40.疑惑とローブと嘘発見器
ご無沙汰しております。
久しぶりに書いたので後々修正するかもしれません
マーサの腕の中でわんわんぎゃんぎゃん泣いて。しばらくしてからようやっと落ち着いても、わたくしは令嬢にあるまじき姿を晒していた。端的に言えばズビズビと鼻をすすっていたのである。だってしょうがないじゃない。出てくるんだもの。
そもそも、人間の涙腺は鼻涙管に繋がっている――まあ、つまりは鼻と繋がっていて涙腺が刺激されると自然と鼻水も出てくる仕組みになっているのだそうだ。前世の生物の先生が言ってた。何が言いたいかって、少女漫画やらで見る涙だけ流すお綺麗な泣き顔は現実には存在しないってことだよ。貴族令嬢とは言え人間。鼻水くらい出てきますって。
マーサに甘えるように額をグリグリ擦り付けていると、それだけで妙に安心してわたくしは深く息を吸い込む。と、そこに聞きなれない男の人のクスクスという声が聞こえてきた。
驚いて勢いよくマーサから離れると、ベットの脇に真っ黒なローブを身に纏った人物が立っていた。身長はおそらくお父さまと同じくらい高くて、体型はダボダボのローブの所為で分からない。いかにも魔法使いですと言わんばかりのその恰好がそこはかとなく怪しい。
過去、我が家には暗殺者が潜り込んでいた例がある。この人もそういう輩だとしてもおかしくはない。…我が家の名誉の為に言っておくけれど、我が家の警備のレベルは最高峰であり、決して低くはない。ただ、この世界の暗殺者のレベルの進化に警備のレベルが追い付いていないのだ。それはそれで問題だと思うが…こればかりは仕方がない。警備は日々進化し、暗殺者どももまた日々進化しているのだ。あー、あれだ。前世で言う「日々巧妙になっていく詐欺の手口」みたいなやつ。―――話が逸れた。
とにかく、この怪しい人は暗殺者の類である可能性がある。今、この場にいるのはわたくしとマーサ、そしてこの男のみ。マーサは完全に非戦闘員である筈だから、戦いになったらすぐにお父さまの元へ走ってもらう。その間、わたくしは魔法を使ってこいつの足止めを―――
「お、お嬢…様…?」
驚いたような、信じられないものを見たような、そんな震えた声が聞こえてた。目の前の人物がスイっと音もなく横にズレた先、開け放たれたこの部屋の扉の前で普段の無表情が欠片も見つからないほど目を見開いて驚きを露わにしたメアリーが立っていた。
全身でプルプルと震えているらしく、両手に持ったトレーの上のティーセットがカチャカチャと音を立てる。そうして一拍の後、あろうことかメアリーは手の中のトレーを後ろに放り投げたのだ。何してんのアンタァァァァァ!!とわたくしが叫ぶよりも先にブラッドの「ちょっと!メアリー!!??」という声。タックル同然の抱擁を受けると同時に、カチャンカチャンと陶器のぶつかる音。割れたっぽい音じゃないからきっとティーセットは無事なんだろう。何がどうなったのかはメアリーのドアップで分からないんだけど。
目に涙を浮かべてわたくしに抱き着くなどという、彼女らしくないその姿に、随分と心配をかけてしまったのだと悟る。メアリーでこうなら、お父さまたちにはどれだけの心配と迷惑をかけてしまったんだろう。っていうか、この数か月―――体感としては数日―――でどれだけ迷惑を振り撒けば気が済むんだろうか、わたくしは。とにかく、今後は迷惑も心配も自重しよう、と固く決心してメアリーの熱い抱擁を受け入れる。…いや、ごめん無理。受け入れられないわ。主に呼吸的な問題で。
「ちょっとメアリー。オレだってお嬢様にギュッてしてもらいたいんですけどー。っていうか、お嬢様苦しんでない??顔真っ赤になってない??」
メアリーの肩越しに、片手にトレーとティーセット一式を乗せたブラッドの呆れたような顔が見えた。おそらく、さっきのカチャンカチャンはブラッドがトレーを含めたティーセット一式を受け止めた音なのだろう。ブラッドお前……マジで曲芸師でも目指してんの?君の技術、日々進化してない??何を目指したらそんなんなるの??なんて心の中でツッコミを入れていると、メアリーが勢いよく離れる。どうやらブラッドの言葉でわたくしを締め上げてしまっていたのだと気が付いたらしい。
「もっ申し訳ございません、お嬢様!!」
「良いの、気にしないで。こちらこそごめんなさい。心配かけたでしょう?…ブラッドとマーサも。ごめんなさい」
平伏せんばかりに頭を下げるメアリーに大丈夫だと首を振り、みんなに謝罪する。なんか最近、謝ってばっかだな、本当に。まあ、それだけ謝らなくちゃいけないようなことしてるってことなんだけどさ。……あれ?そう考えたらわたくしってば超問題児じゃなくって?やばい、やばいわー。この前までのお兄さまのこと、とやかく言えないわー。と、若干ではあるけれど遠い目になっているのを自覚しながら口元だけは癖であるかのように笑みを浮かべようとした。しかし、それは他ならぬメアリーによって阻まれた。ガラにもなく涙目でわたくしの肩を掴む。かなり力が入ってるのか、ちょっと痛いくらいだ。
「お嬢様が謝ることなど何一つございません!!何より、此度の事は事前に防ぐことなど出来はしなかったのです!!もし仮にそんなことが出来たのだとしたら、それは人の所業ではございません!」
化け物です、化け物!!と興奮したように言うメアリーに落ち着けと言いたい。貴女、そんなキャラじゃなかったでしょう。っていうか、肩痛い肩!!爪!爪が食い込んでない!?
ギチギチと食い込んでくるメアリーの指にギブアップを伝えようと口を開きかけた時、コポポポ…と場違いに感じる長閑な音が聞こえてきた。その音の発生源を探してみれば、片手に乗せたトレーの上でお茶を淹れるブラッドの姿。…のんきだなぁ、お前さん。…わたくし、一応、あなた方の主人なのよね?
「メアリー、メアリー。お前の剣幕にお嬢様、怯えちゃってるー。ってか、怯える通り越して軽くヒいてるからー。さっさとその手離してよ。せっかくお茶淹れたんだしー。あ、団長さんも如何ですー?」
「じゃあ、頂こうかな」
「はいはーい。んじゃ、ちょっと待ってくださいねー」
メアリーをチラリとも見ずにわたくしと真っ黒ローブさんに笑顔を見せるブラッド。しかし、その笑顔はどこか拗ねているようにも見える。それに気付いたのか否か―――きっと、というか絶対分かってるんだろうけど―――わたくしの肩から手を離したメアリーはブラッドに背中を向けたまま、「んべ」と小さく舌を出した。ほんの一瞬のことで正面にいなかったら分からなかっただろう、早業。これも暗殺者時代に培った能力なのだろうか。だとしたら、暗殺者スキルの無駄遣いが過ぎないだろうか。
「……メアリー、ブラッド。お嬢様がお目覚めになって嬉しいのは分かります。ええ、そりゃもう。私だって小躍りじゃ足りないくらいには嬉しいんですから。ですが、お嬢様とお客様の御前ですよ」
パンパンと手を叩いて二人を制するマーサ。もしかしたら彼女の立ち位置からは双方の表情が見えたのかもしれない。なんとも頼もしいものである。……だけどマーサ。そういう話こそ、お客様の御前でするべきものじゃないと思うのだけれど…わたくしがおかしいのかしら?
どうやら『お客様』らしい真っ黒ローブさんをチラリと盗み見れば、いつの間にか用意されている椅子に座ってこちらを面白そうに見ていた。って言っても、ローブについてるフードを目深に被っているから表情は分からないんだけど。こう…雰囲気的に、ニコニコしているように思うってだけ。その姿がまた怪しげではあるんだけど、マーサも双子も警戒していない。それはきっと、マーサが言うように彼が本物の『お客様』だからであろう。少なくともメアリーが反応していないということは、今までの会話の中に嘘が混じっていなかったということ。
対象の真偽を見破る、という彼女の眼の能力は実にシンプルで、対象者の言動に嘘が紛れていないかどうかが分かるのだそう。簡単に言ってしまえば嘘発見器なのだ。まったく……便利な世の中である。しかし、この能力にだって欠点はある。それは「対象者にとっての真実が使用者にとっての真実であるとは限らない」ということだ。今回で言えば、真っ黒ローブさんをブラッドは「団長さん」と呼びマーサは「お客様」と呼んだ。それはつまり、彼はブラッドにとっては何かしらの“団長”でありマーサにとっては“お客様”であるということだが、彼が刺客ではないという保証にはならない。なぜなら、ブラッドやマーサには彼が嘘を吐いているかどうかなんて分かりやしないからである。もし彼が嘘を吐き、ブラッドやマーサに「自分は何かしらの団長であり、この家の客人である」と信じ込ませた刺客だとしたら今の会話に嘘はない。何より、彼自身はブラッドの問いに対する返事以外に喋っていない。
チラリと真っ黒ローブさんを見て思わず舌打ちをした。――心の中で。
これでも剣術を学んでいた身。それも、このグラッツェル公爵次期当主――ひいてはビスティア王国次期宰相筆頭候補として学ぶような、この国最高峰のものをだ(…無論、わたくしが剣を扱うことに頑として首を縦に振らなかったお父さまには内緒である)。さすがに本職の方々に比べればまだまだであるが、そんじょそこらのご令嬢やお坊ちゃんよりは腕が立つ自信がある。それ故、とでも言えば良いのだろうか。相手の立ち居振る舞いなんかから何となくその人の力量を図ることが可能になった。だからこそ、分かる…分かってしまう。
この真っ黒ローブさん、まったく隙がない!!
大変お待たせいたしました。
待っていてくださった皆様、本当にありがとうございます。
実は中々自分の納得いく文章が書けず、気が付けば半年以上経っておりました……。
お待たせして申し訳ありません。
これからもちまちまと投稿していきますので、お付き合いいただけますと幸いです。




