39.悪夢と目覚めと温もりと
ご無沙汰しています!!
今回はちょっとグロ(?)注意です!!
息苦しさを感じて何故だか妙に重たい瞼を無理やり持ち上げる。そこで視界に入ってきたのはプラプラと揺れる己の足。一拍と置かずになぜ息苦しいのか、なぜ瞼が異様なまでに重たいのかを理解する。一体全体、何がどうしてこうなったのかは不明だが、わたくしは今、首を吊っている状態らしい。頭ではこんな風に冷静に考えられているが、体は別である。喉を圧迫して締め上げるロープと思しきものを緩めようと自分の首をガリガリと引っかき、みっともなく体を捩って暴れ、酸欠に喘ぐ。口を閉じれば息が完全にできなくなってしまうんじゃないか、と恐怖で口を閉じられず、口端から涎が垂れる。喉の奥から漏れ出るヒュッヒュッという変な音が耳元から聞こえる気がする。息をしようとすればするほど困難になっていくそれに、己の『死』を悟る。それと同時に、覚えのあるその気配に霞みかかった思考がクリアになる。
―――知っている。あぁ、そうだ。私は…わたくしは知っているんだ。何度も―――何度も感じた死気配を。
一番初めは学校近くの階段で、だった。おそらくふざけていたのであろう。急勾配のその場所でじゃれ合っていた二人の男子の片っ方がバランスを崩した。それも私の目の前、結構な高さのある場所で、だ。咄嗟に彼の腕を掴んで勢い良く引っ張る。その反動で私の体が宙に投げ出されたとしても、特に不満は無かった。強いて言うなら、もうすぐ高校最後の文化祭だったのに…くらいである。体に纏わりつくような、そんな気配がしたと思ったら、私の意識は完全に途切れてしまった。
次にそれを感じたのは、馬の鍛え上げられた腹を下から見ることになった時だ。やけにスローモーションな視界の中、わたくしに向かって一直線に向かってくる蹄を視界いっぱいに感じつつ、突き飛ばした二人は無事だろうか、なんて。自分よりも愛しい弟と、ついでで申し訳ないがもう一人の無事を願いながらわたくしは微笑んだ。
その次は病に臥せった時。生まれつき体が弱かったのもあったけれど、事故に遭ったり風邪になったりと踏んだり蹴ったりってやつで更に弱ってた。けれどとある侍女がものすごく面倒を見てくれて。やっと前を向けたって時にまた体調を崩した。原因不明の咳が続き、やがて咳をする度に胸が痛むようになった。やがて起き上がることもままならなくなり、はっきりとしない視界の中、真っ黒に塗り潰された件の侍女がニンマリと嗤ったのだけが見えた。そして唐突に理解する。わたくしは毒を盛られたのだ、と。どうして、と尋ねる暇もなく睡魔に負けるように目を閉じた。
そのまた次は、街中で。お忍びで兄弟三人で遊びに出かけた。もちろん、曲がりなりにも貴族の子供であるわたくしたちに護衛が付かないわけがない。こっそりとだけど後ろからついてきていた。だから、ある程度の身の安全は保障されてた。そのはずだった。だけど、わけのわからない喚き声とともに体に衝撃が走った。何事かと熱を帯びた自分のお腹に視線を落とせば、目に入ったのは深々と突き刺さったナイフ。悲鳴にも近いお兄さまの声と、ギュッと強く握られた小さな右手を握り返してあげることもできずに、体から力が抜けていくのを感じていた。
その次は――――――
その次は――――
その次は――
もう何度目になるかも分からない『死』の体験に、わたくしの心は限界だった。思いっきり首を掻きむしって暴れてみたところでロープは頑丈でビクともしない。この苦しみからなんとしてでも逃れたくて、虚空に向かって手を伸ばす。けれども、この手を取って助けてくれる人は当たり前のようにいなくて、分かっていたはずなのに絶望する。
「だ、れかっ…!タスケ…」
絞り出したたった一言の「助けて」を言い切る前に、真っ暗だった視界が変わる。今までになかったその流れにびくりと肩を震わせる。切り替わった視界の先、ざわめく民衆の奥に並んでいた。ボロボロで別人のようになってしまっているお父さまとお母さま。その隣に跪かされているのはかつては美しかっただろう、お母さまと同じ藍色のぼさぼさの長い髪を持つ少女。そして、その後ろ姿にはずらりと並ぶ見慣れた顔の我が家の使用人たち。どこかで見たことある光景にハッとする。
この後の展開を、わたくしは私の弟に聞いたことがあった。確かヒロインも悪役も攻略キャラも、全てにおいて最悪のバッドエンドの断罪シーンとやらがこんなのではなかったか。さすがに誰一人として救えない凄惨さに没になったルートらしい、と私の弟は言っていた気がする。『アリアドネに花束を』―――通称、『アリ花』―――にハマりにハマった挙句、公式ファンブックまで買っていた弟が言っていたのだから間違ってはいないだろう。事実、この光景は没になったラフ画として載っていたのを見た。
前世の記憶をなんとか引っ張り出している間にも時は進み、悪役令嬢――アンリエット・リー・グラッツェル及びその関係者の処刑が始まる。我が家で働いていた使用人たちが一人一人、見せつけるように順番に首を刎ねられていく。その後にお母さま、お父さまと続き最後はアンが殺されてしまうのだ。ちなみに、攻略対象であるお兄さまとヴィクターは当然のようにこの場にいない。この処刑は『グラッツェル公爵家はスパイとして国を裏切り隣国に情報を売り渡していた』という名目で行われるものであり、これを告発したのがお兄さまとヴィクターということになっているのだ。もちろん、そうなっているということでありどれ一つとして事実はない。けれど、それが明らかになるのはこの処刑が終わってしばらくした頃。決して今ではない。
メアリーも、ブラッドも、マーサも、ジャックリーンも、ボブさんも、ジャンも、料理長も、みんなみんな首を落とされる。刃物が右へ左へと振り回される度に見知った顔の人たちが椿の花のように崩れ落ちる。
「いや…いやよ……もう、やめて…やめてよ、ねえ!!」
誰かの命が散る度に湧き上がる歓声。普通じゃない。イカれているんだ、何もかもが。わたくしの叫びを聞いてくれる人はおらず、伸ばした手も届かない。
やがて刃物はお母さまの首に狙いを定め、吸い込まれるかのように近づいていく。
「ひっ…いやああああああああああああ!!」
「お嬢様っ!?どうなさったのです?!お嬢様!…お嬢様!!」
堪えきれずに出てきた悲鳴が鼓膜を叩き、光が瞼の向こうから目の奥を刺激する。焦ったような聞きなれた声に恐る恐る目を開けば、必死の形相のマーサがこちらを覗き込んでいた。
「マーサ……?」
「はい。如何なさいました、お嬢様?」
わたくしの呼びかけに、どこか安心したようにフッと目元を緩めたマーサの顔を見て、どこか夢心地な気分になった。マーサが生きてる。そのことがなんだか現実じゃないような気がした。
「マーサ…」
「はい」
「生きてる…?」
「はい?」
カサカサの唇で張り付く喉から何とか声を出したわたくしの言葉に、マーサは驚いたように目を瞬かせた。そりゃ、主語もなくいきなりそんなこと言われて困惑しない人などいないだろう。けれど、わたくしは構わずマーサに手を伸ばす。
「マーサ、生きてる……?お母さまは、お父さまは、メアリーは、ブラッドは、みんなは……生きてる?」
「…怖い夢を見られたのですね。大丈夫ですよ、お嬢様。お嬢様が心配なさっていることは何一つ起こっていませんよ」
まるで小さな赤ん坊をあやすようにわたくしを抱きしめてそう言ってくれるマーサ。その温もりが優しくて、うれしくて。この世界に生まれてたぶん、初めてわんわんと泣いた。




