第二夜 カクテルは危険な味
丸柴栞
新潟県警捜査一課の紅一点。
理真とは、彼女が素人探偵として活躍する以前からの友人。プライベートでは理真から「丸姉」と呼ばれ慕われている。女優のようなルックスも相まって、警察内部では男女問わずファンが多いらしい。
ほぼレギュラーで、「安堂理真ファイル」のほとんどに登場している。
こんな夢を見た。
どういうわけは知らないが、ひとり私は夜の繁華街を歩いていた。普段の私であれば、こんな時間にこんな場所にいるわけがないのだが、これは夢だからね。
私はある店の敷居を跨いだ。ピンク色のネオンサインに彩られた、「いかにも」と言うような店だった。どうしてこんな店を選んだのかは、これも知らない。
桃色がかった薄暗い照明に照らされた店内は、そこかしこにソファが設えられており、大勢の女性たちが客と談笑していた。その女性たち全員が網タイツを履き、胸元も露わにした水着のような衣装を身にまとい、おまけに頭頂部にはウサギの耳を模したカチューシャを乗せていた。俗に言う「バニーガール」というやつだ。このような女性が接客をする店であるから、おのずと客層は男性に限られるため、女性のひとり客である私は明らかに浮いていた。
丸テーブルを囲むソファに案内され、とりあえず水を出された私のもとにも、注文をとりにバニーガールがやってきた。その顔を見た私は、口に含んだ水を盛大に吹き出すこととなった。
「丸柴さん? 何やってんですか!」
「あれ? 由宇ちゃん」
バニーガールと化した捜査一課刑事、丸柴栞がそこにいた。まさか、夜のバイト? いや、公務員は副業禁止のはずでは? ともかく、刑事がこんないかがわしい店で働いているというのは、どう考えてもマズい。詰問をしようとした私に向かって、丸柴刑事は人差し指を口に当てて隣に座り込むと、
「……潜入捜査よ」
「せ、潜入捜査?」
私も彼女に倣って声を潜めて会話をする。こくりと頷いた丸柴刑事は、
「そう、この店でね、違法薬物の取引が行われてるっていう情報を入手したの。で、その証拠を掴もうと、こうして私が店員として潜り込んでるってわけ」
それは捜査一課の仕事の範疇なのか? と疑問に思ったが、あえて訊かないでおいた。さらに丸柴刑事は私に身を寄せてきて、
「私が潜入してからも、何度か薬物のやり取りが行われたらしいんだけど、その方法が全然分からなくてね。情報によると、今夜も取引が行われるらしくて、目を皿のようにして客や店員の一挙手一投足を監視してるんだけど……。ねえ、由宇ちゃんも力を貸してよ」
「そんなことを言われても……」
私は、丸柴刑事の胸元から目を上げて周囲を見回してみたが、バニーガールと鼻の下を伸ばした男性が、薄暗い照明の中で談笑している姿が目撃されるばかり。店内を一周した私の視線は、再び丸柴刑事の必要以上に強調された胸の谷間に帰還を果たした。どうでもいいけど、その衣装、サイズが小さいんじゃないの? ちょっとした衝撃でこぼれてしまいそうで目が離せない。
「丸柴さん、取引は、店と客との間でされているんですか?」
私は視線を刑事の胸から顔に引き上げて訊いた。
「そうなの。だから、店員が何かしらの手段を使って目当ての客に薬物を渡しているはずなんだけど……そんな怪しい動きを見せている店員はひとりもいなくってね」
バニーガールの格好をしつつも、目だけは警察官のものを崩さないまま、丸柴刑事は鋭く周囲に視線を走らせた。今、この店で一番怪しい動きをしているのはあなただ。
「うーん……」
私は、いま一度店内ぐるりを見回してみたが、やはり何も発見することは出来ずに、結局また丸柴刑事の胸元に視線を戻すこととなった。
「あっ、由宇ちゃん」と丸柴刑事は、「怪しまれると悪いから、とりあえず何か注文して。代金は捜査費で落とすから」
「そ、そうですか。でも私、こういうお店って来たことないからなぁ。お酒もそんな詳しくないし……」
私は他のテーブルを順に見ていき、
「あ、あの小さなグラスのカクテル、かわいいですね」
他の客が注文していた、ワイングラスのような脚の上に逆三角錐が載った形のグラスを指さした。
「あれは、ショートカクテルって言う種類でね、量は少ないけれどその分アルコールが強いお酒なのよ。由宇ちゃんには少し強いかもね」
「あ、そうなんですか」
「うん、だから、普通のグラスに入ったロングカクテルがおすすめ。あそこのお客さんが飲んでる、ジンフィズとか……」
丸柴刑事が目を向けた席では、男性が細身のグラスを手に取り、今まさに口に運んだところだった。ぐいぐいという喉の鳴る音がここまで聞こえてくるようだ。男性は、ふう、と息をついてグラスをテーブルに置いた。からりと氷の音が鳴る。と、男はすぐに立ち上がって出入り口に向かった。グラスの中にはまだ半分程度中身が残っているが……。と思っていたら突然、丸柴刑事が立ち上がった。
「丸柴さん?」
丸柴刑事は、明らかに今立ち上がった男を追っていた。私もすぐに席を立ち、真っ白いウサギの尻尾が揺れている丸柴刑事のお尻を追う。
店の外に出た男の背中に、
「待ちなさい」
丸柴刑事の声が浴びせられた。何事か? というように男が振り返ると、丸柴刑事は胸の谷間に手を突っ込んで、
「警察よ」
取りだした警察手帳を男に向けて開示した。明らかに動揺した顔色を見せた男だったが、
「な、何ですか、刑事さん。俺は何も……」
ばつの悪そうな笑みを浮かべながら、ゆっくりと後ずさっていく。が、ヒールがアスファルトを叩く音を響かせながら男に近づいていった丸柴刑事は、“間合い”に入るや否や一閃、電光石火の回し蹴りを男のみぞおちに突き刺した。
「えー!」
あまりの展開に目を丸くした私の前で、男は「ぐふっ」とくぐもった声を上げて地面に膝を突き、吐瀉物を路上に撒き散らした。丸柴刑事はハンカチを取りだして、広がった吐瀉物の中から、あるものを拾い上げる。
「ま、丸柴さん……?」
ハンカチに載せられたそれは、一辺が二センチ程度の立方体だった。半透明をしており、その形状はまるで……
「氷?」
「正確には」と丸柴刑事は、「氷に似せて作られた容器ね」
「容器――あっ! ということは?」
「そう、この中に取引された薬物が隠されているのよ」
「どうして分かったんです?」
「由宇ちゃんにカクテルの説明をしようと、この男のテーブルに目をやったときにね。私が見たとき、この男はカクテルを飲む直前だったわ。で、喉を鳴らして数口飲んでグラスをテーブルに置いたときに気付いたの。飲む前のグラスには確かに氷が四つ入っていた。でも、飲み終えたあとのグラスの中には氷が三つしかなかったのよ。口の動きからして、氷を噛み砕いていないことは明らかだったわ。であれば、なくなった氷は飲み込まれたと考えて間違いない。ブロック状の氷をそのまま飲み込むなんてって思ったとき、ピンと来たのよ。店側は取引相手の客に対して、この氷型容器を入れたグラスを出していたってわけ。グラスは細身のものを使っていたから、氷は縦一列にしか入らない。その中の一番上の氷が、この氷型容器になっていて、客は普通にお酒を飲む振りをして、一番上の氷を飲み込んでいたってことね」
「ははあ……」
「この男が頼んでいたお酒が透明なジンフィズだったから、飲む前と後で氷の数がしっかりと数えられたのよ。色の付いたカクテルを頼むべきだったわね。うかつよ」
丸柴刑事は振り返ったが、男は顔面を自らの吐瀉物の中に埋めて、手足をぴくぴくと痙攣させているだけだった。
「さてと」丸柴刑事は、証拠品である氷型容器をハンカチでくるむと、「本部に連絡入れなきゃ」
「あの、丸柴さん」
私は恐る恐る声をかける。
「なに? 由宇ちゃん」
「連絡を入れる前に、やることが……」
「ん?」
と小首を傾げた丸柴刑事に私は、
「さっきの回し蹴りの勢いで、その……衣装がずれて……」
「……あっ」
丸柴刑事も、自分の胸が“開示”されてしまっていることに気付いたようだった。




