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灰と王国  作者: 風羽洸海
第四部 忘れえぬもの
155/209

4-6. コムス包囲戦


「グラウス将軍! コムスはまだ無事です!」

 斥候隊が知らせを持って駆け戻る。グラウスは思わずほっと息をついた。エレシア再来の知らせを受けて皇都を発ってから、既に十五日。コムスの領主館にノルニコムの旗が掲げられていても、不思議ではなかった。

「レヴァヌスは持ちこたえたか。神々に感謝せねばな」

 部下の手前、グラウスは情報を肯定的に捉えてうなずく。本心は不安であった。コムスに近付くにつれて街道の人通りは絶え、近隣の農夫さえ見当たらず、まれにいたとしても、何も知らない。コムスの戦況が一切分からないのに、帝国の旗が翻っているというだけで安心は出来ない。

(敗残兵や難民に出会わないのは、コムスが持ちこたえているしるしであろうが……)

 懸念を頭の隅に追いやり、彼は実際的な問題に意識を戻した。

「ドルファエ軍の姿は見えたか?」

「はい。コムスの北東に集結していますが、全周を包囲するだけの兵力はないようです」

 斥候は答え、地面に地図を描いて説明した。州都コムスの西側はぐるりと断崖。東側を包囲すれば、かつてグラウス自身がそうしたように、補給を断ってしまえる。

 だがドルファエ軍は北東部にひとまとまりになっていた。南側はがら空きだ。いつでも自由に出入りしろとばかりに。むろん、それが狙いなのだろうが。

「素直に誘導されて近付けば、たちまち竜が飛んでくるのだろうな」

 グラウスが唸る。副司令官を務めるアレクトがうなずいた。平時はアクテに駐屯する第二軍団長だ。急報を受けて迅速な対応をし、グラウスが東へ駆け戻るのを助け、ここまで従って来た。ゆえに、状況を読む眼は優れている。

「弩は破壊されたか、矢が尽きたかでしょう。城壁に引き上げておけば竜を狙い撃ちできるものを、その影すら見当たらないということですから」

「だろうな。まあ、三年前と同じ手が通用するとは思っておらなんだが……しかし、新たに造らせた分まですべて潰されたのだとしたら、難儀だな。弩の援護なしでここを駆け抜けるとなると……ふむ」

 グラウスは顎をさすって思案し、ふと苦笑いを浮かべた。

「俺が一人でてくてく歩いて入る分には、邪魔立てはされまいがな。何せ竜の炎が効かぬのだから」

「それで? 将軍お一人で街に入って、この状況をひっくり返す離れ業をしてのけられるとでも?」

 胡散臭げな目を向けられ、グラウスは首を竦める。

「幸運の助けがあったとて、それは保証できぬよ。中にどれだけ軍団兵が残っているのか、市民らは大人しくしているのか、それすら分からぬのではな。とりあえず、この辺りを一掃きしてから街に入ろう」

 いとも簡単に言って、グラウスはドルファエ軍の陣をさっと手で払った。アレクトは束の間、彫像になったように動きを止める。だがすぐに彼も、そうですね、と平静に同意した。

「その方が、立て籠もっている軍団兵を仕切り直す時間が稼げるでしょう。隊列はどのように? 散開して竜に備えますか」

 グラウスは副官の飲み込みの良さと平常心にちらと笑みを浮かべたが、すぐに真顔になって、手描きの地図と睨み合った。幸いなことに、現在彼らがいるコムス西南部は、北東部よりもやや標高が高い。遠目のきく斥候は、敵陣の様子をかなりの部分、見て取ることが出来た。

 報告に基づく図では、騎兵が一番南の外側に配されているという。いつでもすぐに出られるように、だろう。その後ろに歩兵のものらしき天幕。そこには途中で加わったノルニコムの民らしき一団も見受けられた。そして、もっとも奥、すなわち北東側にたむろする集団は、明らかに統率が取れていなかったという。

(今回は家族連れで来たらしいな)

 東部勤務の経験があるグラウスは、ドルファエ人の習慣を思い出した。

 食物の乏しくなる時期、毎年恒例のように散発する略奪目当ての攻撃では、彼らは少数の騎兵だけで疾風のように襲来し、あれよと言う間に逃げていく。

 だが部族同士の本格的な対立や、あるいは稀に、何がしかの出来事を契機に軍団に対して戦をしかける場合は、事情が違った。住み慣れた土地を長く離れるため、家族連れで行軍するのだ。騎兵と歩兵の後ろから、食糧と女子供を一緒くたに満載して、荷馬車がずらずら続く。

 それが一度ならず弱みになっているのに、彼らはならいを変えようとしない。

 グラウスは空を仰いで鳥の影ひとつないことを確かめてから、アレクトに指示を出した。

 その日は双方、動きがないまま終わった。軍団兵は司令官が考えあぐねているが如く、ドルファエ軍から充分に距離を取って野営し、ドルファエ軍もまた、竜侯を活躍させる為に空けた場所を汚すに忍びないとばかり、攻めては来なかった。

 翌日、軍団兵は隊列を整えてじわじわと南側からコムスに接近した。竜を警戒してか、大半が歩兵だ。騎兵は両翼に形ばかりついているだけ。

 ドルファエ軍も、さすがに竜侯一人に任せてはおけぬと見えて、騎兵を先頭に迎え撃つ。

 双方の進軍が止まったところで、帝国軍からグラウスが一人、旗持ちさえ連れずに進み出た。

「総司令官と話がしたい! 此度の進軍が略奪目当ての蛮行でないというなら、その証を聞かせて貰おう!」

 敵の真意を探るため、また、挑発して冷静さを失わせる為の呼びかけだった。そしてまた、ここでエレシアが出てくるか、ドルファエの族長が出てくるかによって、対応を変えねばならない。エレシアならば、ドルファエ人との間に亀裂を作り、深めることで軍勢を空中分解させることも可能だ。

 しかし――。

「相変わらず、帝国人は我々よりも優れていると思い上がっているのだな」

 騎乗して現れたのは、セニオンだった。声の届く距離で馬を止めると、徒歩のグラウスを見下ろしてせせら笑う。グラウスは眉を寄せ、ぎっと奥歯を噛んだ。

 ドルファエ人が主導権を握っているのだとすれば、分裂させるのは難しい。エレシアに動かされて望まぬ遠征に付き合っているのではないからだ。そもそもエレシアの悲願などは、彼らにとって侵攻の口実、お飾りの名分に過ぎない。

「我らの聞いたところでは、竜侯エレシアがドルファエの民を引き連れて凱旋した、との噂だったが、その貴婦人はどうした。貴様ら蛮族では、ろくなもてなしも出来ず引き留められなんだか」

 侮蔑を込めて、グラウスが挑発する。セニオンは歯を剥いて嗤った。

「あれは既に俺の女だ。色目を使っても、おまえのものにはならんぞ。――ほう、顔色が変わったな。なに、心配は要らん。ドルファエの男は、乗り回すことにかけては貴様らなど及びもつかん達人だからな。帝国女も、今やすっかり我らの暮らしに満足しておるさ!」

「貴様ぁッ!!」

 グラウスが剣の鞘を払う。だがセニオンはより早く手綱を引き、馬を棹立ちにさせた。

 高々と掲げた槍が、陽光を反射してきらめく。それが、進軍開始の合図だった。

 ドルファエ騎兵が一斉に走り出す。グラウスはチッと舌打ちし、射殺せるものならばとばかりの視線をセニオンにくれてから、ぱっと踵を返して自軍の方へ駆け戻った。

 その時にはむろん、軍団兵も前進を始めていた。騎兵の突撃にも耐えられる重装歩兵が槍を構え、ザクザクと規則正しい足音を立てて進む。司令官が戦列に戻ると、自分達に有利になるよう、わずかな起伏の高みで止まって待ち受けた。

 三列並んだ歩兵の後ろから、弓兵が矢をつがえ、猛進するドルファエ騎兵めがけて放つ。強化した長弓とその射手は、ドルファエ騎兵が弓を構えもしない内に、その頭上に矢の雨を降らせた。

 とは言え、騎馬の疾駆は速い。弓兵の攻撃で大きな被害が出るより早く、歩兵に対して攻撃を仕掛けられる距離まで詰めてくる。

 歩兵が盾を上げ、突撃と矢の両方に備えた。ドルファエ騎兵が攻撃態勢に入る。

 ――が、その時。

 わああっ、と、突如喚声が上がり、ドルファエ騎兵の動きを乱した。

 声は彼らの遥か後方、陣地に置いてきた女子供や荷馬車の方から上がったのだ。

 まさに軍団兵に襲いかからんとしていた騎兵らは、ぎょっと背後を振り返った。自らの立てる音で気付かなかった者でも、一部で異変が生じればつられてそちらに気を取られる。自ら先頭を走っていた、セニオンでさえ。

「まさかっ……くそ、よくも!!」

 戦の高揚が、一瞬で焦燥と屈辱に取って代わられる。

 陣地からは遠目にも明らかに、幾条もの煙が上がっていた。蟻の巣を突ついたように、天幕と炎の間を右往左往して、小さな影が逃げ惑う。甲高い悲鳴が風に乗って前線まで届くと、もはや騎兵らに平静は求むべくもなかった。

 そもそもがドルファエ人は血族の絆を重んじる。女子供を守るのが、男の義務であり体面なのだ。戦に出ている間に拠点の無防備な家族を襲われて、駆け戻らずにはおられない。既に混戦になっていたらともかく、まだ槍の穂先が交わる距離でもないのだ。

 誰が命令するでもなく、彼らはてんで勝手に向きを変え始めた。敵の弓矢に背中を晒すのも構わず、一目散に陣地へ走り出す。

 ドルファエ騎兵の隊列は完全に崩れた。後ろから進んでいた歩兵も、大半が驚きうろたえて、おたおたと元来た方へ戻りかける。行く手から迫ってくる軍団兵に対処しようと留まったのは、ノルニコム人の部隊だけだった。

 一方、陣地の荷馬車を焼き払ったのは、アレクト率いる帝国騎兵だった。コムスの西側、断崖の麓をぐるりと迂回して、ドルファエ軍の背後まで迫っていたのである。崖の陰に身を隠すのみならず、さらに用心し、日没後と夜明け前の薄闇に紛れての行軍だった。

 奇襲に成功した今、彼らは逃げ惑う女子供に構ってはいなかった。中には無謀な女もいて、手近なものを武器に立ち向かってくることもあったが、それらを排する以外には槍を控えていた。丸腰の女子供に武器を振るうことへの羞恥もあるが、何より実際問題、殺戮にかまけていては危険だからである。

 アレクトは糧秣に火を放ってドルファエ騎兵の注意を引くと、すぐに陣地から離れ、隊列を整えた。戻って来るドルファエ騎兵の動きは無秩序だが、だからこそ優位を確実にしなければならない。

 そうして迎撃態勢を整えた帝国騎兵と、グラウスの指揮下進撃する帝国歩兵とに挟まれて、ドルファエ軍の持ちこたえられる筈がなかった。

 瞬く間に旗色が明らかになり、ドルファエ軍は瓦解してゆく。燃え盛る荷車を放棄して、我先に北へと逃げ始めた。弱みを突かれた途端、軍としての質の低さが露呈したかに見えた。

(それにしても早い)

 混戦の中、グラウスはセニオンの姿を探しながら、胸騒ぎに顔をしかめていた。

 あまりにあっけなさ過ぎる。レヴァヌスの指揮する第五軍団を打ち負かし、コムスへ追い込んだ軍にしては、歯ごたえがなさすぎるのではないか。

(おまけに竜侯も現れぬとは)

 自軍の危機にも、空に紅い光が輝かないとは、どうしたことか。

(――罠か)

 そう考えるのが妥当だろう。最初からドルファエ軍が負けてみせるつもりでいたのなら、不意を突かれたにせよ、そのまま退却するのも予定の内。帝国軍をこの先に誘い込んで、それから存分に竜を暴れさせる算段か。

 しかしコムスの北には、軍団を誘い込むのに適した地形があるでもない。楽観するなら、竜侯とドルファエの間は既に決裂しており、そもそも最初からエレシアはここにいなかったとも考えられる。ドルファエ軍がここまで来られたのは単に運が良かっただけで、ひとたび負けたら途端にこのざまというのも、当然のことなのかも。

 とは言え、戦場で楽観するほど、グラウスは軽率ではなかった。

 追撃に逸る自軍がすっかり分散しかけているのに気付くと、彼は深追いするなとの命令を下した。隊列のまとまりがなくなったところへ竜が現れでもしたら、弓矢による攻撃もろくに出来ない。

 叶うなら彼自身、追撃してセニオンの首を取りたかった。が、司令官が個人的な感情に執着してはろくな結果にならない。苦い思いと共に諦め、彼はため息をついたのだった。


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