第141話 チェックメイト
「姉御、ついに変身しやしたか……」
翔子とともに戦いを見守っていたシドは、誰にともなく呟いた。
思えば、ザンティが真の姿に変身するのを見るのはしばらくぶりだった。地上への立ち入りを制限され、所要があれば基本的にシドに頼んでいる彼女。いつも彫刻の作業をして時をすごしているようなので、ドラゴンバトルを行うのも珍しいのだ。
とはいえ、それは決してザンティが『弱い』ということと繋がるわけではない。
「姉さん、本気を出す気だね」
姉に戦線からの離脱を命じられ、ベルナールはシドと翔子のそばに移動していた。今の彼は傍観者だったが、もしシドや翔子に危険が及ぶ状況になろうものなら、身を挺してふたりを守るつもりでいた。
ザンティにいらぬ気遣いをさせず、彼女が戦いに集中できるように努める。それが、今のベルナールの役目だった。
「これならもう、勝負は決まったと思いやすぜ」
「そ、そんなに強いの……? あのドラゴンゾンビ……」
翔子がシドに問いかける。彼女はまだ、シドから渡されたマスクを着用したままだった。
「ええ。少なくとも、僕よりは……」
シドの代わりに、ベルナールが答えた。
エヴリンを相手に、ベルナールは劣勢を強いられた。決して、ベルナールが弱かったわけではない。毒を操るベルナールにとって、それを無効化してしまうエヴリンは相性が悪い相手だったのだ。
だが、エヴリンの耐性を貫通するほどの劇毒を操るザンティであれば十二分に勝機はあると思えた。それ以上に、姉は自分以上に強い……ベルナールはかねてより、そう自負していたのだ。
ヴェノムクイーンという通り名は、伊達ではない。
◇ ◇ ◇
満月を背に、ザンティは滞空していた。彼女の赤い翼が羽ばたくたびに、風を切る重い音が規則正しい感覚で響き渡っていた。
「久しぶりだね……ザンティのその姿を見るのも」
無理もない。変身するのがいつ以来か、もうザンティ自身も思い出せないくらいだ。
「これが見納めになると思うわよ。そしてしばらくはもう、あなたと会うこともなくなるでしょうね」
言葉の意味は、説明するまでもない。
変身するのが久しぶりとはいえ、ザンティは決して戦い方を忘れてしまったわけではない。真の姿に変身したということは、本来の力を解放したということだ。
制圧されれば、おそらくエヴリンはもう二度とザンティの真の姿を見ることも、そもそも彼女と顔を合わせる機会すらなくなるだろう。殺人未遂に加えてエニジアの使用、重い罪に問われるのは想像に難くなかった。少なくとも、向こうしばらくは人間界に立ち入れなくなるはずだ。
それどころか、ザンティが言ったように、そもそも彼女達が顔を合わせる機会すらないだろう。
エヴリンが収監されれば、会おうにも会えない。
「冷たいこと言わないでよ。まあいいや……だったら、その前に気が済むまで遊べばいいでしょう!」
もう会話は不要だと言わんばかりに、エヴリンは翼を羽ばたかせて飛び上がり、ザンティへと迫った。
触手による攻撃は繰り出してこなかった。それを行ったところで、切断されて防がれるのが関の山だと判断したのかもしれない。
ザンティは動かなかった。
自らに向けて伸ばされるエヴリンの片手を、彼女はその鋭利な爪で振り払う。たったそれだけの動作でザンティの劇毒が注入され、たちまちエヴリンの片手は壊死し始めた。
「残念だけど、もうあなたは私に触れることもできないわよ。触れたが最後……私の毒で自滅ね。もう、勝負は決まっているの」
その気になれば、劇毒のブレスを浴びせて簡単に勝負を決めることもできた。
しかし、ザンティはあえてそれをしなかった。近くにベルナールやシド、それに(防毒マスクを装着しているとはいえ)人間の翔子もいた。できれば彼らを巻き込むリスクは避け、穏便に済ませたかったのだ。
それに、願わくばエヴリンに投降してほしかったのだ。
今でこそ敵対しているが、かつては友人でもあった彼女を傷つけたくはない。せめて自首してくれれば、多少なり減刑されることも考えられた。
「ふふ、そんなことないよ……エヴリンにはまだ、秘密兵器があるもの!」
せめてものザンティの想いは、エヴリンには届かなかった。届くどころか、一蹴された。
エヴリンが取り出した物を見て、ザンティは息をのんだ。シャープペンシルの芯を入れるケースのような容器だった。
中に入っているのが何なのかは、もはや考えるまでもない。
「エニジア……!?」
止める暇はなかった。
ケースを上空に放り投げたと思うと、エヴリンは投げ食いでもするように落下してきたそれに食いつき、音を立てて噛み砕いた。
「一本で足りないなら、もう一本食べればいい……!」
言葉から察するに、エヴリンはすでにエニジアをケース一本分服用していたようだ。
ドラゴンの戦闘能力を増強させる作用を持つ禁止薬物、足りないと判断した彼女は、なんともう一本摂取することにした。単純にして危険で、愚かな思考回路だとザンティは思った。
あんなことをすれば、身体にどのような影響があるのか想像もつかない――変化は劇的だった。
天を仰いだエヴリンが、狂気的な咆哮を上げた。
暗闇の中でぎらつくように光を放つ両眼が、不気味で目を逸らしたくなった。今のエヴリンはドラゴンというよりも、まるで狂気に支配された化け物だ。
「があああああああああッ!」
エニジアの作用によって、思考も消し飛んだのだろうか。
叫び声を上げながら、エヴリンはザンティに再度襲い掛かってきた。意識を失っているように見えるが、ザンティに対する敵意は忘れていないらしい。
今のエヴリンが見境なく暴れ回れば、近くにいるベルナールやシドどころか、他の人間達にまで危害が及びかねない。どんな言葉も届かなくなった今、力ずくで制圧する以外の選択肢は消え去った。
「恨まないでね、エヴリン」
ザンティは翼を羽ばたかせ、エヴリンから逃れるように夜空へと舞い上がった。
逃げようとしたわけではない。エヴリンがどのように仕掛けてくるのか、様子を見ようとしただけだ。
追いつくのは難しいと判断したのか、エヴリンはザンティに向けて触手を伸ばしてくる。ザンティは鋭利に尖っている翼爪や尻尾の先端を振りかざし、それらを切り裂いて迎撃した。ドラゴンの姿に変身している今ならば、迎撃の手段はより豊富だった。
切り裂くことはできたが、触手が壊死することはなかった。毒の耐性も増強され、ザンティの猛毒も通じづらくなっているようだ。
(理性を吹き飛ばされているけれど、それ相応の見返りは得られているってことね)
だがもちろん、勝利への道が閉ざされたわけではなかった。
その後もエヴリンは触手による攻撃を続けてきたが、ザンティはそれらすべてを防ぎ切った。
壊死しているわけではないので、再生できなくなったわけではない。しかしながら、切断された触手が再生するには多少の時を要した。
エニジアによって思考を飛ばされていたエヴリンは、闇雲に攻撃を連発してくるのみだった。それは苛烈な波状攻撃ではあったものの、真の姿に変身したザンティならば捌き切るのはそう難しくはなかった。
まもなくして、反撃の機会が訪れた。
触手の大半が切断されて、エヴリンの攻撃力が大幅に減退する。ザンティはその瞬間を逃さずに、一気に反撃へと転じた。
「エンドゲームだって、言ったでしょう!」
残された数本の触手が迫ってくるが、もはや迎撃の意味すら成してはいなかった。
もう不要だと判断したザンティは、自ら人間の姿へと戻った。しかしもちろん、臨戦態勢を解いたわけではない。人間の姿でいるほうがより素早く機敏に動き回れ、的が小さくなることで触手に捕まるリスクも低減できたのだ。
眼中にないと言わんばかりに、空中で華麗に身を翻して触手をかわす。距離を詰める最中、新たな毒棘の剣を作り出して構える。その射程内へと迫った瞬間、ザンティは切っ先をエヴリンの腹部へと突き刺した。
「ぎゃああああああああ……!」
痛々しい叫び声を上げたと思うと、エヴリンがぐらりと身を揺らし、そのまま地上へと落下していった。エニジアによって耐性が増強されているとはいえ、それは絶対の壁ではない。
ザンティが毒の濃度を上げれば、エニジアなど無意味だ。ヴェノムクイーンと称される彼女が操る劇毒を、簡単に防ぐことはできない。
エヴリンを追って降り立ったザンティは、その背中から翼を消失させた。
「チェックメイト」
エヴリンの腹部から毒棘の剣を引き抜きながら、ザンティはドラゴンバトルの終了を宣言した。
気を失ったエヴリンには、もはや聞こえていない。毒の濃度を多少上げたとはいえ、手心は加えておいた。エニジアが及ぼす影響がどれほどかは分からないが、少なくともザンティの毒で死に至る可能性はないはずだった。
「エニジアなんかに頼った時点で、あなたの破滅は決まっていたのよ」
倒れ伏したエヴリンに背を向け、遠ざかるように歩を進めながら、ザンティは呟いた。
そんな彼女を包み込むように夜風が吹き抜け、ツインテールに結ばれた髪が空を泳いだ。




