第133話 まだ終わらない
ルキアはひとまず、サンドラやシェアトのところへ戻ることにした。
ほんのさっき打ち負かし、気を失ったドラゴンの男については、今は放置するしかない。ルキアの炎を喰らった上に、エニジアの服用によって被った負担は軽くないようで、呼んでも揺すっても応答はなかった。しかし生きているので問題はないだろう。あとは、救急にでも警察にでも任せればいい話だ。
もっともその時は、男が罪を償わされる羽目になるだろう。おそらく殺人未遂に、エニジアの所持に加えて使用。どれほど少なく見積もろうとも、罪は軽くないはずだ。
「ルッキィ、大丈夫だった?」
廃工場内に戻ったルキアを、サンドラが出迎えた。
「ええ、そっちは?」
ルキアは問い返したが、工場内の様子を見渡せば大方の状況は掴めた。
倒れ伏したドラゴンの男に、まったく無傷なサンドラにシェアト、それに七瀬に翔子。過程こそ分からないが、サンドラとシェアトが勝利したのだ。
「うぐ、ぐ……くそが……!」
男は床に這いつくばりながら、サンドラとシェアトを睨みつつ悪態をついた。
察するに、一方的に打ちのめされたらしい。少女だと侮って挑み、まさか彼女達が腕利きのドラゴンガードであるなどとは思いもしなかったのかもしれない。とんでもない相手に喧嘩を売ったと思い知ったのは、戦闘不能に追い込まれてからだったのだろう。
サンドラやシェアトが、こんな男に負けるはずがない。ルキアはそう思っていたが、まさしくそのとおりだったというわけだ。
「見てのとおり、とっくに終わったよ」
華やかにカールした髪をさらりと払いつつ、サンドラは言った。
そんな彼女の隣に歩み出ながら、シェアトも口を開いた。彼女が身に着けているたくさんのアクセサリーが、独特の音色を打ち鳴らす。
「もう通報しましたので、あとは警察に任せましょう……」
シェアトはベレー帽をずらして、額のヴィーヴルの瞳を覗かせていた。
盲目というハンデと引き換えに所持している、彼女の最大の武器と称して間違いのない感覚器官だ。これが使われたとなれば、あの男は手も足も出なかったに違いない。
「くそが、捕まってたまるか!」
通報したと聞いて焦ったのだろう、男が跳ね起きてシェアトに襲い掛かった。
ルキアは驚いて身構えたが、シェアトは身動きのひとつもしなかった。すでに男は行動不能な状態にあると思っていたのだが、そうではなかったらしい。
危ない! ルキアは思わずそう叫びそうになった。しかし、その言葉を出す必要はなかった。
シェアトは振り返りもせず、ほんの少し身を横へと動かした。たったそれだけの動作で彼女は男の攻撃をかわし、やっと後方を振り返ったと思ったまさにその瞬間に、男の胸部へと右拳を突き入れた。
「おごふっ……!」
奇妙な声を漏れ出した男は、直後にグラリと身を揺らしつつ、うつ伏せに倒れ込んだ。
「不意打ちは無駄です、わたしに死角はありません」
言い放つシェアトを、男は睨み上げた。
「な、何なんだお前……背中に目が付いてやがんのか……!?」
攻撃をかわされたのは、シェアトが有する空間把握能力に理由がある。彼女はヴィーヴルの瞳によって前後左右に渡って状況把握ができるし、アークの流れを読み取ってドラゴンの急所を見極めることも可能だ。しかし何も知らない男からすれば、ただ困惑するしかないだろう。
不意打ちなら通じるとでも思ったのかもしれないが、シェアトの言ったように、的外れを絵に描いたような考えだった。
「お答えする気はありません」
気を失った男が、シェアトの言葉を聞いたかどうかは分からなかった。
その後少しの時を経て、廃工場には警察が駆けつけた。マーヴィンや他の男達は連行され、ルキアやサンドラやシェアトは事情聴取を受け、負傷した翔子は検査のために病院へ向かうこととなった。
翔子を背に乗せた警察官のドラゴンが病院へ向かう直前、七瀬が駆け寄って引き留めた。
「翔子先輩!」
ドラゴンの背から、翔子は何も言うことなく後輩と視線を重ねた。
「その……どうか負けないでください。できることがあれば、力になりますから。だからその……また学校で、テニスの相手になってください。私が翔子先輩を尊敬している気持ちは、今も全然変わっていませんから」
翔子は驚いたような顔をしていたが、次第に表情に笑みが浮かび――頷いた。
今回の件において、翔子は危うく命を奪われかねない目に遭った被害者だ。しかしあの男達と関係があったことも事実で、何かしらのペナルティを受ける可能性も十二分に考えられた。
それでも七瀬は彼女にどうしても立ち直ってほしくて、励まさずにはいられなかったのだ。
翔子を背に乗せて、警察官のドラゴンが飛び立っていく。
それを見送った七瀬の肩を叩いたのは、ベルナールだった。
「ベル……!」
マーヴィンを相手取って戦っていたはずの彼だが、これといって負傷した様子は見受けられない。この場に現れたということは、勝利したのだろう。
今、自分が翔子にかけた言葉を聞かれていた――それを悟った途端、七瀬は恥ずかしさに頬を赤らめた。
「は、恥ずかしいよね。私ってこういうの慣れてなくて……もっとこう、気の利いた励まし方ができればよかったんだけど……!」
「いえ、素敵でしたよお嬢様」
ベルナールは、翔子を乗せたドラゴンが飛び去った方向を見上げた。
「あなた様のお気持ち、彼女にはしっかりと伝わったはずです。彼女はきっと、立ち直ってくれることと思いますよ」
「そ、そうかな……そうだよね」
恥ずかしさを誤魔化すために、七瀬は人差し指の先で頬をぽりぽりと掻いた。
ベルナールは頷く。
彼は胸のポケットから、懐中時計を取り出して時刻を確認した。
「さてと、そろそろ時間も遅くなってきましたね、帰りましょうか。その前に少しだけ用事がありますので、ルキア嬢達のところで待っていていただけますか? さほどお時間は取らせませんので」
「用事? うん、分かったよ」
ベルナールの『用事』が何なのか、七瀬は気になったようだった。しかし、それが何なのかを尋ねはしなかった。
ルキア達がいる場所へと、七瀬が駆け出していく。
ベルナールはそれを確認して、工場の敷地内の端のほうへと歩き始めた。
「今回は、力を借りずに済みそうだね」
ベルナールは言うが、その時点では彼の言葉の相手は見えなかった。
彼女は、曲がり角を曲がった先にいた。
「姉さん」
――ザンティは建物の壁に背中を預け、煙草を吸いながら、無言でベルナールに片手を上げてきた。
人間界に来ると明言していた彼女だが、すでに戦いは一段落していた。
「人間界で会うのは久しぶりだね」
「まあ、そうでしょうね。来たくても簡単には来られないから」
煙草を人差し指と中指でつまんで口から離しつつ、応じた。
相変わらず、簡単に人間界に来られないことを残念に思っている雰囲気はない。買い物はシドに頼めば済むし、そもそもこれといった用事はないのだろう。
「とりあえずは、一安心ってところかしら?」
「そうだね、犯罪者のドラゴン達は捕まったし、お嬢様達も助け出せたし、友達の仇を討つっていう姉さんの目的も果たせた……この事件はこれで……ん?」
ベルナールは言葉を止めた。
ザンティがどこか違う方向を見つめながら、難しく考え込むような表情を浮かべていたからだ。彼女が手にしている煙草には火が付いたままで、煙が天に向かって上がり続けている。
気がかりなことがあるのは、明らかだった。
「姉さん、どうかした?」
少しの間を挟んで、
「気になっていることがあるのよ。この事件、終わりと判断するにはまだ早いと思うわ」
緩やかな風が吹き、ツインテールに結ばれたザンティの長い髪が揺れた。
「気になっていること?」
ザンティは頷いた。
「翔子さん……だったわよね。ベルナール、彼女からはまだ、目を離さないほうがいいかもしれないわよ」




