番外編2 勝つのはだぁれ?
シュバリィー侯爵は腕を組みながら二人の少年の鍔迫り合いを見ていた。
一人はこの国の第二王子、レゼダ・ド・ゲイヤー。もう一人はシュバリィー侯爵の息子、ニジェルである。ともに十三歳だ。
シュバリィー侯爵家は、勇者を輩出したことのある由緒正しき騎士の家系である。シュバリー侯爵も若い頃は騎士団長を務め、現在は元帥である。その息子ニジェルは、レゼダと同じ年で小さなころからレゼダの訓練の相手を務めてきた。
今日はシュバリィー侯爵自ら二人を指導することになっていた。
シュバリィー侯爵は少し気難しい顔をして二人の様子を眺めている。
いつもに比べて、二人の集中力が欠けている気がするのだ。
模造刀ではあるが、打ち合えば怪我をする。良い状況とは言えなかった。
レゼダは先ほどからチラチラとシュバリィー侯爵のさらに後ろに視線を向けている。
それにニジェルが気付いて、ニジェルはその視線を遮るようにレゼダの前にはだかる。
明らかに二人とも手合わせとは別のものに気を取られている。
シュバリィー侯爵の後ろには、緑の巻き髪の少女が立っていた。彼女がここへ来たのは今日が初めてだ。質素な白いブラウスに、ダークグレーのワンピース姿。王宮に上がる令嬢にしては地味すぎる格好だった。
彼女はシュバリィー侯爵の娘、イリスである。
イリスは先日、王宮内の魔導宮への出入りが許された。今日はその帰りにシュバリィー侯爵のもとへやってきたのだ。父から一緒に帰るよう言いつけられていたのである。
イリスは困惑していた。はじめのうちはレゼダとニジェルの手合わせを楽しんで見ていたのだが、なぜかレゼダと何度も目が合う気がするのだ。
チラリ、レゼダがイリスを見た。
また? 気のせい?
イリスは戸惑う。模造刀とは言え真剣勝負だ。ニジェルは王子だからと言って手加減するようなことはないし、危ないのではないかと思う。
そう思った瞬間、レゼダとイリスを遮るようにニジェルが間に入り、剣を交える。
ほら、危ない! ニジェルって結構強いのよ。
イリスはハラハラとする。二人の剣がぶつかり合い鈍い音を立てる。
重なる打ち合い。一段と力強く剣がぶつかって、二人は少し距離を置いた。
その瞬間、レゼダがイリスに視線を送る。少し意味深な感じだ。
私、何か変かしら?
そう思って服装を確認する。地味ではあるが乱れたり汚れている様子はない。パタパタとワンピースを払ってみる。
チラリ、レゼダがまたイリスを見る。その瞬間ニジェルがレゼダに向かって、剣をふるった。
レゼダはあわててニジェルの剣を受ける。
やっぱり、私、変? やだ、魔導宮では誰も教えてくれなかったのに!
イリスは髪を撫でつけてみる。どこかはねているのかも、もしかしてリボンが曲がっているのかもしれない。触って確認してみたものの、おかしなところはないような気がする。
ニジェルと剣を打ち合いながらも、レゼダがイリスをチラリと見て、今度は少し笑った。
え? 笑われた? もしかして、魔導宮で食べたお菓子が付いてるとか?
慌てて口の周りを拭ってみる。今日、魔導宮で妖精たちと食べたスノーボールクッキーはホロホロでおいしくて、でも粉糖が指や唇にいっぱいついてしまったことを思い出したのだ。
拭ってはみたものの、粉糖が残っていたわけではないらしい。
えええ? なんなの? 何がおかしいの? それとも、殿下の意識が散漫としているだけかしら? そんなんだとニジェルに打たれちゃう。ああっ、ほら! 危ない!
イリスは手に汗を握る。
ニジェルはイリスに背を向けて、レゼダをがんがんと押していく。レゼダはニジェルに押されて下がっていく。イリスから離れていく。
レゼダは花も恥じらうような可憐な少年だ。そんな可愛らしい少年が模造刀で打たれるのはさすがに気の毒に思う。ニジェルのほうが強いとわかっていることもあり、イリスは心配で目が離せないのだ。
「やめ!!」
シュバリィー侯爵の声が響き、二人は剣を収めた。
「二人とも今日は集中ができていないようだが」
厳しい声に二人はサッと顔を青ざめさせた。
シュバリィー侯爵は後ろを振り向いてイリスを見た。イリスはキョトンと首をかしげる。
「イリスに気を取られているのか?」
シュバリィー侯爵の言葉に、二人の男の子は頬をピンク色に染めて俯いた。
イリスはあわててもう一度ワンピースを払ってみる。やっぱりどこかおかしいのかと不安になったのだ。
シュバリィー侯爵は小さくため息をついた。
「では、趣向を変えよう」
シュバリィー侯爵はそういうと、三人の子供たちに向かって腰の後ろにハンカチを挟むように指示した。レゼダとニジェルはズボンのウエストにハンカチを挟み、イリスはワンピースのウエストのリボンにハンカチを挟む。
「ハンカチを一番多く取った者の願いをかなえよう」
シュバリィー侯爵はそういうとニヤリと笑った。
「スタート!!」
シュバリィー侯爵が号令をかけた瞬間、三人は走り出した。
レゼダは真剣にイリスを追う。ニジェルとイリスであれば、女の子のイリスのハンカチのほうが簡単に取れると思ったのだ。
しかも、シュバリィー侯爵は願いをかなえてくれるといった。
一番多くハンカチを取って、イリスとの時間を作ってもらおう!
レゼダの思惑はニジェルにはお見通しである。
絶対、殿下に取らせたりしない! どうせ、殿下はイリスを望むだろうから。僕が一番になって邪魔しなくちゃ!
イリスもイリスで真剣である。
私は何かあったら物理で二人を倒して逃げるのよ! こんなところで捕まっている場合じゃないわ!!
先ほどとは対照的に集中力の増した二人の様子にシュバリィー侯爵は満足げに頷いた。
イリスは王宮の庭をヒュンヒュンと駆ける。なぜか、レゼダがイリスばかりを追ってくるのでとりあえずは振り切ることにした。
スカート姿で不利なはずなのだが、そこはまったく気にしないイリスである。転生前の価値観のせいでおしとやかとは無縁である。
レゼダを振り切り物陰に隠れる。
レゼダはイリスを見失いきょろきょろとしている。
そこをニジェルに見つかって慌てるレゼダ。獲物を見つけて嬉々とするニジェル。ニジェルはレゼダのハンカチを奪おうと手を伸ばし、レゼダはそれをかわすべく右へ左へとヒラヒラと舞うように逃げ回る。
ソーっと木の上によじ登り、その二人の様子を手を合わせて拝むイリス。
ショタが……、ショタが……尊い……。
イリスのオタク心が爆発した。
ずっと見ていたい。永遠に見ていたい。この二人の邪魔をしてはいけない、そう神様が告げている。ああ、尊さのあまり涙で視界がゆがんでくるわ。
「イリスー! なにみてるのー?」
妖精がイリスの巻き髪からヒョコリと顔を出した。
イリスはあわてて、人差し指を立てて「シー!」と言ったがもう遅い。
レゼダとニジェルの二人は、バッとイリスに向かって顔を向けた。二人は令嬢がスカート姿で木に登っているとは思いもよらず、その姿に目を疑った。ニジェルは思わず目をこする。
見つかった!!
イリスはその瞬間、木の枝を蹴り飛び降りた。スカートがまくれ上がり、ひざ丈のパンタレットが露になる。レゼダもニジェルもその輝く白いレースに一瞬目を奪われ、慌てて目をそらす。二人とも顔は真っ赤だ。
イリスは全く気に留めず、飛び降りざま、腰についている二人のハンカチを同時に奪った。緑の庭にイリスが片膝をついて着地する。二人のハンカチを持ったまま、草の上に両手をついた。
静まり返る王宮の庭。
「やった! 私が一番ね!!」
王子と騎士から逃げ切ったイリスは大満足である。
二人はあっけにとられ、ポカーンとイリスを見つめた。
ピョンとイリスがジャンプして、そこで二人は我に返る。そして、ニジェルは悔しそうに、レゼダはおかしそうに笑った。
「お父様~! 私が一番よ!」
イリスは二人のハンカチを両手に持って振りながら、シュバリィー侯爵のもとへかけていく。その周りを妖精たちも嬉々として飛び回ってついてゆく。
王宮の空気がキラキラと輝いて、そこから空気が清らかになっていくようだ。
「ねぇ、イリスって凄すぎない? 女の子一人に僕ら二人が負けちゃうなんて」
「まったくです、負けられないですね」
ニジェルとレゼダはお互いの顔を見て、肩をすくめて笑った。
「それで、イリスの望みはなんだ?」
「何でもいいの? お父様」
「ああ。私がかなえられることならば」
「じゃあ、王宮のイチゴタルトが食べたいの!」
「ああ、いいとも」
シュバリィー侯爵は鷹揚に頷いた。
「では、殿下、イリスのために用意してくださいませんか?」
「もちろんかまわないよ。改めてお茶会に招待しよう」
レゼダの言葉にイリスは顔を引きつらせる。
「いえ! それは結構です! あの、何かの折に作ったときに、ちょっと分けてくれればいいんです。お土産で、お土産でいいんです! そんな大げさなことはしなくていいです!」
「そうです殿下、大げさです」
慌てるイリスを援護するニジェル。侯爵はにやにやと笑っている。
「遠慮などしなくても良いんだよ、イリス。妖精たちの分も用意しよう」
お手本のように美しい微笑みで宣うレゼダ。イリスは、レゼダの背中に「王子の誘いを断るの?」という文字を見た気がした。
妖精たちはレゼダの申し出にはしゃぎまわっている。もう行く気満々だ。
イリスの魂は口から抜けた。チーン、と背景に音がなりそうだ。
「こんなはずじゃなかったのに……」
小さくつぶやくイリスの隣で、ニジェルは大きくため息をついた。
書籍版『私が聖女?いいえ、悪役令嬢です!』の双葉はづき先生の尊い挿絵にいてもたってもいられず、三人の幼い頃のお話を書きました。
そして!
11/5付ランキングにて
紀伊國屋さん電子書籍ライトノベル 1位
honto ファンタジー電子書籍 2位
honto 紙の本その他 2位
でした!!!
これもひとえに皆様のおかげです!
書籍版あとがきも、ちょっとした内緒話になっていますので、最後まで楽しんでいただけたら嬉しいです。








