22 ごめんなさい
頭を下げ続けるイリスを見てレゼダは大きく息を吐いた。
「僕のためだというの?」
「いいえ、私のためです。殿下の隣に立つたびに、私は心ない言葉で責められることになるでしょう。それに耐えうる力がございません」
「僕がイリスを傷つける?」
「いいえ」
イリスは頭をあげなかった。
「イリス……。君は聖なる乙女の候補者として名前が挙がってきている」
「不相応にございます」
「君が聖なる乙女になれば、誰にも文句は言われないよ。神が認めるのだから」
「認められるはずなどございません」
イリスは知っているのだ。
神に選ばれるのも、レゼダに選ばれるのもカミーユだ。イリスはけして選ばれない。
だって私は悪役令嬢なんですもの。
「謙虚なんだね」
「事実です」
レゼダはため息をついた。頑ななイリスを見て、今は無理なのだと悟った。
「顔を上げてイリス。侯爵家の令嬢としての意見はわかった。だけど最後に、友達として本音で答えて?」
レゼダの軽い調子にイリスは恐る恐る顔を上げた。
「イリスは僕が好き? 嫌い?」
キュルンとした瞳で尋ねるレゼダ。ピンク色のキラキラがあたりを舞っている。美少年王子の本気の甘え顔にイリスはふらついた。
それはずるい。それはかわいい……。そもそも『ハナコロ』キャラは好きなのよ。病んでたって魅力的なのよ? それが病んでないとか、ショタとか、尊死する。
「き、きらいではない……です……」
「嫌いではない? 好き?」
「う、あ、まぁ、二択なら……好きです」
レゼダはニッコリ笑った。
「じゃあ、僕と婚約しても……」
「できません! 無理無理無理無理絶対無理! ですわっ!」
イリスは顔色を変えて、礼儀もへったくれもなく両手を突き出し、ブンブンと振る。
レゼダは肩をすくめた。ここまで言われては仕切り直すしかない。王権を使って、無理やりに手に入れることは可能だろう。しかし、それはレゼダの望む形ではなかった。
レゼダはイリスが欲しいのではない。イリスの関心が欲しいのだ。イリスに自分を見て欲しい。側にいても心が寄り添わないのなら意味はない。
レゼダは大きく深呼吸をした。
仕方がない。今は諦める。
「わかったよ。イリス。では、この話はなかったことにする」
「ありがとうございます!」
イリスは飛び上がらんばかりに喜んだ。それを見てレゼダは苦々しく思う。
「ただし!」
レゼダの厳しい声に、イリスの顔は固くなった。
「イリスが聖なる乙女に選ばれた暁には、正式に結婚を申し込むから、そのつもりで」
これはレゼダの決意だ。それまでにイリスを振り向かせる。
しかしイリスは喜んだ。
王子から結婚を正式に申し込まれたら、逃げることは叶わない。けれど、イリスは聖なる乙女にはならないのだ。しかも、聖なる乙女が決まった後なら、レゼダはカミーユに求婚するだろう。
「ありえませんわ。それでは失礼いたします」
イリスはニッコリと笑って立ち上がる
レゼダはあからさまにムッとして、イリスを睨みつけた。
「ああそうだ、大切なことを言い忘れていたね」
イリスはきょとんとしてレゼダを見た。レゼダはイリスにエスコートするように、手を差し出す。イリスは深く考えずその手を取って一二歩歩む。
ガゼボを出たところでレゼダは桃色の瞳でイリスを見つめた。朝の日差しを浴びてレゼダの睫毛が光っている。
綺麗ね。
純粋にイリスは思い、思わずため息をつく。その瞬間、レゼダと目が合う。
イリスがそれに驚いて手を引こうとすれば、簡単に手を放され、逆にふらついたところを抱き留められた。
レゼダはイリスの左腕を取り、その腕に口付けた。痘痕の醜く残るその部分。汚らしいとイリス自身が厭う場所だ。
「!!」
「僕は君が好きだよ。イリス。君が僕を好きじゃなくても」
イリスは驚いてレゼダを力いっぱい押した。レゼダはイリスに力負けして尻もちをつく。イリスも自分の反動でしりもちをついた。
二人で顔を見合わせる。二人とも真っ赤な顔をしていた。
「あ、あ、あの、私……」
イリスは慌てて弁明しようとするが、上手い言葉が見つからない。確かに王子を押しのけたのはどうかと思うが、さきに手を出したのは王子である。正当防衛ではないか。
レゼダがクスクスと笑い出した。
「不敬だなんて言わないよ。友達だからね」
「友達……」
「そう、まだ友達」
ニヤリと笑うレゼダ。イリスは慌てて立ち上がり、挨拶もそこそこにガゼボから逃げ出した。
顔が真っ赤になって熱い。いったい何だというのだろう。
―― 僕は君が好きだよ。君が僕を好きじゃなくても ――
それはゲームの中のセリフの一つだ。婚約者がありながらもカミーユを愛するという、レゼダの不実をヒロインが責めた時に王子が言うのだ。
ヒロインはその言葉に胸が引き裂かれそうになる。なぜなら、いけないことだと知っていても、彼女もまた王子を愛しているからだ。
どうして、それを? 私に? ゲームだって始まっていないはずなのに……。
あんな言葉を言われてしまったら、ヒロインでなくても心がぐらついてしまう。ずるいと思う反面で、嬉しいと思う自分がいる。レゼダに好意はないと言いながら、嬉しいと思ってしまう自分がわからない。
シナリオ通りの言葉は、言わされている言葉なのだ。そう思ってしまえば気持ちは楽だ。それでも、イリスを神から見放されていないと否定してくれたレゼダの言葉は信じたかった。
イリスは走った。もう、何も考えたくなかった。
走って逃げるイリスの後ろ姿を見ながら、レゼダは小さくため息をついた。
結局、レゼダはイリスとの婚約を今回は諦めた。シュバリィー侯爵には時期尚早であったと説明をする。そうして外堀を埋めるべく、シュバリィー侯爵と手を組むことを決めた。
ニジェルはそのやり取りを見つめながら、イリスを気の毒に思ったが、その事実は知らせない方がいいと思った。
どんな手段を使ったか知らないが、あのレゼダに手をひかせたのだ。その手段がわからないまま、イリスに自由に動きまわられる方が怖いと思った。
でも、イリスはボクが守る。
口には出さずに、ニジェルはそう思った。








