35.宰相と魔眼と奇妙な生き物
フェリシエンヌが生きた人形のような状態から回復したことを知った朝食後、シュヴァルツは妻、フリージア・アイビー・グラッツェルと共に書斎にいた。先ほどまでの和やかな雰囲気はなく、眉間にシワを寄せて難しい顔をする夫妻の前には、一人の使用人の姿。冒険者風の服に身を包んだ彼女はただただ無表情で夫妻を見つめていた。隣り合って椅子に腰かけるシュヴァルツとフリージア、その前にピンと背筋を伸ばして立つ使用人。その間には鳥かごのような形の約50cm四方の檻が置いてあり、その中に捕らえられている生き物はどうにか逃げ出そうと躍起になって暴れている。
「……私の聞き間違いか、メアリー?今、その奇妙な生き物がフェリシエンヌを苦しめている、と言ったように聞こえたんだが」
「聞き間違いではございません、旦那様。この生き物はフェリシエンヌお嬢様に闇属性の魔法をかけております。ブラッドの『眼』で確認いたしましたので、まず間違いはないかと」
淡々と、しかしどことなく怒りを含んだメアリーの言葉に、シュヴァルツもフリージアも揃って怪訝な顔をした。それもそのはず。魔法とは基礎魔法を除いて、基本的にそれなりに複雑な構築式を「理解」していなければ使えないものだ。人間ですら「複雑」と感じるそれを、人間よりも知能の低い動物に理解することが可能だとは到底思えなかったのだ。事実、動物が魔法を使ったなどという話は聞いたことがない。困惑する彼らをよそに、メアリーはがしゃがしゃとうるさい檻を軽く蹴り上げる。
「メアリー、お行儀が悪いわ。それに、中にいる動物を怯えさせてしまうでしょう?」
「…申し訳ありません、奥様。どうにもコレがお嬢様をくるしめていると思うと体が勝手に……。以後、気を付けます」
メアリーの蹴りに驚いたソレは暴れまわるのをやめ、隅に小さくなって一時的に大人しくなった。その様子を見たフリージアがメアリーに苦言を呈すも、メアリーは悪びれる様子もなくしれっと口先だけの謝罪を口にした。そんな彼女にフリージアはその美しい顔を顰め、シュヴァルツは大きくため息を吐き出した。フェリシエンヌ至上主義のメアリーにとって、フェリシエンヌに危害を加えたものは何者であろうと許しがたい存在であるのだ。それ故に、シュヴァルツとの「契約」を守って誰一人として殺してはいないものの、常にやりすぎてしまう。その過激さ・過剰さを嫌というほど知っているシュヴァルツは何度言っても治らないソレに、もはやため息以外の何も出てこなくなっていた。
「……魔法を使う動物など、聞いたことないが」
今ここでメアリーを注意しても、いつものように形だけの反省と心のこもらない謝罪、そしてしばらくの大人しさしか返って来ないのは容易く想像できた。故に、シュヴァルツは話の先を促した。すべてが無事、解決したのなら、メアリーの暴走癖をどうにかするよう、フェリシエンヌにそれとなく相談しよう、と心の中で決意して。
「それでしたら以前、王城に忍び込んだ際に文献で読みました。なんでも、世の中には『魔法生物』なる生き物が存在するそうです。魔力が異様に高く、それに伴い少なくとも人間の3~5歳児程度の知能をもっていて…」
「ちょっと待ってくれ、メアリー。王城にある文献だと?私も一通り目を通しているがそんなものはなかったはずだが」
「…王城の図書館ではなく、魔法師団の研究施設の書庫…それもかなり奥まった場所に隠されるように置いてあったものでしたから。旦那様がご存じないのも無理はないかと」
「想像以上に不味いじゃないか」
魔法師団。それはここ、ビスティア王国一の魔法のスペシャリスト集団である。騎士団と並ぶ王国の主戦力であり、王城にその研究室を構えて日夜魔法の研究に没頭している者たちの集まりである。それ故に、彼らは公的に存在しないことになっている魔法に関する資料を山ほど所持・管理している。その危険性から王族でさえ閲覧を許されないものも多くあると聞く。そんなものを自分の可愛い娘がどこかから拾ってきた元暗殺者は見たことがあるのだという。そんな重大な事実に、シュヴァルツは、目の前の少女を咎めればいいのか、それとも魔法師団に警備を強化するよう進言すればいいのか、彼の優秀で良く回りすぎる脳はそんなことも判断に困るようになり、シュヴァルツは頭を抱えた。今、彼が幼い子供のように衝動のまま頭を抱えて走り回ったとして、どうして彼を責められよう?
今にも倒れてしまいそうな程、顔を蒼白にするフリージアを気遣いながらもシュヴァルツはメアリーを正面から見据える。そんな緊張感に支配された中、それを打ち破るほど大きな音を響かせて書斎のドアが開けられる。イノシシの突進でも受けたのかと思うようなその音の中心に目を向ければ、そこには肩で息をし、額に汗を滲ませたブラッドの姿があった。作法のさの字もないブラッドの突撃に、いつものように眦を吊り上げて小言を言おうとしたメアリーは、自身の片割れの必死な形相に目を瞬かせる。
「メアリー!!アレは!?いる!?」
「は、はぁ?」
「お嬢様にちょっかい出してたアレ!もう捕まえてるよね!?どこにいるの!?」
「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ…!旦那様と奥様の御前なのよ?」
「そんなの今はどうだっていい!!それよりもお嬢様が!!」
自身が忠誠を誓ったのとは別人だとしても、雇い主を前にしてどうでもいいだなんて口走る片割れに、メアリーは絶句した。まさか、長年隣にいた己の半身とも言える存在がここまで愚かだったのか、と落胆さえした。しかし、その後に続いた名詞に、フリージアが激しく反応した。
「フェリちゃんが…フェリちゃんがどうかしたの!?」
悲鳴にも近いその声にメアリーは思わず肩を跳ねさせた。そこには血の気の引いた顔でこちらを凝視するフリージアの姿。何かに怯えるように唇を震わせ、椅子から身を乗り出し、その瞳を潤ませている。何か一言でも発してしまえば取り乱すんじゃないかと思うほどのその姿に、メアリーは珍しく動揺した。ここまで弱った姿を見せるフリージアを見たことがなかったのもあるが、それ以上にフリージアが今にも壊れてしまいそうに見えたのだ。今朝、自分たちと接することで―――ブラッドの『眼』を使ってフェリシエンヌにかけられた魔法を弱めた。それまで、自らに課せられた仕事をこなしながらも献身的にフェリシエンヌに添い続けたフリージアの心労は限界に達そうとしていた。それを瞬時に悟ってしまったらこそ、メアリーは動揺したのだ。ここでブラッドに答えさせるのは悪手ではないのか。そう思ったメアリーは一度シュヴァルツの方を見る。しかし、シュヴァルツはただ一言、「フェリシエンヌがどうかしたのか」とブラッドに問うた。目を丸くするメアリーをよそに、息が上がったままのブラッドは興奮気味に小さく叫ぶ。
「お嬢様が…!お嬢様が、倒れて…!」
その瞬間、フリージアがヘナヘナと床に崩れ落ちた。咄嗟に動いたメアリーが抱き留めるも、フリージアは譫言のようにどうしてを繰り返す。そんな妻の背に手を添えながら、シュヴァルツは厳しい顔でブラッドを見る。
「原因は分かっているのか?」
「えっと…とある、生き物の魔法です。その生き物は闇属性の魔法が使えて、それで気に入ったものをなんでも欲しがるんです。それが人だった場合、闇属性の魔法を使って精神を壊してそれで、自分のものにするって…」
「随分、趣味の悪いことを…フェリシエンヌの容体は?」
「今は、オレの『眼』使って抑えてます、けど…魔法の力を強められたらしいんでこっちも出力上げてるんで、お嬢様の体にかなり負担がかかってんだと思います」
「倒れた原因はそれか?」
「おそらくは」
シュヴァルツと話すうちに落ち着いたらしいブラッドは、一つ一つ、しっかりと受け答えをしながらブラッドは己の左目に手を添える。そこにはいつも着けている眼帯はなく、丸見えの義眼は藤色に淡く輝いていた。
実は、メアリーとブラッドの義眼はシュヴァルツが特注で作らせた特別製のもの。メアリーの義眼は見た者の『真偽」を見破り、異空間を展開する能力を持ち、ブラッドの義眼は魔力を読み、魔法を封じる能力を持つ。魔力を流すことによって淡く発光し、能力を使うことができる義眼を、製作者は『魔眼』と呼んでいたことを、シュヴァルツはふと思い出した。
「…フェリシエンヌにかけられた魔法を解けば問題ないのか?」
「わかりません。少なくとも中級以上の魔法でしょうから…」
「そうか…。ブラッド、どれくらい持ちそうだ?」
「長くて二週間、短くて三日ですかね」
「アイツを呼ぶ。一週間は持たせてくれ」
「……ガンバリマス」
そうしてシュヴァルツは王都に手紙を出すべく、ペンを執った。




