第140話 エンドゲームの宣告
ヴェノムクイーンと称されるようになったのはいつの頃からか、ザンティはもう覚えてすらいない。
しかし、直訳で『毒の女王』を意味するそのニックネームの由来は、彼女自身が誰よりもよく理解している。ザンティが有する、ドラゴンゾンビとしても規格外といえる強さの毒を操る能力だ。
「まったく……」
シドに石礫を喰らわせたザンティは、エヴリンへと向き直った。
呆れたような表情を浮かべているのは、自身の能力が疎ましく感じられているからだった。
殺傷能力が高すぎる能力を持ち合わせているために、ザンティは面倒な手続きを済ませなければ地上に降り立つことすら許されない。もし許可を得ないまま地上に向かおうものなら、人間界でいうところの『密入国』状態となり、龍界にて罰に処されるだろう。
しかし、ザンティが自身の能力を疎ましく感じる最たる理由は他にあった。
彼女が操る毒は、弟のベルナールを含む他のドラゴンゾンビと比べても抜きん出た強さを誇っている。その毒性たるや、エヴリンの触手を壊死させたように耐性をものともしないほどだ。それは単純に攻撃力が高い、ということに留まらず、必要以上に相手を傷つけて死に至らしめてしまう危険がある。
(この力……はっきり言って下手に使いたくはないのよね)
ザンティはあまり考えないようにしているが、やはり気になってしまうこともある。
普段ならば、煙草でも吸って気を紛らわせるところだ。しかし今は戦闘中なので、それはできない。
こんな戦いは、早く終わらせてしまおう。ザンティはエヴリンへと向き直った。
一刻も早く決着をつけることが、自分のためにも彼女のためにもなる。それが、ザンティの結論だった。毒棘の剣を構え直すザンティの視線の先で、エヴリンは触手を蠢かせていた。
「楽しいお遊びになるね……!」
ザンティに切断された触手は、断面が壊死していて再生する様子はなかった。
しかし、まだ九本も残っている以上は気を抜けないだろう。
それにザンティが自身に対抗できる能力を有していると思い出した以上、エヴリンが同じような単調な攻撃を続けるとは思えなかった。そんなことをすれば、武器である触手を自ら捨てるようなものだ。
確実に自分を仕留めるために、何らかの搦め手を講じてくるはず――その予想は、当たっていた。
「避けてごらん!」
複数の触手――ざっと数えて五本ほどが、一斉にザンティへと迫りくる。
それもただ闇雲に伸ばされたわけではなく、ザンティの正面、側方、後方から取り囲むように放たれたのだ。馬鹿正直に攻撃しても無意味だと判断し、数本の触手を切断されるのを覚悟で仕掛けた攻撃だ。
数と変則的な動きに物を言わせ、捌き切れない攻撃によって追い詰める。それが、エヴリンが見出した戦法のようだ。
「なるほど……」
ザンティは、迎撃という選択肢を早々に放棄した。
前後左右から迫る五本もの触手を、一度にすべて打ち払うのは、現実的な対抗手段ではなかった。ザンティの得物は、両手に携えた毒棘の剣が二本。上手く見切れたとしても、対処できるのは触手の二本か三本くらいだと思った。
だからといって、何もせず攻撃を受けるつもりなど微塵もない。
迎撃が困難であるならば、残るは回避。建物からこの場に降り立った時のように、ザンティは身を屈めて力を込め、自身の身長の何倍もの高さまで跳び上がった。前後左右を塞がれている今、彼女の退路は上空のみだった。
標的を失った触手が絡み合うように交差するのを、ザンティは空中で見た。
「逃がさない……」
エヴリンは執拗だった。
今度はザンティの着地点に狙いを定め、触手による追撃が繰り出される。
一瞬の隙を逃さず、確実に仕留めるつもりだったのだろう。今度は、触手すべてを束にするように放つ攻撃だった。
だが、それもザンティの身を貫くことはない。
危険を察知したザンティは即座に後方に飛び退き、回避する。触手の束はザンティではなく、彼女が数秒前まで立っていた道路を打ち砕いた。轟音と砂煙が巻き上がり、無数のアスファルトの残骸が周囲に飛散した。
細い触手からは、想像もつかない威力だった。
速度に破壊力、さらに高い制御能力まで兼ね備えたエヴリンの触手。それはまさしく彼女の最大の武器であり、切り抜けるのは容易ではないことが伺い知れる。
さらに、この場はとても薄暗い。暗い場所に目が慣れているザンティでなければ、触手の動きを見切るのは難しかっただろう。
「追い詰めたよ……!」
さらに、エヴリンは無意味に攻撃を繰り返していたわけではなかった。
ザンティが後方を一瞥すると、そこには大きな廃ビルが建っていた。逃げ道を塞ぐために、エヴリンはこの場に追いやる形で攻撃を繰り出していたのだ。
後退できなくなれば、触手から逃れるのはさらに難しくなる。ザンティを倒すために、ここまで先読みして算段を張り巡らせていたのだ。
「鬼ごっこは、もうおしまいだね」
エヴリンは、勝利を確信した様子だった。
最初の一本の触手は切断されたうえに、毒によって壊死させられたことで再生も不可能になった。だが、状況はザンティにとって好転したとは言い難い。ザンティの対抗手段を、エヴリンは簡単に塗り潰してしまったのだ。
退路を断たれたこの状況で、また四方から攻撃を繰り出されれば――迎撃も回避も困難だろう。
「それじゃザンティ……バイバイ!」
無邪気にして邪悪なエヴリンの言葉は、死刑宣告に他ならなかった。
再び五本の触手が襲い掛かる――ザンティは、その場で身を翻した。
逃げ道などありもしないのに、往生際悪く回避などできるつもりなのか。エヴリンはそう思ったが、それが完全な誤りであることに気づかされるのは、すぐのことだった。
光が集まったと思った瞬間、ザンティの背中にドラゴンゾンビの翼が出現する。
しかし、彼女は飛ばなかった。翼による揚力を利用し、ザンティは壁を垂直に駆け上がり始めたのだ。
「え……?」
予想外の挙動を取られたことで、エヴリンは触手による攻撃を外してしまった。
軌道を修正してすぐに攻撃を再開しようとするが、できなかった。
ザンティは壁を蹴って離れ、宙返りしながら両手に携えていた毒棘の剣を放り投げた。狙いは的確で、エヴリンの触手を二本切断した。
手を離れても、当然ながら毒素は分泌され続けている。触手の断面はザンティの劇毒でたちまち壊死し始め、再生が不可能になった。
「くっ……まだ!」
触手の本数を減らされて、焦りを抱いたらしい。エヴリンは、残りの触手をザンティに向かわせた。
焦燥感から繰り出されたやぶれかぶれの反撃とも思えたが、決して不適切だったわけではない。というのも、ザンティは今毒棘の剣を手放しているからだ。
しかし、結果的にはそれも悪手だった。
ザンティは、新たな毒棘の剣を瞬時に作り出して構えた。それは彼女にとって、造作もなく成せる業だったのだ。
防ぐ手段がないと思って繰り出された、正面から迫るだけの触手。それを見切って迎撃するのは、ザンティにはいとも簡単なことだった。
「邪魔よ!」
言い放ちつつ触手を両断したザンティは、翼を羽ばたかせて上空からエヴリンへと迫った。
大半が切り落とされて再生もできなくなり、触手での迎撃は不可能と判断した。脅威度が低まったこの瞬間を狙い、攻めに転じることにしたのだ。
エヴリンは焦りに駆られた表情を浮かべていた。
しかし、突如彼女は顔を歪めるようにして笑った。
「ふふ、引っ掛かったね!」
その時だった。
ドラゴンの姿に変じているエヴリンの背中から、また新たな触手が生え出てザンティに迫ってきたのだ。
「っ!」
回避の猶予は与えられなかった。
完全に不意を突かれたザンティ、まるで蛇が絡みつくように、彼女の身体が触手によって縛り上げられる。
「エヴリンのこの攻撃、ザンティには見せたことなかったね……!」
ザンティの身体が、ギリギリと締め上げられる。
普通の人間であれば、とっくに握り潰されているほどの力だ。
「悪くないわね。じゃあお礼に、今度は私のとっておきを見せてあげる」
縛り上げられたザンティの身が、光に覆い包まれる。ツインテールに結ばれたその髪が、激しく揺れ動く。
直視できないほどに光が強まったその瞬間、彼女を縛っていた触手が千切れて弾け飛んだ。
光の中から、鈍銀色の外殻を有するドラゴンゾンビが姿を現した。ザンティの真の姿だった。
弟であるベルナールとよく似ているが、彼に比べると細身で女性を思わせるフォルムをしている。その身からは数多くの棘が生え出ており、ベルナール以上に凶悪で攻撃的な雰囲気を醸し出していた。
ドラゴンの姿に変身したザンティは、赤い翼膜を有する翼を羽ばたかせて夜空へと舞い上がった。鈍銀色の外殻が月光を反射し、恐ろしくも気品のある彼女の姿を映し出していた。
「鬼ごっこはもう終わり……さっきそう言ったわね、エヴリン。いいわ、そろそろエンドゲームにしましょう」
ザンティは、夜空を仰ぐようにして咆哮を上げた。
ドラゴンゾンビ特有の掠れたようなそれは、夜空に浮かぶ月や、無数の星々すべてに届き渡らんばかりの迫力と音量を帯びていた。




