6-4. 弔いの後に
とはいえ、現実には余裕どころではなく、ナナイスの再建もそう順調には運ばなかった。
彼らが腰を据えて三日もすると、闇の眷属が人間の存在に気付いたのだ。
昼間は瓦礫運びでくたくたになり、夜は夜で攻撃に耐えるなど、いくらレーナの助けがあっても無理な話で、じきにフィンは力仕事から脱落した。
彼が日中の半分は眠っている間に、プラストはしっかりした基礎が残っている家を見つけ、その上に仮住まいを建て始めた。廃材や石はふんだんにあったので、再利用できる資材もすぐに集められたが、何しろ手が足りない。
ナナイスに着いて十日ほどが過ぎた頃、タズの雇い主が約束通り様々な物資を積んだ船を回してくれたものの、そんなわけで、支払いに使えそうな埋蔵品を探すに至っていなかった。
「なんだ、まだこんなザマか。仕方ねえな」
冒険心旺盛かつ儲けに貪欲な船長は舌打ちし、乗組員達に号令をかけた。ひとつ残らず瓦礫をひっくり返して、金目のものを漁って来い、と。おかげで作業は飛躍的に進んだが、見付かったお宝の大半は、食糧などと引き換えに船へ積み込まれてしまった。
「ここにヴァルトがいたら、派手にもめただろうな」
プラストがぼそりと言い、フィンも苦笑してうなずいた。彼にしても、不満がなくはない。いくら持ち主が死んでしまったといっても、ここにあるものはすべてナナイスのものだ。それをただ、カネになる、として奪われるのは辛かった。とりわけ孤児院の瓦礫が乱暴に取り除けられた時は、タズもフィンも見るに堪えず、一時その場を離れたほどだ。
実際のところ、宝飾品などは今の自分たちが所持していても、何の役にも立たない。だからと言って足元を見られ、あれもこれもと遠慮なく奪い取られるのは、ひどく自尊心を傷付けられる。
複雑な顔で発掘品の検分に立ち会うフィン達に、船長は揶揄する目を向けて言った。
「身内の物があったら取りな。だが、あとは貰って行くぜ。どうせまだまだ、入用のものがあるんだろう? 本国でこれを売りさばいて、何でも仕入れて来てやるよ。俺は善良な男だからな」
もちろん手間賃は貰うがね、と、おどけたふりで嗤う。フィンは不快だったが堪えてうなずいた。打算の塊のような男だが、それだけに、確かな筋が一本通っているのが見えるからだ。善意や同情のために揺らぐことのない、強い芯。だからこそ、こと商売では絶対に不当な真似をしないと信じられる。
タズはよく我慢出来るものだと感心しながら、フィンは届けて欲しい物の一覧を手渡した。
船長はにやにやしながらそれを一読し、これなら揃えられるだろう、と請け合った。それから彼はふと、ずらりと並ぶ戦利品に目をやって笑みを消した。
「こんだけの物が出てくるって事は、ナナイスの連中は大半、逃げ損ねたってェこったな」
唐突に厳しい事実を指摘され、フィンもプラストも、言葉に詰まった。
確かに、あらゆるものが避難する余裕のなかったことを示していた。家の床下などに隠された財産はほぼそのままだったし、兵営に集められていた生活用品や食糧なども、持ち出された形跡がなく、ただそこで腐り果てていた。
まだ瓦礫の下になっている遺体は見付かっていないが、屋外にあって野獣に持ち去られたと思しき骨の一部などは、街路の隅や茂みの中から続々出てきている。
黙ってしまった二人に、船長は真面目な顔になって言った。
「ここの沖に投錨する前、ちっと気になるもんを見つけた。あの下だ」
そう言って彼が指差したのは、かつてアウディア神殿があった岬だった。
「崖の波打ち際に、小さな洞窟と浜があってな。その辺りにちょうど、海に落ちたもんが打ち上げられるみてえだが……どう見てもあれは、一人二人じゃねえな」
「……っ!」
「小船と人手を貸してやるから、集めて弔ってやんな。安心しろ、その分の代金は取らねえよ。俺らも、あそこで“引かれる”のは勘弁だからな」
船乗りらしいことを言い、彼は逞しい肩をひょいと竦めた。フィンは暗い顔で礼を言い、オアンドゥスにことの次第を告げに行った。この作業は、自分たちナナイスの者がすべきだと考えて。
遺骨と遺品を集めるのには、丸三日かかった。洞窟というほどの大きさもない洞は漂着物でぎっしり埋め尽くされ、小船に限界まで積んで何往復しても、翌日にはまた同じぐらい打ち上げられている。一人二人どころか、頭蓋骨だけでも何十とあり、実際の死者は数百を上回るだろうと思われた。
城壁を突破され、必死になって闇を退けようと誰かが火を放ち、神殿へと追い詰められて最後には岬から――
その光景が目に見えるようだった。現実に何が起こったのかは、もはや知る術もない。人間同士の争いで大勢が死んだのかも知れず、あるいは絶望した人々が自ら身を投げたのかも知れない。語る者が一人も残らなかったという、結果だけは同じ。
遺品は大半が海水に浸かり、波と岩にこすられて駄目になっていたので、船長も寄越せとは言わなかった。磨いて手直しすれば売り物になりそうな貴金属も多少はあったが、腐った布や革から剥がして海藻や汚れを落として、という手間を考えたら割に合わない。その上おまけに死者に祟られては、何をしているやら、である。
そうした金属品のほとんどは、軍団兵のものだった。剣や鞘の金具、革鎧の留め金、靴底の鋲。
「最後まで戦ったんだろうな」
一緒に作業をしていたタズが、山と積まれた遺品を見てつぶやいた。相手が何であれ、彼らは最後まで、街を捨てて逃げることはしなかった。出来なかっただけにせよ、ともかく戦ったのだろう。
フィンは黙ってうなずいた。あのマスド隊長が簡単にくたばるとは思えないしな、と、かつてコムリスであえて楽観的な言葉を口にしたことを思い出す。気休めだと自覚していたつもりだったが、こうして証拠を目の前に突きつけられると、やはり自分は甘かったのだと悟らざるを得なかった。
もしかしたら、と。
生きているかもしれない、どこかへ逃げ延びたかもしれない。心の片隅で、わずかながら本気でそう信じていたのだ。マスドも、孤児院の院長や子供達、祭司フィアネラも……フィンに剣術の手ほどきをしてくれた兵士も、ネリスの幼馴染の少女も。
だが現実は容赦なかった。本国で皇帝や将軍と行動を共にし、評議員達に注目され、何か大層な事をしたような――あるいはこれから出来るような、そんな錯覚に陥っている間に、北部では大勢の顔見知りが死んでいったのだ。
厳しい沈黙の内に、彼らは埋葬を済ませた。その頃には瓦礫の下からも多くの遺体が見付かっていたが、殆どは身元がわからなかったので個別の墓は作れず、一箇所にまとめた上で、手頃な石材を運んできて墓碑にした。碑文や装飾に凝る余裕も道具もなかったので、ごく簡単に、『ナナイス市民 一〇八六年 闇の寄せ来たりし月』とだけ刻んで。
辛い作業だったが、埋葬は確かに生者にとっての区切りとなる。以後フィン達は、悲しみに沈むことなく再建に没頭した。
相変わらず、夜になると闇の獣は攻めてきたが、その勢いは次第に弱まっていった。フィンが一向に反撃しないもので、肩透かしを食ったのだろう。
やがて仮住まいの平屋が完成し、さらに数日が過ぎた頃――
「お兄! 来て来て! 一大事!」
朝っぱらから興奮したネリスに引っ張られ、フィンは欠伸を噛み殺しながらよたよた家を出た。瓦礫があらかた取り除かれて歩けるようになった道を、えっちらおっちら岬の神殿跡へと登っていく。
元々神殿の薬草園だった場所は、崩壊時の被害をおよそ免れていたので、ネリスはそこにささやかな畑を作っていたのだ。
黒々とした土を掘り起こした畝に、
「ほら見て!」
緑の双葉が、きらめく朝露を載せてすっくと伸びていた。フィンは呆然とし、ややあって深い吐息をもらした。
「……ああ」
言葉が出て来ず、それだけ言ってしゃがみこむ。いくつもいくつも、先を争うように太陽に向かって小さな葉を広げる緑が、たまらなく愛しかった。
ネリスが畝の間を踊るように行き来しながら、両手を広げて説明する。
「ここには豆を植えたの。あっちの方に蒔いた麦と瓜も、芽が出てるんだよ!」
「やったな、ネリス」
「今度タズが来る時には、もっといろんな種を持って来てくれるはずだよ。夏になったら青豆が最初に食べられるね。瓜の方が早いかな。楽しみ!」
果樹園の樹は全滅かと思っていたら、焼け残った株からひこばえの出ているのがあった、床下倉庫に何の種か分からないけど薬草らしいものもあったし、それからそれから。
とめどなく続くおしゃべりに、フィンは微笑みながら相槌を打っていた。
作物の収穫が可能になったら、ここに人を呼ぶことが出来る。闇の獣も、この調子なら、人が暮らせる程度には遠ざけておけるだろう。夜間に見回るだけで戦う必要のなかった頃に戻すには、まだまだ長い年月が必要だろうが……。
「ようやく、先が見えてきた感じだな」
フィンは立ち上がると、うんと伸びをした。ネリスも笑顔で大きくうなずく。二人はどちらからともなく畑の端へと歩いて行き、ナナイスを見下ろした。街はもう、廃墟には見えなかった。




