59 手紙がいっぱい
イリスは自宅の一室で憂鬱な気持ちでため息をついた。
向かいに座るシュバリィー侯爵は反対にご機嫌だ。
イリスとニジェルは、一か月後に控えた聖なる乙女のお披露目に向けて準備をすべく、共に家に帰ってきたところだ。
聖なる乙女のお披露目と言っても、指名されていないイリスが何をするということでもないのだが、王宮の式典には今年の候補者の一人として呼ばれているのだ。
また、式典の夜には夜会が開かれることになっている。主だった貴族たちは当然招待されることになっていた。
ニジェルとイリスにも招待状が届いている。
「イリスはどなたにエスコートをしてもらうの?」
母の言葉にイリスは当然のごとく答えた。
「ニジェルと一緒に行こうかと」
「ボクはイリスとはいかないよ」
サラリとニジェルに答えられ、口をパクパクとするイリスである。
そうだ。そうだったー!! ニジェルはカミーユたんという可愛い彼女がいるんだったー!!
いつまでも姉弟二人で当然だと思っていたが、そうではないのだ。急に突き放されたような、置いていかれたような気持ちになって、イリスは寂しくなってしまう。
ああ、イリスたん。こんな気持ちでカミーユたんを排除しようとしたのね。私は排除なんてしませんけど!
ここまで頑張ってメリバを阻止してきたのだ。最後の最後にバドエンにしてなるものか。そう思いつつ、イリスは涙目になるのを止められない。
でも、どうしよう……。誘える相手なんていないし。ニジェルもニジェルよ、私に相手がいないってわかってて酷くない?
イリスはこの夜会が最初で最後だと思っていた。結婚できない傷物令嬢など、夜会に出ても意味はない。家はニジェルが継ぐのだし、断れる招待はすべて断るつもりのイリスである。
一人で生きていく覚悟はずっと前からあるのだ。
「私にはこれが最初で最後の夜会よ。カミーユたんならモテモテなんだから、今回ぐらい私に気を使ってくれても良くない?」
恨みがましい目でニジェルを見る。混乱のあまり心の声が漏れている。
「そろそろ弟離れしたら」
きっぱり言われて、イリスはショックだ。頭の中に「そろそろ弟離れしたら」というニジェルの声が繰り返し反響している。
「まぁ、イリスちゃん心配はいらないわ」
シュバリィー夫人はご機嫌で、テーブルの上にズラリと手紙を並べた。
すべてイリスのエスコートを申し出るものだ。
「この中から好きな方を選びなさい」
イリスはあっけにとられる。学園ではレゼダのおかげで騒ぎが収まっていたので、すっかり失念していた。イリスが関心を持たれることを、レゼダは当然だというけれど、周囲の急激な変わりようにイリス本人は未だに信じられずにいるのだ。
「こちらは宰相家のご子息ね。こちらは公爵家のお孫さん。そしてこちらは、宮廷魔道士様で、こちらは騎士団長。詩人の侯爵様に……まあ、詳しくは中を見て? あまりにも不釣り合いな方はすでに除きました」
並べられた封筒を見てイリスはげんなりとする。
「どなたも、よく知らない方ばかりだわ……。この中から選ぶのは……」
学園で見かけたことがある人ならばまだいいが、名前を聞いてもピンとこない相手も多い。
「そういうと思って、おススメ順に並べてたの。私のおススメは、やっぱり宰相家かしら?」
宰相家の子息はイリスより五つほど年上だ。宮廷で働く文官なので、見かけたことはあるが会話をしたこともない。そもそも相手がイリスを認識しているのかも怪しい。
私が聖なる乙女の元候補者だから、シュバリィー家に恥をかかせてはいけないと貴族同士の配慮で、親に頼まれ申し込んできたとしか思えない……。
イリスはため息をついた。あのお誘いの数々もきっとそうだ。ようやくイリスは納得した。
「とりあえず中を読んでごらんなさいな」
母の言葉にイリスは首を振った。
そしてイリスはギュッと目をつぶる。
「ええい! 天に任せるしかないわ! 知らない人ならだれでも同じよ!」
目を瞑り引いたものにしようと、イリスは決意を決めた。
きっと、みんな、渋々でしょうし。一回だけだもの、お互い仕事と割り切って――。
「知ってる人が良いの?」
そこでニジェルの声がして、イリスは手を止め弟を見る。
「ボクも一つ預かっている。イリスのよく知っている人からだ。でも、イリス。イリスは本当にこの中に一緒に行きたい相手はいない?」
ニジェルが念押しをした。
イリスはうんうんと頷くと、ニジェルは大きく溜息をついた。
「では、これを」
ニジェルが出してきたのは、朱鷺色の豪華な組紐で桜の結びが施された手紙だった。名前を見なくてもわかる。レゼダからの手紙だ。
イリスはバッとニジェルの手から奪い取る。
「助かったわ! ニジェル。もったいぶらないで最初に渡してくれればよかったのに!」
天真爛漫に笑うイリスにニジェルは苦笑いした。イリスはことの重大さをわかっていないようだ。
「まぁ! まぁ! まぁ! まぁ! まぁ!」
シュバリィー夫人が歓喜の声をあげる。組紐で結ばれた親書、それも若い男性から女性に送られたもの。ラブレターだ。
「イリスちゃん、それはお部屋で読むべきものよ? さぁ、さ。こちらは片付けておきましょうね」
そう言ってテーブルの上の手紙をサッと片付けて出て行ってしまった。
「なに? あれ」
イリスは母の様子に呆気にとられた。ニジェルはため息をつく。
ニジェルはレゼダの手紙を渡すべきか、渡さないべきか、最後まで悩んだのだ。
ニジェルはレゼダの気持ちを子供の頃からずっと知っていた。そして、イリスが不必要に傷つけられないよう、陰で画策を続けてきたことも知っている。
そのおかげで、幼い頃ではありえなかった王子レゼダと土痘の痕を持つイリスの婚約も今では何の問題もない。それどころか、聖なる乙女の元候補者で妖精の長の祝福を受けるイリスだ、望まれてさえいる。
だからこそ、イリスがレゼダの手を取ってしまったら、イリスは他の生き方を選べなくなる。
レゼダが妃にと望む令嬢を、他の男が手を出せるだろうか。
だからニジェルは最後まで悩んだのだ。
初めにレゼダの手紙を渡せば、両親も他の手紙を見せることすらしないだろう。
ニジェルはそれは良くないと思ったのだ。他の可能性があることを知った上で、イリスが選ぶべきだと思った。
そしてイリスが選んだのはレゼダだった。その意味をイリスは良くわかっていないだろう。それでもイリスが選んだのなら、ニジェルが口をはさむべきことではない。男女の恋愛沙汰に野暮というものだ。
イリスは捕らえられたことさえ気が付かないんだろうな。
なんだかんだ言っても、困り果てて泣き出しそうだったイリスを一瞬で笑顔にしてしまうレゼダの手紙だ。
中身も見てないのにね。
それはそれで幸せなのかもしれない。
安心しきったような顔で、部屋を出ていくイリスの背中を見ながらニジェルは自分もカミーユに手紙を書こうと思った。








