37.町医者と護衛のお話
「医師!!フェリちゃんが、あの子が…!!」
「お、奥様!落ち着いてくださいませ!」
その日、医師――エルドレッド・ストッパードは朝早くからグラッツェル公爵家を訪れていた。なんでも、グラッツェル公爵の長女、フェリシエンヌが高熱を出したのだそう。まだ日も昇りきらない時間に叩き起こされ、あくびを噛み殺しつつも急いで公爵家の屋敷へと足を運べば、まず初めに普段では考えられないような取り乱し方をした公爵夫人―――フリージア・アイビー・グラッツェルに胸ぐらを掴まれんばかりの出迎えを受けた。必死に彼女を宥める侍女に会釈をし、案内されるままにフェリシエンヌの部屋に向かえば、なるほど確かに。ベットの上に横たわった少女は白い頬を紅潮させて浅い息を繰り返していた。額に手を添えてみると、そこは燃えるように熱い。これまでも、フェリシエンヌが熱を出して寝込むことで自分が呼ばれるのは少なくなかったが、ここまで酷いのはそうありはしない。
横たわった少女を見て一瞬で眠気も吹っ飛んだエルドレッドは、いつも通りに手際よく診察し、治療を施す。とは言え、熱が異様なまでに高いこと以外に何か目立った症状はない。しかし、何か手を打たなければ死んでしまうかもしれない。そんな風に縁起でもないことが頭をよぎる。そんな不吉な考えを振り払うように適切な薬とその量を見繕っていく。それにしても、とエルドレッドは手を止めずに考える。最近のフェリシエンヌお嬢様は危険な目に遭いすぎではないか、まるで何者かが彼女の死を心から望んでいるようではないか、と。だが、未だ社交界デビューを果たしていない上に、体調を崩しがちなフェリシエンヌの交友関係は驚くほどに狭い。そんな彼女を、一体、誰が狙うと言うのだろうか。
「…とりあえず今は、水で濡らしたタオルを額に乗せてあげてください。僕もお側で看病させていただきますが一度、奥様に説明してまいりますので…いつものようにお願いします」
「かしこまりました。こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します」
診察を終え、少女の傍に控える侍女に声をかける。すると侍女は表情は硬いまま、綺麗なお辞儀を返す。確か、彼女はフェリシエンヌお嬢様をいたく可愛がっていたな、とエルドレッドは思い出す。
「そういえば、離乳したフェリシエンヌお嬢様が初めて寝込んだ時に泣きそうな顔で助けてくれと言っていたのも彼女だったか…」
「へぇー。ソレ、初耳ですねー」
ポツリと呟いたエルドレッドの言葉に反応したのは、公爵夫妻の元への案内を買って出た、フェリシエンヌ付きの護衛の少年。中性的な顔立ちの彼はにへらっと笑って、「オレ、マーサさんにいっつも叱られちゃうんですよー」なんて言う。雑に束ねられた青く長い髪を揺らして振り向いた少年の顔にエルドレッドは違和感を感じた。特に変わったところはないはずなのに、何かがおかしい。そもそも、違和感を感じるほどエルドレッドは少年とかかわったことはないはずだが…。失礼だとは知りながらも、エルドレッドはジッと少年を観察する。
「オレの顔になんか付いてますー?」
少年のことをジロジロ見すぎたらしく、人懐っこい笑みを浮かべたまま少年が振り返る。まさか気づかれると思っていなかったエルドレッドは慌てて視線を逸らしながら小さく謝罪を口にする。耳が良いのか、少年はその謝罪すらも拾い上げて大丈夫だと笑う。
「それで、ストッパードせんせーは何か気になることでもあるんですかー?」
「ああ、いや…大したことじゃないんだが…」
「大したことじゃなくても教えていただけると助かりますねー。お嬢様の身の安全に繋がるかもしれませんしー」
身に纏う、のほほんとした空気とは対照に探るような鋭い視線がエルドレッドを貫く。ジッとこちらを見つめられる居心地の悪さに、案内を急かそうと少年の顔を見て違和感の正体に気づく。無いのだ、少年の顔の半分を覆い隠しているはずの真っ黒な眼帯が。むき出しになった左目は事故にでも遭ったのか痛々しい傷跡になっており、それに縁どられた藤色の瞳は不思議なことに、淡く発光しているように見える。その摩訶不思議な光景に目を奪われながらもエルドレッドは微笑み、自分の左目を指さして少年に話しかける。
「今日は眼帯、してないんだな」
「よく見てますねぇ。アレしてると視えにくいですしー。何より、せんせーに説明するならこっちの方がいいかなーて思って」
「眼帯は目を覆うものだろ?見えなくて当然だろうに…。不思議なことを言うな?」
「あー、いやまあ、そうなんですけどぉ…とりあえず、そこらへんも含めて話しますんで聞いてもらえません?」
表情も言葉も、仕草の一つに至るまで締まりのないというのに、その瞳だけが妙な真剣味を帯びていた。その目に気圧されるようにエルドレッドがこくりと頷いて見せれば、少年はにかっと笑って歩き出す。
「まず、オレのこの左目なんですけど。とある事情でここで働くことになった時に潰したんです。そんでそん時に旦那様がそれじゃあ何かと不便だろうってこの義眼をくれたんです。…ただまあ、義眼も普通じゃなくて所謂、特別製ってやつなんです。作った人は魔眼って言ってたんだっけなぁ?まあ、そんなことはどうでもいいんです。とにかく、オレの義眼は特別製で、かけられた魔法を弱めることができるんです。一回に一つだけって制約はありますけど。今はお嬢様にかけられた魔法を弱める為に使ってるんです」
「ちょっといろいろ理解が追い付かないんだが!?」
ペラペラとしゃべりだした少年にエルドレッドは思わず、小さく叫んだ。目を潰したってどういうこと!?義眼が魔眼!?魔眼って何!?魔法を弱める?そんなことできるの!?お嬢様ってフェリシエンヌお嬢様?魔法かけられてるとか初耳なんですけど!!…などなど。言いたいことを詰め込んで出たのがその叫びだったのだ。しかし、少年は頭を抱えるエルドレッドを気にすることなく口を動かし続ける。
「今はオレの義眼でお嬢様にかけられた魔法を何とか弱めてるってことが分かってくれればいいです。重要なのはここからなんで」
「できれば最初からそっちだけを言ってほしかったよ」
「それはすいません。でも、ある程度の背景が分かってないと今から言うことは全く理解できないんじゃないかと思いまして。ええっと…あー、そうそう。ストッパードせんせーに言いたいのはお嬢様の熱はたぶん、オレがお嬢様にかけられた魔法を抑えてる所為なんですよー」
「…ある程度の背景を聞いていても何一つ理解できないぞ…」
「あーっとですねー…経緯は省きますけど、今のお嬢様は闇属性の強力な魔法をかけられちゃってる状態なんです。その魔法を解くために今、旦那様が魔法師団に要請出してくれてるんですけど…やっぱり時間かかっちゃって。そんでその間の応急処置としてオレの義眼の力で抑えてるんです。でも、お嬢様に魔法をかけた術者って言うんですかねー?まあ、そいつがオレが弱めてることに気づいて更に強力にしたんです。オレも当然、抑える力を強めたんですけど…それがお嬢様の体に負荷かけちゃってると思うんですよねー」
「……なるほどな…いや、何にも分かってないが、分かったよ」
自分の理解の範疇を大幅に飛び越えていく話に、エルドレッドは眩暈を感じた。そもそも、魔法は彼の専門外。魔法を弱めるだとか、術者がどうとか、そんなことを言われてもエルドレッドには分からない。ただ一つ、理解できたのは彼の患者が何か大きな力の為に苦しんでいるのだということだけは理解した。
「俺は俺のできることをする。魔法が原因の病気だなんて初めてだが…まあ、分かるだけありがたい。全力を尽くすよ」
「あはは。そーゆーの、オレじゃなくて旦那様と奥様に言ってあげてくださいよ。二人とも不安で不安でしょうがないんですから。せんせーのその言葉で少しは肩の力が抜けるんじゃないですかねー」
そう言って少年は歩みを止めて目の前の扉に手をかける。気が付けばそこはグラッツェル公爵家当主の部屋で、エルドレッドは軽く服装を直す。姿勢を正して前を向き、ふと気になった。そういえば自分は目の前の少年の名前を知らないな、と。
「…今更だけど…キミ、名前は?」
緊張感の漂う中、質問された少年はノックしようとしていた手を止めて、目をぱちくりさせる。エルドレッドの方を振り向いてパチパチと何度か瞬きをした後、二ッといたずらっ子のように笑った。
「それは、無事元気になったお嬢様に聞いてください」
ということで、若き町医者・エル先生と護衛のブラッドくんのお話でした。
一応、ブラッドくんはもの凄く説明下手、という設定です。ので、「ブラッドの説明、なんか分かりづらくね?」って思っても気にしないでください…。
そしてエル先生とブラッドくんを絡ませると、化学反応でゆるいはずのエル先生が苦労人のように…!化学反応ってすごい




