番外編4 キンじられた遊び
子イリス、子ニジェルのお話です。
そうだ! 納豆を作ろう!
イリスは思い立った。
先ほどまで、母の話に付き合っていたイリスだ。
最近、土痘のワクチン接種などで、お忍びで下町へ出ているイリスを訝しがって、母がイリスとお茶の時間を設けたのだ。
「イリスちゃん、昨日もお出かけしていたと聞いたけれど」
イリスは目をそらす。
「あ、ええ、あの、魔導宮に行っていました」
「あいかわらず勉強熱心なのね」
魔導宮に行っていたのは嘘ではないが、なんとなく後ろ暗い。
「でも、魔導宮ではストライキもあったんでしょ? 変な研究もしていると聞くから、心配なの」
母の言葉にギクギクするイリスである。それらの騒ぎの中心にいるのは、他でもないイリスだ。
「そ、そうですね、気をつけます……」
「私もなんだか体調が悪いし」
「え!? だいじょうぶですか? まさか、土……」
身を乗り出して尋ねてくるイリスに、母は苦笑いする。
「違うわ! そんな大げさなものではなくて、なんとなく胃のあたりがムカムカするのよ……。ストレスかしらね?」
チラリと娘を見れば、イリスは緑の瞳を心配そうに揺らめかせた。
「お身体、大事になさって下さいね。お母様」
心底心配そうなイリスの表情に、母は内心ガッカリする。
少しは家で落ち着けという意味だったのだけれど、イリスには全く意味が通じてなさそうね。
物憂げにため息をつく母を見て、イリスは思ったのだ。
「そうだ! 納豆を作ろう!」
イリスの言葉にニジェルは目をパチパチとさせた。
「ナットウ?」
「うん、元気になる食べ物なの! お母様が最近ストレスで体調が良くないみたいだから」
「ふーん、よく知ってるね」
「あ、え、ま、魔導宮の古い本で見かけたかなぁーって」
イリスはあさっての方に視線を泳がせた。もちろん嘘である。
ここハナコロの世界は、乙女ゲーム設定の関係上なのか、可愛くないアイテムは粗雑に扱われている。
そのため、納豆は存在しないようなのだ。少なくともイリスの知る限り、納豆を売っていると聞いたことはなかった。
なければ作ればいいのよ!
そういうわけで、イリスはレゼダをかくまった小屋にいた。
イリスは前世のテレビで手作り納豆の作り方を見ていた。
大豆に納豆を混ぜればできる、おおよそそんな記憶だ。
簡単そうだし、すぐできそう!
イリスは楽観的に考えていた。
暖炉をつけて室内を暖める。
もらってきた藁にふかした大豆を入れて、パン種といっしょに包んだ。
納豆がないため、当然ながら納豆菌もないのである。
イリスは代わりにと、別の発酵食品とともに大豆を包むことにしたのだ。ヨーグルトやチーズもいっしょに包んでみた。同じ発酵食品でも、ヨーグルトやチーズは、乙女ゲーム検疫をすり抜けたらしい。
おんなじ菌同士、どれか一つくらい成功するでしょ?
生前からの大雑把さは、侯爵令嬢に転生したところで変わりようもなかった。
あー、納豆を思い出したら懐かしくなってきた。納豆キムチ食べたい。納豆が成功したらキムチも作ろう! 刻みタクアンと納豆もいいのよね。そして、ゲームが無事に終了したら、田舎の領地に引きこもって、漬物屋さん開こう。
グフグフと笑いながら、藁に大豆を包む姉をニジェルは戦々恐々として眺めていた。
暖炉で暖められた小屋の中で、藁に包まれた大豆たちは二晩を過ごした。
ついに納豆になったか確認だ。
蒸し暑い部屋の中で藁を開き、イリスは頭を抱えた。
「ノォォォォォォ!!」
ビクリ、ニジェルが後ずさる。
「ど、どうしたの? イリス」
「いえ、これはたまたまよ、うん、そう、たまたま、ほかのも確認しなきゃっ!」
イリスは汗だくになりながら、目を血走らせて次々と藁を開いていく。
その勢いにニジェルは固唾を呑んで見守るばかりだ。
本当はもう部屋に戻りたい……。でも、この状態のイリスを放置するのも危険だ。
ニジェルはちょっと泣きたくなった。
イリスはすごく泣きたかった。
すべての藁を開け、力なく膝をつく。
「……どうして……こんなことに……」
イリスはうなだれた。
「どうしたのイリス?」
ニジェルが恐る恐る問いかける。
イリスはウルウルとした目でニジェルを見つめた。雨上がりの若葉のように潤んだ瞳に、ニジェルは思わず可愛いと思ってしまう。
「あのね」
そうやってイリスがニジェルに見せたのは、藁の中に詰まった大豆である。
しかし、その大豆は、なぜかピンク色のクモの糸のようなものに覆われて、キラキラと輝いていた。
「これが、ナットウ?」
イリスはフルフルと頭を振った。
乙女ゲーム仕様なのかなんなのか、納豆の白い糸はピンクになり、しかもキラキラエフェクトまでかかっている。しかし、ゲームがそこまで頑張っても、可愛くはない謎アイテムが爆誕していた。
「ピンクの……カビ?」
ニジェルは恐ろしいものでも見たように目を背けた。
「いや、でも、見た目が違うだけで、食べたら……いがいにおいしいとか……」
イリスはゴクリとつばを飲み込んだ。
これを食べるのは、かなり勇気がいる。結構勇気がいる。
クン、と匂いを嗅いでみる。匂いは……臭かった。
ゲーム補正がかかるのは見た目だけなの!? 腐ってる系の匂いよね?? いわゆる納豆的な? いける? いけるの?
イリスは覚悟を決めた。
うん、だいじょうぶ。だって、食品の菌で発酵してるはずだもの。多分、安全!!
イリスは自分を鼓舞した。そして、ピンクの糸に包まれた、納豆だったものをむんずと掴み、口に押し込んだ。
「イリス! やめっ!!」
「~~!!」
口元を押さえて撃沈するイリス。
・・・ お知らせ 赤カビは食中毒を起こす危険性があります。絶対に食べないで下さい ・・・
「……だいじょうぶ? イリス」
哀れむニジェルに、イリスは涙目で笑う。
「失敗だったみたい」
「うん、そうだと思ったよ……。あんなピンクのカビ、初めて見たもん」
ニジェルはイリスの肩を抱き、慰める。イリスはニジェルの腕の中でブツブツと呟いた。
「嘘ついた罰が当たったのかしら? でも、発酵させることは可能だってわかったから、納豆は無理でも、味噌はいける? 麹菌を探してきて、ソージュ様の魔法でワンチャン……」
ニジェルは懲りないイリスにため息をついた。
これじゃ、お母様のストレスは倍増だと思う。
イリスが大人しくしてさえいれば、いいだけなんだけどな。
ニジェルは思いつつ、口には出さないのだった。
本日5/5、『私が聖女?いいえ、悪役令嬢です!2』発売日です!
初めての完全書き下ろしです。
よろしくお願いいたします。








