第52話 第一次城壁防衛戦 Ⅲ
オーガを倒した後、ジークさん達の方に目を向けると、もう既にオーク達三体は倒れていた。
オーガを倒すまでにそこまで僕は、ほとんど時間をかけておらず、魔獣の群れもまだ遠くに見える程度だ。
だが、ナルセーナにはそれだけの時間で十分だったらしい。
「……手を貸すまでもないか」
最後に残ったオーガも倒されるまでは時間の問題だった。
ジークさんとナルセーナの攻撃に晒され、傷だらけになっているオーガの姿。
ジークさんの元へと走っていくが、辿り着くまでもたないことは明らかだろう。
「がァァァァ!」
オーガがナルセーナの一撃を受け、崩れたのはそれからすぐ後だった。
「助かったナルセーナ」
「いえ、私は少し手助けしただけですから。……凄いのは、オーガを一人で受け持ってくれたお兄さんに」
「そうだな。ラウストにも感謝しないと」
そう会話を続けるナルセーナも、ジークさんもまるで息を切らしていない。
ジークさんに至っては、かなりの時間戦っていたはずなのだが。
そんなことを考えながら、ようやくナルセーナの隣に辿り着いた僕は会話に交じる。
「いえ、気にしないでください。オーガ二体を足止めしてくれたジークさんの方にこそ、僕達は助けて貰ってますから」
「……あのオーガを、一人で倒したラウストに言われても素直に受け取れないな。本当にどんな怪力をしているのか」
その言葉に、僕は唇を緩ませる。
気と魔力による身体強化は、決して僕にとって誇るべき能力ではなかった。
けれど、今は違う。
ジークさんに認められ、僕は思わず笑みを浮かべる。
力を込めた腕と逆側の腕が引っ張られたのは、その時だった。
腕を見下ろすと、俯いたナルセーナが服の裾を握っていた。
「ナルセーナ?」
僕の声に反応し、顔を上げたナルセーナが顔にうかべていたのは、拗ねたような表情だった。
「……なんで、さらに離して行くんですか。でも、すぐに追いつきますから」
その言葉に、僕は思わず苦笑を浮かべる。
やっぱり、ナルセーナは僕のことを上に見る節があると思いながら。
ただ、その根本にあるのが隣に立ちたいという、自分と全く同じ思いであることを僕は理解していた。
「遠くにいるオーガもさっさと倒してしまいましょう! フェンリルが来る前に!」
何時になく、やる気を見せるナルセーナがオーガを指さす。
その判断は衝動的なものにも見えなくはなかったが、フェンリルが来る前にオーガを倒すという判断は決して悪いものではなかった。
魔獣の群れの中に突っ込むことはリスクが高くなるものの、フェンリル討伐の際に最初からロナウドさんに協力できるのは、重要なことなのだから。
そう判断した僕は了承しようとして、圧倒的な強敵の気配に気づいたのはその時だった。
「……お兄さん」
「うん、思っていたよりも早く来たね」
隣街ネルブルクの方向。
圧倒的な気配を感じるその方向に目を向けながら、僕はナルセーナの警告に頷く。
もう少し後であれば最善だったが、そう上手くいくことはなかったらしい。
とはいえ、状況はかなり良かった。
残りのオーガを倒すまでに、そこまで時間はかからないだろう。
すぐにロナウドさんに加勢して、フェンリルと戦えるはずだ。
そう僕は判断しかけて……ナルセーナの顔に浮かぶ表情が険しいことに気づいたのは、その時だった。
「二体、来てます」
「……っ!」
こちらに凄い勢いでやってくる影。
それが一つでないことに、僕も気づく。
その内一体が、空を飛んでいることにも。
「グリフォンだと……!」
呆然と呟くジークさんの言葉に、僕は呆然と目を瞠る。
……それは、一気に状況が悪化した瞬間だった。
変異した二体の超難易度魔獣に襲われている場合なら、ロナウドさんなら対処できるかもしれない。
しかし、城壁を守らないといけない今必要とされるのは渡り合うことではなく、難易度が高い足止めだ。
いくらロナウドさんでも、できるとは思えない。
「報告じゃ一人だって言ってたのに!」
「超難易度魔獣一体で異常なはずなのだが……」
苛立たしげに超難易度魔獣がいる方向を睨むナルセーナと、顔を青ざめたジークさん。
その二人の態度が、現状の悪さを物語っている。
そんな中で、僕は嫌に自分が冷静なことに気づいていた。
「どうやら、逃げてきた冒険者の言葉に誤りがあったらしい」
誰かが近寄ってくる気配を感じて目を向けると、そこにはロナウドさんの姿があった。
その顔には何時もと変わらぬ表情が浮かんでいたが、らしくない張り詰めた空気を感じる。
ロナウドさんにとっても、今の状況は想定していなかったものなのだろう。
「僕ともう一人でできるだけ早く、空を飛ぶグリフォンを……。いや、無理だ。ジークなら、いや……」
ロナウドさんの言葉は、いつになく歯切れが悪かった。
フェンリルとグリフォンは大きな脅威なのは間違いないが、脅威はそれだけではない。
何せ、まだ二体のオーガがこちらへと向かっている状況なのだから。
それに、迷宮都市に逃げてきた冒険者の話では、フェンリルの他にオーガもいると言っていた。
ここで、僕達三人をフェンリルとグリフォンの討伐に向けることはできないのだ。
明らかな戦力不足に、誰もが気づいていた。
「ロナウドさん、少しいいですか?」
僕が口を開いたのは、そんな時だった。
こんな空気の中口を開いたことで、自分に視線が集まってきているのが分かる。
その視線を受けて、一瞬本当にこの言葉を言っていいのか、という悩みが頭によぎる。
だが、それは一瞬のことだった。
「ああ、なんだい?」
そう問いかけてくれるロナウドの姿に、僕は覚悟を決める。
「以前、僕にフェンリルを足止めしたいと言ったことを覚えていますか」
─ 君なら、フェンリルを足止めできるかい?
それは、逃げだした冒険者からフェンリルが現れたことを知った後、ロナウドさんが僕に向けた問いかけ。
あの時は、直後に城壁についての情報を持ったミストが転移したせいで、答えを言うことはなかった。
だが、あの時既に僕は答えを決めていた。
「……その質問がどうかしたのかい?」
ロナウドさんの糸目に見据えられたような感覚と共に、ここでその言葉を言ってしまえばもう引き返すことができないことを僕は理解する。
「できます。僕が、他の全員の戦闘が終わるまでフェンリルを受け持ちます」
その言葉にジークさんと、ナルセーナが呆然とこちらを見てくるのが分かる。
しかし、ロナウドさんは一切表情を変えなかった。
数秒の間、僕を見定めるように眺めた後、口元に笑みを浮かべて僕の肩を叩く。
「僕はグリフォンを抑えるだけで精一杯だ。頼んだよ」
ロナウドさんの言葉に、僕は無言で頷く。
そんな僕に満足そうに笑い、ロナウドさんは超難易度魔獣の方向へと歩き出す。
それは、まるで僕の実力を認めて安堵したように見えるが、そんなことはないことを僕は理解していた。
ロナウドさんが歩いていった方向を見ると、フェンリルとグリフォンは随分近くまで迫っていた。
ほとんど間もなく、城壁に辿り着くだろう。
超難易度魔獣が現れる前に見えていたはずの、魔獣の群れがいまだ遠くにあることを考えれば、その二体の速度の異常さが分かる。
かつてヒュドラも大分早かったはずなのだが、それよりも数段早いのではないのだろうか。
そして、ロナウドさんが自分の提案を聞いたのはそれが理由だと、僕は理解していた。
本当に僕がフェンリルを足止めできるかなんて、ロナウドさんには分からない。
僕にだって、一人でフェンリルを足止めできる自信なんてないのだから。
ナルセーナと一緒なら、僕にはフェンリルでもグリフォンでも、倒せる自信はある。
だが、一人で足止めできるなんて慢心はなかった。
ヒュドラと戦ったことがあるからこそ、僕は決してそんな考えを抱いていない。
それでも、フェンリルを足止めできなければ全てが終わる。
だったら、逃げるなんて選択肢はもうなかった。
それに、おそらく自分が一番足止めに向いているだろうという冷静な考えもあった。
これまで僕は、常に格上と戦ってきた。
変異したフェンリルの足止めという分野に限っていえば、僕が適任だろう。
それが、僕がフェンリルの足止めを迷わず決めた理由。
そうだと、僕は思い込んでいた。
「……お兄さん」
なのに、その声が聞こえた瞬間僕は、気づいてしまう。
足止めを決めた一番大きな理由は、全然違うことに。
どうやら、僕は無意識の内にナルセーナの存在に頼りきっていたらしい。
声の方へと目を向けると、そこには顔を俯かせたナルセーナの姿があった。
ただ名前を呼ばれただけなのに、僕はナルセーナの内心を理解できてしまう。
本当なら、僕と一緒にフェンリルと戦いたいことを。
だが、オーガならともかくリッチが合わられた場合魔術を使われる前に倒さなくてはならず、そのためにはナルセーナが必要だ。
それを分かっているからこそ、口には出さないものの、フェンリルという強敵相手に協力できないことを、明らかに気に病んでいる。
その内心を理解し、僕は思わず苦笑する。
どれだけ僕がナルセーナを頼りに思っていても、口にしなければ伝わらないものなのだろう。
「そのナルセーナ。……少し髪を触らして貰っていいかな」
「え? あ、その、お兄さんならいつでも」
「……ありがとう」
戸惑いを浮かべながらも、許可してくれたのを確認して、僕はナルセーナの髪におそるおそる手を伸ばす。
綺麗なサファイアの髪はとても触り心地が良かった。
徐々に赤くなっているナルセーナの顔に自分も羞恥を覚えながらも、緊張していたはずの自分の心が落ち着いていくのにも、僕は気づいていた。
「……情けない話だけど、どうやら僕は一人でフェンリルと戦うといいながら、無意識の内にナルセーナのことを頼っていたみたいだ」
その気持ちこそが、ナルセーナに声をかけられた瞬間に、僕が気づいたことだった。
一人で戦うと周囲に言いながら、僕の胸の中にはナルセーナの存在があった。
たしかに、同じ敵を相手にしているわけではない。
それを理解しても、一緒に戦っているというだけで、僕は思ってしまうのだ。
「──何があっても、側にナルセーナがいるなら負けない、て」
……思いを寄せる女の子に対して、情けないことを告白しているような気になる。
それでも真剣に、僕は言葉を重ねる。
「事後承諾になってしまうんだけど、今回もナルセーナに甘えさせて貰うね」
俯いたナルセーナが、小さな声で返答したのは、それからしばらくのことだった。
「……卑怯ですよ。そんなこと言わられたら、フェンリルを一人で倒すと言ったこと、怒れないじゃないですか」
まるで僕を責めるような上目遣いで、ナルセーナは僕の顔を見上げる。
だが、その口元は緩んでいて、ナルセーナの複雑な内心を物語っていた。
その緩む口元を抑えて、真剣な表情を取りながらナルセーナは口を開く。
「でも、私は誤魔化されませんからね。後でお説教しますから!」
「誤魔化したつもりはないけどね」
「……っ! い、言い訳は聞きません! 私はオーガ達を殲滅してきますから!」
僕の言葉を受けて、ナルセーナはまるで顔を隠すように後ろをむいて、走り出そうとする。
だが、数歩歩いたところでナルセーナは止まった。
「できる限り早くオーガ達を殲滅して、リッチが来てもすぐに倒して、お兄さんの所に行きますから待っていてください」
そこで、僕の顔を伺うように振り返ったナルセーナは自慢げな笑顔で告げる。
「私は頼りになる女ですから!」
その言葉を最後に、ナルセーナは魔獣の群れへと走り出す。
その一方で、僕の顔に集まった熱はナルセーナが去ってからも、中々引かなかった。
「なんというか、邪魔だったみたいだな」
「……すいません」
恥ずかしい所を見せてしまったのではないかと僕が思い至ったのは、背後から声が響いた時だった。
「いや、モチベーションアップは大切だし、何も言うつもりはない」
僕を気遣うようにそう言ってくれるが、ジークさんの顔に浮かんでいるのは呆れ顔だった。
けれど、その顔はすぐに笑顔に変わることとなった。
「まあ、忘れ去られたことには言いたいこともあるが、今はいい。こっちもできるだけ早く片付ける。足止めは頼んだぞ」
そのジークさんの言葉には、信頼がこもっていた。
「はい。お願いしますね」
その信頼に応えるように笑い、僕はロナウドさんの向かった方向へと走り出す。
ナルセーナの自慢げな笑顔は、脳裏に貼り付いていた。
それを思い出すだけで緩む口元を感じながら、僕は思う。
ロナウドさんの方へと顔を上げると、フェンリルとグリフォンはもうすぐそこまで迫っていた。
フェンリル、紫電を纏う強大な狼は、圧倒的な威圧感を周囲に放っていた。
異常とも感じられる速度でこちらへと近づいているその姿に、自分が恐怖を抱いていることに僕は気づく。
しかし、僕の胸にあったのは恐怖だけじゃなかった。
恐怖さえ薄れるような、熱い感情を感じながら僕は笑う。
「今なら、一日でも足止めできそうだ」
その言葉に反応したわけではないだろうが、フェンリルの双眼がこちらに向けられたのは、ちょうどその時だった。
僕を厄介な敵と判断したのか、それとも一瞬で倒せると考えたのかは分からないが、フェンリルの目に宿った敵意が僕を敵と定めたことを物語っていた。
「Fi─────i!」
雄叫びと共に、フェンリルが僕の方向へと飛び込んでくる。
どんどんと大きくなる巨体を目にしながら、短剣を構える。
「少しの間、僕の相手をしてもらうよ」
そして、戦いが始まった。




