ヴァルター・ロンバッハ
「ロンバッハ教授、ですね。お嬢様の御病気。心よりお見舞い申し上げます」
そこには黒いスーツを身に纏った、細身で神経質そうな東洋系の男が立っていた。
「あなたは?」
「手袋をしたままで失礼。私はこういうものです」
物静かな口調。男は黒皮の手袋は嵌めた右手で名刺を差し出すと、深くゆっくりとお辞儀をした。
――EldonBionics/エルドン・バイオニクス――
名刺に掛かれた社名に多少の驚きを見せながら呟いたヴァルター・ロンバッハ。入院する娘の見舞いに訪れていた彼に、その病院の廊下で声をかけたのは、軍用レプリカント開発で有名な中国系軍産企業『エルドン・バイオニクス』の者だった。
「ウィリアムと申します。エルドンでは、リー博士の補佐官をしております」
『エルドン・リー』。軍産企業の博士であり社長であるがゆえに、その名前には絶えず良くない噂がまとわりついていた。それは極東から遠いドイツにいるロンバッハの耳にも少なからず届いていた。
そのせいもあって、彼は顔を僅かに曇らせたが、男の丁寧な物腰に礼を欠かぬよう返した。
「あの大企業の、エルドン社の貴方が私に何か?」
ウィリアムは淡々と続ける。
「お嬢様のことで、私共が教授のお力になれるかと」
「娘の?」
「聞けば、お嬢さんは不治の病だとか」
「どうして、それを?」
「我が社もレプリカントや人工知能の開発を行っている会社です。あの素晴らしい『AG細胞:Artificial gene early embryonic cell/人造遺伝子初期胚細胞』を開発した御高名な貴方様のことであれば、失礼ながら自ずと情報が集まってまいります。また、主な取引き相手が軍関係である都合上、敵も多いのです。その為、いささか情報収集には長けております」
『エルドン』社には、諜報活動を行うセクションが存在した。その存在理由はウィリアムが言うように既出の通りで、その『室長』を彼は兼任もしていた。その策動を主とするような仕事柄か? もしくは元々の資質がそうさせるのか? 彼の喋る言葉には感情がないかのごとく抑揚が無かった。
この軍産企業に対して囁かれる政府との癒着や違法活動など、その噂を改めて頭に過らせたロンバッハは、首筋に心地悪さを感じながらも声を強くした。
「君の言う通りだ。娘の体は、正常な細胞までもが急激に『アポトーシス/プログラムされた細胞死』を引き起こしている。つまり、細胞の異常自殺によって脳以外の組織が死滅してゆく病だ。原因や治療法はおろか、病名すらも無い……」
ロンバッハは、その持って行き場のない怒り持て余すようにウィリアムから顔を背けた。
「ですが、もし治療の方法があるとしたら?」
意表を突いたウィリアムの申し出。顔色を変えるロンバッハ。
「治療法だと? 娘の病気を治せるというのか?」
「我々『エルドン・バイオニクス』と教授の頭脳があれば恐らくは。その代わりと言ってはナンですが、我々にも教授のお力をお借り出来ればと」
「私に何の協力を? いや、私にできることであるなら……」
突如、舞い込んで来た希望の光に狼狽えるロンバッハ。そんな彼を往なすよう、ウィリアムは無表情に視線を逸らして言葉を繋いだ。
「立ち話もナンですので。もし、ご興味がお有りでしたら名刺の連絡先へ。あらためて御相談の日取りなど。では……」
再度、ウィリアムは深々と頭を垂れると、足が地につかないロンバッハを置き、その場を後にするのだった。
――真希、治療方法が見つかるかもしれない――
※本作品中で使用されている画像は、全て作者のオリジナル撮影写真です。また、この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。




