5-4. 北部天竜隊
「フィニアス殿!」
伝令に呼ばれて、フィンは木剣を振る手を止めた。殿、と呼ばれるのにはなかなか慣れず、どうにも落ち着かない。
妙な顔をしているフィンには構わず、伝令はその横のグラウスに一礼した。
「グラウス将軍、失礼します。フィニアス殿の部隊が到着しました」
「分かった、すぐに行こう。フィニアス、稽古はここまでだ」
グラウスはうなずいて伝令を下がらせ、練習用の木剣を片付ける。フィンとマックも急いでそれにならった。
「ありがとうございました」
将軍自らが稽古をつけてくれたことに、フィンは深く頭を下げて感謝する。グラウスは鷹揚に笑った。
「そう大仰にするな。筋のいい生徒を教えるのはこちらも楽しいし、竜侯に半端な教師はつけられんからな。マクセンティウス、おまえも今の内に、見られて恥ずかしくない剣技を身につけておけよ。竜侯の従者を務めるつもりならば、な」
「はい! ご指導ありがとうございました!」
マックはぴしりと背筋を伸ばして敬礼する。グラウスはうむとうなずき、それからフィンを見て眉を上げた。
「当の竜侯がそんな顔をしていてどうする、フィニアス。堂々とせんか、堂々と」
「はあ」フィンは曖昧な声を漏らした。「ですが、どうも……マックは俺の友人です。従者ではありませんので。ほかの仲間達も、俺の部隊、というわけでは……」
「ふむ。心情的には分からんでもないが……友人を従者にしたくないというのなら、親衛隊長の肩書きでもつけてやれ。だがいずれにせよ公の場では、おまえの“仲間達”についてもそうだが、誰に決定権があるのかをはっきりさせておかねばならんぞ。遠慮しておったのでは、いざという時に迅速な動きが取れぬからな」
「はい」
フィンは素直に忠告を受け入れ、うなずいた。
グラウスが先に立ち、フィンとマックはその後から歩いて行く。道すがらマックは新しい肩書きに興奮し、小声で嬉しそうにフィンの認可を求めた。
「親衛隊長かぁ、いいなぁ! 兄貴、本当に俺、そう言ってもいいかな? あ、でもそうしたら、ヴァルトさん達はどうするかな。俺が隊長ってわけにはいかないよね」
「親衛隊、なんて名目自体、ヴァルトは嫌がりそうだしな」フィンも苦笑で応じる。
「あはは、言えてる。でも、流石にもう『粉屋』は使えないよね。何か考えなきゃ」
「そうだな」
フィンは上の空で答えた。確かに、呼び名がないと不便ではあるが、たかだか十人余りの集団である。ご大層な名前をつけずとも、粉屋だって構わないではないか、などと考えていたのだ。
兵営の門まで来ると、馴染みの顔ぶれが揃っていた。青霧とヴァルト達、それに一足先に迎えに出たネリス。
フィンはグラウスに手で促され、彼らのところへ駆け寄った。
「無事に着いて良かった」
ひとまず再会を喜んだものの、仲間達の顔色は冴えない。フィンが怪訝そうに青霧を見ると、皮肉っぽい苦笑が返ってきた。
「小人族の抜け道を通らせて貰ったのでな。暗くて狭くて湿っぽい地下道を何日も歩くのは、少々堪えたようだ」
「……小人族、ですか」
それはまたご苦労なことだ。フィンはヴァルトに同情的なまなざしを向けたが、剣呑な唸り声をぶつけられ、慌てて目をそらした。青霧に向き直ると、改めてフィンは礼を言った。
「ここまで皆を案内して下さって、ありがとうございました。本当にお世話になりました」
「なに、お互い様だ。それに」
青霧は軽く応じ、不意に意味深長な微笑を浮かべて声を潜めた。
「ある程度まで歳を取ると、若い連中はただそれだけで可愛らしく思えてくるものだ。世話をするのも苦にはならん」
「それは……俺のことですか? それとも、まさか」
ヴァルトやプラストまで可愛いというのではないでしょうね、とフィンは疑わしげな表情をする。青霧はおどけて眉を上げただけで、あえて質問には答えなかった。
「仕事の代金はオアンドゥスに預けた。これで契約は終わったが、機会があればまた、村に来るといい。おまえならいつでも歓迎しよう」
「ありがとうございます。皆さんにもお礼を伝えて下さい」
「ああ。それではな」
青霧は淡白に別れを告げ、一人踵を返して街道を北へ戻って行った。人目につかぬ所まで行ってから、竜の力で村へ戻るのだろう。
フィンは彼の後姿をしばし見送ってから、グラウスに向き直って仲間達を紹介した。元軍団兵だということは、言わずとも分かっているようだった。
「フィニアスから話は聞いている」よく来た、とグラウスは一行を労った。「おまえたちの懸念ももっともだ。そもそも、フィニアスを部下扱いしてはこちらの目的にも不都合がある。だがコストムに滞在する間は、フィニアス共々、兵営で寝起きしてくれ。街に宿を用意するとなると余分な金がかかるし、耳目を集めてしまうからな。哨戒などの軍務に服する必要はないが、希望するなら訓練には参加して構わん」
は、と了解の短い声と共に、ヴァルト達は踵を揃える。まっとうな司令官を前にして、以前の習慣が戻ってきたらしい。オアンドゥスとファウナが、場違いなところへ来たというように顔を見合わせた。それに気付いたグラウスは、ネリスを一瞥してから二人に声をかけた。
「フィニアスの家族については、兵営内の神殿に部屋を用意させた。兵営内での行動は特に制限しないが、兵達の邪魔にならないように。以上だ」
質問は、というように一同を見回し、挙手がないのを確かめると、グラウスはネリスとフィンにそれぞれ新参者を案内するよう命じて立ち去った。
将軍がいなくなった途端、だらけた姿勢に戻ったヴァルトが、ぽりぽりと尻を掻いてぼやいた。
「落ち着かねえなぁ。いきなり本国の将軍様のお膝元に来て、しかもそれが軍団兵としてじゃあなく、なんだ、客分か居候か? よく分からん身分なんだからな」
「ヴァルトさん、そのことなんだけど」
マックが妙に勢い込んで言ったので、皆の視線が集まった。マックはにこりとして全員を見回した。
「提案があるんだ。竜侯の仲間が粉屋じゃ、しまらないからさ。ちゃんとした名前をつけたらどうか、ってさっき話してたんだ。グラウス将軍は親衛隊って言ったけど――うん、ヴァルトさんは絶対そういう顔すると思った」
渋面を軽く受け流されて、ヴァルトが追加の苦虫を噛み潰し、仲間達が笑った。ネリスもちょっと笑ってから、ふむと片手を顎に当てる。
「第八軍団、とかいう数字じゃなくて、呼び名の方ってことだよね。でも前から思ってたんだけど、ああいう軍団名って格好悪いの多くない? 疾風隊とか雷光隊とか不死軍団とか……こっちが恥ずかしいよ。あんな風なのつけるぐらいだったら、粉屋でいいと思うけど」
ずけずけと言われて、元軍団兵たちは顔を見合わせた。通常、軍団の部隊はそれぞれ数字がつけられていて、そちらが正式名称だ。が、数字だけでは味気ないというわけで、兵士達が勝手に通称をつけ、それがそのまま第二の軍団名として引き継がれている。ネリスが挙げたのはすべて、昔からある通称だ。ヴァルトがごほんと咳払いした。
「そりゃまあ、多少古風というか、気恥ずかしいのは認めるがな。軍団名ってのは、そういうもんだ。花の名前みたいにきれいにはいかんさ」
「別にきれいなのをつけろとは言ってないでしょ。大体、お兄にそんなの似合わないし。そうだ、いっそ墓石軍団ってのはどう? なんか強そうだよ」
けたけた笑われて、フィンはげっそりと肩を落とした。墓石を背負って行軍する妙な部隊を想像してしまい、ますます気が滅入る。ヴァルトが呆れて、あのなぁ、と口を開きかけたところで、マックが先制した。
「北部天竜隊」
すらりと抜き身の剣の鋭さで、その名が心に切り込んできた。フィンはどきりとして顔を上げ、マックをまじまじと見つめる。
皆に凝視され、マックは少し照れ臭そうに瞬きした。
「……っていうのは、どうかな。竜侯軍じゃ、昔からの竜侯家とややこしいし。単に北部軍じゃ、第八軍団と紛らわしいし」
「それにしよう」フィンはあっさりと認めてにこりとした。「ちゃんとレーナが名前に入ってるのが良いな」
がく、と何人かが脱力する。ヴァルトが盛大なため息をつき、墓石よりはマシか、と譲歩すると、ネリスも曖昧に苦笑しながら同意した。
全員の意識に新しい“身分”が浸透する間、不思議な沈黙がその場に降りる。やがてふと、オアンドゥスが独り言のようにつぶやいた。
「内情はコムリスでの粉屋と大差ないにしても、軍団に属さない独立した兵隊が名乗りを上げられるというのは、なんと言うか……不穏だな」
フィンも表情を改め、ええ、とうなずいて兵営を見やった。
「形だけのこととは言え、中立の勢力を将軍が必要とするなんて、帝国の威光が翳っている証拠です。俺たちも今後どうなるか分かりませんね」
「不景気な面ァすんな!」
途端にヴァルトが声を張り上げ、勢い良くフィンの背中をはたいた。つんのめったフィンに、ヴァルトは不敵な笑みを浮かべて見せる。
「少なくとも、軍団と共倒れする心配はねえってこった。いざとなりゃ脱走兵をかき集めて、北へ凱旋して街ひとつ貰っちまやいいのさ。本国のやつらはどうせ、貧しい北辺の土地なんざ欲しがりゃしねえんだからよ。そん時は俺が市長になってやるさ」
「俺はおまえが仕切る町には住みたくない」
ぼそりとプラストが言い、仲間達も口々にそうだそうだと笑う。ヴァルトが大袈裟に憤慨し、拳を振り回す。フィンは呆れてそれを見ていたが、ふと、両親に目をやって、ヴァルトの言う未来を考えてみた。
そうだ、軍団がいつまでも力を貸してくれないのなら、自分達で北辺の町を人間の手に取り戻したっていいではないか。今なら、レーナの力で小さな町ひとつぐらいは守れるだろう。市長はオアンドゥスに務めて貰えばいい。今まで『粉屋』の仕事や経理のやりくりをしていたのは、実質的に彼とファウナの二人だったのだから、市政だって大差はないだろう。
(それで俺は、町を守るんだ。闇の獣や野盗を退けて、皆が安心して畑を耕したり、商売したり出来るように)
つましい自治都市を、皇帝と、ウィネアのアンシウスとが認めてくれたら、の話だが。
(頼んでみよう)
ナクテ領主との会談にやってくる皇帝に、クォノスで会うその時に。
フィンは空を仰ぎ、遥か北を見やった。もしかしたら、たとえわずかでも、闇に奪われた故郷をこの手に取り戻せるかもしれない。ナナイスまでは無理でも、せめてウィネアの周辺ぐらいは。
胸に希望が芽吹くのを感じ、フィンは一人、微かに笑みを浮かべる。
「お兄、どうしたの」
ネリスが不審げに問いかけてきたが、フィンは黙って首を振り、妹の頭を撫でてやった。この新しい夢はまだ、あまりに脆く頼りなくて口には出せない。だがフィンは必ず、今度こそ、きちんと現実のものにしようと心に決めた。形のあるものにして、この手で家族に差し出すのだ。
フィンがそんなことを考えていると、ネリスが胡散臭げにじろりと睨みつけて言った。
「あのね、お兄。頭撫でとけば何でもごまかせると思わないでよね。そうでなくとも、お兄は言葉が足りなくて、一人で勝手に思い決めちゃって、毎度あたしたちが後で怒るはめになるんだから。何かするつもりなら、ちゃんと教えてよ」
「そうだな」
フィンは苦笑し、うなずいた。まったくもってその通り、返す言葉もない。
「そのうち話すよ。もう少し……確実になったら」
「うむ、よろしい」
ネリスが偉そうに答え、自分で堪えきれずに失笑する。仲良く笑う兄妹の姿に、両親も目を細めていた。




