パラログag53BH
「で、その見返りにわたしは、私は君たちに何を協力すればいい?」
『エルドン・バイオニクス』リー博士の補佐官であり、その博士が開発した新型レプリカント『E-A7α』ウィリアム。ロンバッハ教授の娘『真希』の病気を治すため、彼が提案したのは脳移植であり『人間の脳を移植できるレプリカント』の開発であった。
そこには明らかにされない交換条件が付随していた。
「難しい事ではありません。『パラログ遺伝子』と『発現制御遺伝子』を応用し、リー博士が開発した遺伝子プログラムを教授の『AG細胞:Artificial gene early embryonic cell/人造遺伝子初期胚細胞』に組み込ませて頂きたい」
「遺伝子プログラム? それは、いったい?」
「守秘義務上、詳しくは申し上げれませんが、我が社は『脳からの指令によって変体し、能力を発現するレプリカント』の開発を進めております」
「パラログと発現制御。そして、メタモルフォーゼ……。まるで、レプリカント版トロイの木馬だな?」
「御明察。が、これ以上は知らぬ方が賢明かと」
脳や遺伝子工学を研究しているロンバッハにとって、それは科学者としても興味を惹く話ではあった。しかし、かねてからエルドン社にまつわる武器商人としての黒い噂が、彼に言い知れぬ不安も抱かせた。
「そうだな、私は知らぬ方が良さそうだ……」
「博士の『パラログ発現制御遺伝子』と教授の『AG細胞』の組み合わせ。我々は『パラログag53BH』と名付けましたが、その人造遺伝子への指令伝達構造は人間の脳をベースにプログラムしてあります。既存のナノマシンを活用した神経工学処理では、37兆個に及ぶ全身の細胞への出力が貧弱なのはお分かりいただけるかと」
「確かに……」
「すなわち、それは『人間の脳に対応できるレプリカント』の製造が必須となります。博士には『AG細胞』と『マーカー遺伝子』プログラムの御提供。及び『パラログag53BH』への指令伝達神経網の構築と生成したレプリカントの制御実験。それをお願いしたいのです。その過程、もしくは結果として、お嬢さんを救う義体の作製にも繋がるかと」
その巨大な資本と最先端技術を誇る軍産企業であるが故に、強力な政治力をも駆使し不可能を可能とする力を持つ『エルドン・バイオニクス』社。このウィリアムの話だけでも、ロンバッハには自分が何を研究させられるのか、ある程度の察しは付いた。
「ウィリアム君。私が直接『Killing/キリング』を製造するのではないんだな?」
『Killing/キリング』。それはロボット工学三原則などを最初から持たない、軍などによって人の殺傷を目的に製造される類のレプリカントであった。
「はい。博士には、あくまで技術的な実証実験を行っていただきたいのです」
絶望から一転。ロンバッハの心に芽生え始めた――自分の手で娘を救う事が出来る――という手応えは、既に彼の理性のタガを幾分か狂わせてもいた。
「わかった。いいだろう」
同時に、抑えようにも沸き出す科学者としての好奇心。無意識にも高揚感に浸っていたロンバッハであったが、冷徹とも言えるウィリアムの言葉に現実へと引き戻される。
「御理解頂き、ありがとうございます。あと、これは個人的な意見ですが、もし引き受けて頂くのであれば、出来うる限り急いだ方が宜しいかと。こうしている間にも、お嬢さんの細胞がひとつ、またひとつと……。そもそも体が死んでしまっては、肝心なお嬢さんの脳も生きてはいられますまい?」
「そ、そうだな。それも君の言う通りだ……」
そして、論理的に説得するウィリアムの提案は、やはり科学者であるロンバッハの心を別な意味でも突き動かしていた。これも人間の『脳』を研究する立場ゆえか? ロンバッハの中には一つの疑問が沸き上がっていた。
「すまない。あとひとつ。あとひとつだけ教えて欲しいのだが……」
「何でしょう?」
「これは、この実験は君の一存で行っているのか? それとも……」
「御冗談を。レプリカントである私が、このようなことを一存で出来る訳がありません。全てリー博士の指示によるもので御座います」
「そう、か……。で、そのリー博士には、会えるのか?」
「博士に御興味がおありで?」
「いや、礼と言うか、挨拶ぐらいは……」
この時。ウィリアムはロンバッハ教授に、リー博士と同じ習性ともいうべき性を読み取っていた。それは科学者と呼ばれる人種の限りない探求心、その欲望でもあった。
そして、はじめて彼は、その終始無表情な顔に暗い微笑を落とした。
――そう遠くないうちに、いずれ――
※本作品中で使用されている画像は、全て作者のオリジナル撮影写真です。また、この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。




