリニス伯爵が何かを取り出す。それを軽く握り締めたまま手を突きだされて、ああこれ受け取れってことか、と両手を出そうとした瞬間。何かゾワリとしたものが背中を駆け抜けたのと同時に目の前で青が揺れた。
「団長さん。ソレ、お嬢様に持たせようなんて何考えてやがんですかあ?……返答次第によっちゃ、ぶっ殺しますよぉ?」




