36.ナイフと毒と暗殺者たち
前話から少し時間が飛びます
屋敷の者のみならず、グラッツェル公爵領全体が眠りに包まれた頃。使用人が暮らす、屋敷の一角にある部屋をろうそくが照らしていた。ゆらゆらと頼りなさげに揺れる炎を唯一の光源とした、決して良いとは言えない視界の中、とある少女が己に与えられたベットの上に荷物を広げていた。ズラリを並べられた荷物は整頓されているようでされておらず、どこか雑然とした印象を与える。
眼前に広がる己の荷物。少女はその中から大ぶりなナイフを手に取ると光に透かすように眺め、そのまま興味を失くしたように背後に放り投げる。ナイフは風を切り、唸りを上げながらブレることなく真っすぐ飛び、そのまま壁に深々と突き刺さった…かのように思われた。しかし彼女がナイフを投げた先、誰もいないと思われたそこから低い驚きの声が上がる。
「いきなり何すんだよぉ」
「うるさい。そっちこそジロジロ見てきてどういうつもり?」
「どうって…ここ、オレの部屋でもあるんだから、何してたっていいじゃん。てーか、そんなゴソゴソやってたら誰だって気になるし」
少女の言葉にムッと口を尖らせるのは、少女と同じ年の少年。少女のベットと向かい合わせで設置された己のベットの上で胡坐をかき、退屈そうにその体を揺らす。少年の体が左右に動くのに合わせてベットがギシギシと古びた音を出すが、少年は気にしない。ブツクサと少女に対する文句を言う少年を無視して荷物の整理を再開する少女。そんな状況が少しの間続く。しばらくすれば、少年はあらかた文句を言い終えたのか、揺れるのをやめて表情を消して少女を見る。
「んで?マジでどうしたわけ?そんな格好して…出かけんの?」
「久しぶりに飲みたくなっただけ。そうね…『エメラルドの君』と『月明かりの華』、どっちにしようか迷うわ」
二人の間でしか通じない、言葉遊び。その途中で『エメラルドの君』、『月明かりの華』という単語に少年は眉を寄せた。両方、一本買うために十年は遊んで暮らせる程の金が必要になる、超が付くほど高級なワインである。しかし、少年が眉を寄せたのは少女がそんなものを飲みに行くと言ったからではない。その言葉の裏に隠された意味を瞬時に見抜いたからである。少年は険しい顔のまま、少女をじっと見つめて詳細を促す。背後からの視線をヒシヒシと感じて、少女は少年に向き直った。
「どういうこと、メアリー?」
「どうもこうもないわ。そのまんまよ。旦那様に頼まれたの」
「…臆病なあいつがそんな大胆な真似、できると思わないけど」
「私だって信じられないわよ。けど、実際に証拠も出てる。余程大口の仕事か、それとも邪魔をされたのがそこまで腹立たしいのか…なんにせよ、あっちが本腰入れてきてるのは間違いないはず。警戒するに越したことはないわ」
「ふぅん」
少女―――メアリーの言葉に、少年は興味なさそうに相槌を打つ。実際は興味がないのではなく、少しばかり他のことに注意を向けていて返事がおざなりになってしまっただけなのだが。付き合いの長いメアリー相手でなければ糾弾されても文句は言えなかっただろう。それはメアリーも同じで、話の途中から傍に用意してあった自分の鞄を漁り始めていた。そうしてゴソゴソと鞄の中を掻き回してやっとのことで見つけたお目当ての物を引っ張り出し、少年に投げつける。緩やかな弧を描いたそれを少年は簡単に片手でキャッチし、頼りなく揺れる光に翳す。少年の手の中にある小瓶。握ってしまえばすっぽりと隠れてしまうであろうそれの中では、青色の怪しげな液体がちゃぽん、と波打つ。
「これ、ヘビ?」
「たぶん、ドライアドかマダラグモだと思う。それを確かめる為にも行くんだけど」
「ドライアドっつたら…有毒植物だっけ?死体の上に咲くっていう」
「そう、それよ」
「あー、それで『エメラルドの君』と『月明かりの華』ね。全部南のやつだ」
「今更?」
「オレ、メアリーみたいに頭がいいわけじゃないんで」
軽口を叩き合いながら、少年はメアリーに小瓶を投げ返す。メアリーはそれを少年に対して横を向きながらちらりとも見ずに掴み取ると、そのまま無造作に鞄に放り込んだ。それを見届けて少年は苦笑する。
「一応、毒物なんだしもう少し丁寧に扱いなよ。…んで?そんな珍しい劇毒、旦那様はどこで手に入れたのさ?」
「旦那様が手に入れたわけないでしょ。旦那様はただ押収したに過ぎないわ。持ってたのはミーシェよ」
「ミーシェって、あの?」
「そう。渡したのはきっとあいつだから、その入手ルートを洗い出して証拠を揃えるの。いずれ追い詰めた時のためにね」
「わぁお。ちなみに、使用目的は聞き出してんの?」
「当たり前でしょ。旦那様がミーシェの実家の方に圧力かけて勘当させてくれたから心置きなく訊けたわ。丁寧に聞いたらそりゃもう、色んなことペラペラ話してくれたから」
「何それ、オレも同席したかったんだけど。ま、いいや。オレは今屋敷から出らんないからさ。しっかりやってきてよね」
「誰に物言ってんの」
そう言ってメアリーは財布と小瓶を鞄に入れ、そして最低限の武装だけをして残りの武器を次々と何もない空間に放った。それらはまるで何かに吸い込まれるように姿を消し、メアリーが眼帯を付け直すときにはベットの上は、散乱していた荷物の数々が一度でも存在したことがなかったかのようにスッキリしていた。軽く身だしなみを整えると、鞄を手に取って少年を見る。
「…じゃあ、これからしばらくは私、夜いないから。お嬢様のことよろしく。また帰ってきたらお嬢様が傷ついてるなんてことのないように」
「ん。任せろ」
「任せたからね、ブラッド」
しつこく念を押すようなメアリーの声にへらへらとした笑みを消して、少年ことブラッドは大きく頷く。それを確認したメアリーは鞄を肩にかけて暗闇へ消えた。
「さーてと…メアリーも仕事もらっちゃったみたいだし、のんびりまったりしてるワケにゃあ、いかねーよな…。せめて、あの人が到着するまでは頑張ってくれよ、相棒」
暗闇に溶けたメアリーの背中を目で追いながら、自分の左目に手を添えたブラッドの呟きに反応するように、ろうそくの火がゆらりと揺れた。
*******
真っ暗な夜道をメアリーはひた走る。本来なら馬を使う距離でさえ、彼女は自分の足を使う。姿勢を低くし、足音を極限まで殺し、気配を消し、息を乱さず、闇の中を縫うように走る。そうして整えられた街道を通りグラッツェル公爵領の端まで駆け抜ける。そうしてグラッツェル公爵領と隣の領との境目の、少しばかり治安が良くない地域の路地裏。迷路のように入り組んだ路地を抜けた先にある古びた酒場。迷いなくそこに足を踏み入れれば、そこにいた客全員からじっとりとした視線を向けられた。しかしメアリーは気にすることなく、むしろ己が品定めをしているような視線で店内を見まわしてカウンター席に腰を下ろした。
「ここはガキの来るとこじゃあねえぞ。早くお家に帰りな、坊ちゃん」
酒瓶を片手にフラフラとメアリーの隣に座った男が下卑た笑みを浮かべてメアリーの顔を覗き込もうとする。しかしメアリーはそれを無視すると向かいでグラスを洗っていた男に話しかけた。
「久しぶり、マスター。いつものお願いできる?」




