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30.謝罪と感謝と温もり

「あ、あのっ…お父さま!お母さま!!」



 一人一人へ挨拶を終えたヴィクターがトコトコと小走りで席に着いたのを見届けてから、妙に渇いた喉を唾で潤して声を上げる。思っていた以上の大きな声が出てしまったが、今のわたくしにそれを気にしている余裕はない。何故だかわからないけれど、驚くほどに緊張してしまっているのだ。口はカラカラ。頭の中は真っ白。体には余計なまでに力が入ってしまっている。

 ただ一言……ただ一言、「心配かけてごめんなさい」って、そう言いたいだけなのに。痛いくらいに早鐘を打つ心臓を落ち着かせるように胸に手を添えて視線を上げる。すると、視界に映ったのはお父さまにお母さま、お兄さまとヴィクター……そして使用人たちの、みんなの怪訝そうな目、目、目。

 当たり前だ。いきなり大声を出してそっから何も言わなくなってしまったのだから。注目を集めるのは当然のことだろう。



『ねえ、お嬢様ってなんだか不気味じゃない?あんな事故に遭って足動かなくなっちゃったのにへらへらしちゃってさ。これから一生、何にもできなくなったのにねー。グラッツェル公爵家の汚点だよ、あれは』



 リィン、と金属が鳴る音がして蘇ったのは、いつか聞いたメイドの言葉。なんでこんな時に思い出すんだ!と思いながらも、胸の中を不安が支配する。

 口が震えて言葉が出てこない。

 きっとわたくしが謝ればこの場にいる全員が、大丈夫だと、もう体は問題ないのかと笑って言ってくださるだろう。だが、その笑顔がニセモノなら?いつか見た、お父さまの目だけが笑っていない笑顔……アレをこの場で向けられたら?

 この家族に限ってそれは無いだろう、と思いつつもそんな風にばかり考えてしまって体が竦む。なんでこう…マイナス方向にばっかり考えちゃうかなぁ、わたくしは!!

 耳に残るクスクスという、嫌な笑い声を頭を振って追い出して大きく息を吸う。

 覚悟を決めろ、フェリシエンヌ!!女は度胸だと言うでしょう!?……いや、愛嬌だっけ?

 まあ、そんなことはどうでも良いのよ!!


 くだらないことを考えていつもの調子を取り戻せたのか、少しだけ肩の力が抜ける。静かに息を吐き出してバックンバックンうるさい心臓に落ち着けと胸に手を添える。それだけで幾分か余裕が出てくるのだから不思議だ。



「あの、皆さま……申し訳ございませんでした!

 ここ最近のわたくしの言動をお兄さまがお話しくださいました。ずっと上の空で、随分と態度も悪いものだったと思いますし……何より、あの事故から間をおかずに幾度となくご心配をおかけしたと思います。だから……えっと……」



 目の前のテーブルに頭をぶつけないように気をつけながら深々と頭を下げる。頭を下げたことで周囲に顔が見えなくなったことをいいことに、ぎゅっと固く目を閉じる。考えていた言葉も全部、途中から吹っ飛んじゃって行き当たりばったりな感じがするけど、それでもちゃんと謝罪する気持ちが伝わればいいなって。

 わたくしの言葉も途切れ、誰も彼もが黙ったまま、10秒、20秒……と時間が過ぎていく。たかだか数秒がこんなにも長く感じられるのだから、緊張とは本当に厄介だ。



「あら。フェリちゃん、何を謝っているの?いきなりだったからびっくりしちゃったわ」

「えっと……わたくし、ずっと上の空でほとんど無視しているような状態だったそうですし…何度も何度もご心配をおかけしましたし……だから、その……色々、です……」



 朗らかなお母さまの声に顔を上げずに答える。……段々と尻すぼみになってしまったが。

 だって、お母さまのコレって…「自分で何やったかちゃんと分かってんの?」って意味でしょ?そうだよね?

 下を向いたままぷるぷると、周囲にバレないように震えていると、お母さまがあら、と驚いたような声を上げる。



「それはフェリちゃんが謝ることかしら?……あぁ!ごめんなさい、フェリちゃん。そういう意味で言ったんじゃないの。フェリちゃんが何か謝らなければならないようなことをしちゃったのかしらって驚いてしまっただけなのよ〜。

 だから、ね?顔を上げてちょうだいな。フェリちゃんはなぁんにも悪いことをしていないでしょう?」



 驚くほどに優しいお母さまの声に恐る恐る顔を上げると、お母さまはそりゃあもう、花の咲くような柔らかな笑みを浮かべていた。その目に、わたくしが心配していたような冷たさはない。……まあ、社交界を生き抜いてきたお母さまだ。上手く隠しているのかもしれないけれど。



「け、けれどお母さま……わたくしは…その……」

「言ったら悪いと思うけど、私、フェリちゃんがああなってしまってちょっと安心しちゃったわ」

「……え?」



 悪いことをしていないから謝る必要なんてない、と言うお母さまに反論しようとすると、お母さまがふふっと笑いながらちょっとした爆弾を落とした気がする。

 ……あー、ダメだ。なんか予想外の反応にびっくりして頭が追いつかない。



「だってフェリちゃん。あの日目覚めてすぐに足が動かなくなっちゃったことに気付いたでしょう?私はどうフェリちゃんに伝えたら良いのかずうっと悩んでいたのに、フェリちゃんったらなんてことのないようにけろりとしているんだもの。

 もしかしたらショックなのを隠して無理しているんじゃないかって。わざとお勉強に気を向けて紛らわしているんじゃないかって、却って心配していたのよ?ねえ、旦那様?」

「え?あ、あぁ。そうだな。

 だからこそ、私たちがなるべく側にいられるようにしようとしたし、少し間が空いたがお前が上の空になった時、自分の中で整理をしようとしているんだなと見守ることにした。

 ……もちろん、安心よりも心配の方が勝ったがね」



 拗ねたように唇を尖らせつつも、どこか茶目っ気たっぷりなお母さまに話を振られて、目を瞬かせていたお父さまもお母さまの言葉に同意する。安心よりも心配した、と言うお父さまは少し苦笑いを浮かべている。その姿に目をぱちくりさせながらも慌ててごめんなさい、と言おうとすれば、「ごめ」まで言ったところでお母さまに遮られてしまう。



「もう!フェリちゃん!!今回の件に関しては、フェリちゃんが謝る必要は全くないのよ?

 だから、ね?謝罪とはもっと別の言葉が聞きたいわ。朝からそればかりじゃ気分も沈んじゃうわ」



 ね?と小首を傾げるお母さまを見て。

 お母さまの言葉に頷くお父さまを見て。

 何やってんだよ、と言わんばかりの視線を送ってくるお兄さまを見て。

 話について行けずにきょとんとしているヴィクターを見て。

 何故だか生温かい目をしている使用人達を見て。

 あぁ、自分はなんて見当違いな心配をしていたんだろう、と。なんて馬鹿な妄想に振り回されていたんだろう、と、自然とそう思った。

 だからこそ、わたくしは口を動かしてたった今思ったことを口にする。



「ありがとう……ございます…!!」



 心配してくださってありがとうございます。許してくださってありがとうございます。見守ってくださってありがとうございます……。次から次へと湧き上がってくる感謝を、たった一言漏らせば、皆んながその口元に笑みを浮かべる。自分の口角が上がるのだって感じた。



「さて、それじゃあ……もうそろそろお食事にしましょうか」



 そんなお母さまの言葉と共に動き出した使用人たちを眺めながら、自分の胸に手を当てる。

 さっきとは別の理由でドキドキとうるさいそこは、冷え切ったさっきまでとは違い、ぽかぽかと温かかった。

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