第137話 お人形遊び
「お人形遊びしよう……あなたがお人形ね!」
子供のように無邪気な声色だったが、直後のエヴリンの行動はそれに見合わぬ凶悪なものだった。
その片手がかざされたと思ったのとほぼ同時に、その五本の指が伸びてベルナールへと迫ってきた。人間の姿でいる時は袖に隠れて見えなかったが、エヴリンが相手を拘束する際に使っていた触手は、こうして繰り出されたものだったのだ。
エヴリンの言葉が何を意味しているのかは、考える必要もなかった。
その触手でベルナールを捕らえ、それこそ操り人形のように弄ぶつもりなのだろう。
「申し訳ないですが……!」
当然ながら、そんな遊びはお断りだ。
ベルナールは右の袖からドラゴンゾンビの棘を出現させ、腕を振るようにして切り離した。宙に浮いたそれを即座に掴み取り、剣のように構える。
袖から出したまま、鉤爪のように振り回すことも可能ではあった。しかし、こうして自分自身の棘を即席の得物として用いるのも、ベルナールの戦闘方法のひとつだった。
向かってきた触手は五本。
かなりの速度を伴ってはいたものの、それぞれ一本ずつ攻撃を仕掛けてきたうえに軌道は直線的で、見切るのは難しくなかった。
最初は身を横に動かし、回避してから冷静に切断していった。しかしベルナールは次第にその必要はないと判断し、迫ってくる触手を直接切り裂いて迎撃した。強度もそれほどではないようで、ベルナールの毒棘の剣を以てすれば紙のようなものだった。
「お人形遊びは、お預けですね」
五本すべての触手を切断したが、警戒は緩めない。
ベルナールの足元で、切り離された触手がトカゲの尻尾のごとくグネグネと蠢いていた。
「へえ、よく見切れたね……まあ、すぐ終わっちゃったらつまんないもんね」
やはり、無邪気な声色の裏に悪意が滲んでいた。
ヨルムンガンドとしての、おぞましく醜悪で不気味なその姿が、まるでエヴリンの心の闇が具現化しているように思えてならなかった。
「あなた、彼女が……見崎翔子さんが飛び降り自殺を図ったことはご存知ですか?」
いつ、再度攻撃を繰り出してくるか分からない。
即座に対処できるように、毒棘の剣を構えたまま、ベルナールは質問を投げかけた。
「何言ってるの? そんなのとっくに知ってるよ……」
牙を覗かせつつ、エヴリンは答える。
ベルナールが助けたことで、最悪の事態は免れた。だが、もし彼があの場にいなければ翔子はあのまま地面に叩きつけられ、致命傷を負っていた可能性が極めて高い。奇跡的に一命を取り留めていたとしても、生涯意識が戻らなくなっていたか……とにかく、重篤な後遺症が残ることになっていたのは間違いないだろう。
もしかしたら、エヴリンは翔子の飛び降り自殺未遂を知らないのかとも思っていた。しかし、そうではなかったようだ。
「ずいぶん平気そうですね。大切な家族が自分の命を絶とうとした、それがどういうことだか分かっていませんか?」
エヴリンからは驚きも、動揺も感じられなかった。
家族が自殺未遂を図っただなんて聞けば、まともな思考の持ち主であれば平気でなどいられないはずだ。
「別に平気だよ、だって……死んじゃえば、お姉ちゃんはずっとエヴリンのものになるでしょ?」
理解できなかった。
いや、すでにエヴリンが話の通じる相手ではないことだけは、理解できた。最初からそう思っていたのか、あるいは何らかの経緯があってそのような結論を見出したのかは分からない。しかしベルナールは、目の前にいる彼女が絶対に制圧しなくてはならない、危険な犯罪ドラゴンであるということを確信した。
ドラゴンとはいえ女性であり、ベルナールに比べれば年も幼いだろう。
できれば戦いを避け、話し合いのうえでの決着に漕ぎつけたい。ベルナールはそう思っていたが、どうやら不可能なようだ。
毒棘の剣を握りしめるベルナールの手に力が入り、エヴリンを見つめるその眼差しが鋭さを帯びる。
「わあ、怖い……そんな目で見ないでよお」
あなたに言われたくありませんね。そう思ったが、ベルナールは言わなかった。
会話はもう不要だと、判断していたのだ。見た目のみならず、その心までもが醜悪なヨルムンガンド。ベルナールに残されたのは、戦うという選択肢のみだった。
切断されたエヴリンの指――もとい触手がものの数秒で生え直り、再生する。
「続けよう、終わりのないお人形遊びを!」
再びベルナールに向けて触手が伸ばされる。
さっきの攻撃から、同じ手順で繰り出しても通じないことを悟ったのだろう。今度は両手の指を伸ばす形で計十本の触手を放ち、その軌道もまるで『S』の字を描くかのように不規則かつ複雑なものとなっていた。
倍になったうえに、視覚的にも見切りづらさを増した二度目の攻撃。
だが、ベルナールは冷静だった。
あえて後退することで十本の触手すべてを視界に収め、射程内にまで迫ってきたそれを順番に切断していく。捌き切れないと判断した時は、身を翻したり姿勢を低めて回避した。
触手は切断しても再生してしまうが、それには少しだけ時間がかかる。
それを察したベルナールは、触手の本数が少なくなった時を見計らい、即座にエヴリンに向けて突進した。伸ばした触手を引き戻すのにも少しの時を要するらしく、その隙を見逃す手はなかったのだ。
エヴリンが切断された触手を再生させ、減退した攻撃力を取り戻すより先に、ベルナールが射程内へと踏み入った。
まさか、十本すべての触手を繰り出した攻撃をしのがれるとは思っていなかったのだろう。
だじろぐ様子を見せたエヴリンは、上空へ舞い上がる様子を見せた。ベルナールの攻撃から逃れようと考えたのだろうが、逃がすつもりはない。
ガラ空きになったその腹部目掛け、ベルナールは毒棘の剣を投げつけた。
それは鋭利な先端を向けて一直線にエヴリンへと飛んでいき、彼女の腹部に突き刺さった。その時のザシュッという音が、ベルナールの耳にも届いた。
「あああああっ! 痛い、痛い!」
少女が痛みに苦しみ悶える声を聞くのは、気持ちのいいものではない。
しかし、ベルナールは目の前にいるのは危険な犯罪ドラゴンであり、これが絶対に負けてはならないドラゴンバトルであることを改めて自分自身に言い聞かせた。
「ひどいよ、こんなことするなんて……でも、これじゃエヴリンには効かないよ?」
すぐに平静を取り戻したエヴリンが地上に降り立ち、その腹部から毒棘の剣が抜け落ちる。傷口はみるみるうちに狭まり、やがて完全に塞がった。
「これ、毒を含んでたみたいだけど……エヴリンだって毒を操るドラゴンだもの、こんなのへっちゃらだよ」
彼女の言っていることは本当だ。
ドラゴンゾンビであるベルナールと同じように、ヨルムンガンドであるエヴリンも毒を操る能力を有するドラゴン。毒に対して耐性をがあるのは、至極当然だろう。普通のドラゴンであれば行動不能になる麻痺毒を剣に含んでいたが、まったく効果がないようだ。
遠距離から毒霧ブレスで攻撃する方法もあった。だが毒が通じない可能性が高いと思っていたベルナールは、あえてその手段を取らなかった。どうやら、正解だったようだ。
「それにしても、エヴリンの触手から逃げ切られたのは初めてだよ……もっと楽しい遊びをしたくなってきちゃった」
どこからともなくエヴリンが取り出した物を見て、ベルナールは息をのんだ。
触手の一本で巻き取るようにして取り出された、シャープペンシルの芯入れを思わせるケース……その中には青色の粉末状の物体。何なのかは、もはや考えるまでもない。
破滅の欠片の異名を持つ禁止薬物、エニジアだ。
「やめっ……!」
ベルナールが制止の声を出し切る間もなく、エヴリンはケースを口の中に放り込み、ゴリゴリと音を立てて噛み砕いた。
全身を震わせた次の瞬間、エヴリンは夜空を仰いで咆哮を上げた。
ヨルムンガンドだということを抜きにしても禍々しく、おぞましい……憎悪に溢れるかのような、耳に突き刺さってきそうにも思える咆哮だった。
「まさか、エニジアを持っていたとは……!」
ベルナールは二本目となる新たな毒棘の剣を作り出し、それを構えて戦闘に備えた。
エニジアを使ったエヴリンは、さらなる苛烈な攻撃を仕掛けてくることが予想される。これまでは、言わばただの余興――彼女とのドラゴンバトルは、ここからが本番だ。
エヴリンは十本の触手をグネグネと、先ほどまで以上に激しく動かしていた。それはまるで、身内に溢れ出る力を持て余しているかのように思えた。
「あはははは! すごい、これがエニジアの力……さあ続けよう、お人形遊びを!」




