第49話 防衛戦の始まり
焦る心を抑え、僕は短剣を抜き放つ。
ミストを敵に回せば、迷宮都市は拠点として使えない、その話をされたのは先程で、頭にこびりついている。
だから僕は、現状が考えうる限り最悪だと理解できた。
短剣を抜き放った僕に反応してハンザムが剣に手をかけ、ナルセーナが臨戦態勢に入る。
師匠とロナウドさんに関しては、目に見えての変化はない。
だが、二人とも周囲へと突き刺すような敵意を放っていた。
緊迫した空気が、急激に場を覆っていく。
にも拘らず、その空気の原因たるミストだけは、笑っていた。
「そんな怖い顔をしなくても大丈夫だ。言わなかったか? 私は迷宮都市を守るために協力すると」
少なくとも、ミストには今すぐ戦闘を始める気がない。
それを理解し、少し安堵が僕の胸に広がる。
とはいえ、ミストの言葉だけで僕達が武装を解くことはなかった。
今すぐ僕達を殺そうとしなくとも、ミストが僕達の敵であることは確かなのだから。
だからこそ分からないことがあった。
「だったら、なぜ迷宮都市を孤立させたことを態々明かした? ……なぜ、この壁の存在を私に教えた?」
そう、師匠の言う通りミストがここで迷宮都市を孤立させたと言う理由が分からなかった。
そもそも、迷宮都市の城壁についてはミストしか知らない。
僕達に教えさえしなければ、ミストがネルブルクの障壁に関わっていることを師匠が確信することもなかった。
にも拘らず、ミストは全てを隠さなかった。
「私が関わっていることを、ほぼ確信している君達に隠しても意味がない、そう思っただけさ。ギルドの話を聞く限り、私が関わっているのは確信していたのだろう?」
転移してくる直前の会話を、ミストは聞いていたのか。
そのことに気づいても、もはや僕の中には驚きはなかった。
ただ、一つ分からないことがあった。
「ここで隠そうとしても、逆に疑われるだけだろう。だから隠さず正直に肯定した。そして、その上でもう一度提案しよう」
敵意を向けられながら、笑って言葉を続けるミスト。
その姿に、僕はその疑問を強める。
……どうして、ミストが僕達に協力的なのか?
「たしかに私は迷宮都市を孤立させた。少し前ならば、君達の敵だったと言っても過言ではない。だが、それは過去の話で、今は違う。私にも目的があり、それには君達の協力が必要だ。──だから、私と協力して、迷宮暴走をのりこえようじゃないか」
「……信用できるわけがないだろう」
ミストに対して、師匠は頷かなかった。
不審感を露わに、師匠は問かける。
「協力して欲しいなら、自分の目的を言え。何が理由で、私達の協力を求めるのか。それがなければ信用できるわけが……」
「必要ない」
師匠の言葉に対する、ミストの返答は一言だけだった。
取り付く暇もないミストの返答に、師匠も言葉を失う。
「そうだろう、ラルマ。君達に今必要なのは、私がいなければ迷宮都市を守れないという事実だけだ」
笑いながらそう告げたミストは、城壁の方へと歩き出す。
「この城壁を一人で展開するのは、さすがとしか言えない。さすが神の恩寵、スキルといった所か。──で、どれだけの期間この城壁を維持できる?」
「……っ!」
師匠の顔にはっきりと動揺が浮かぶ。
まるで、ミストの言葉を肯定するかのように。
「この状況で、私の手を振りほどくことは君達にはできない。どれだけ怪しくても、私の有用性が分かる限り絶対に」
ミストの言葉に、誰も何も答えられない。
それが、何より雄弁にミストの言葉を肯定していた。
「では、今後ともよろしく頼む」
穏やかに、けれど有無を言わせない口調でそう告げたミストに、僕は強く拳を握りしめる。
「……そんな強引なやり方で誰が!」
一方的なミストの話の進め方に、僕は思わず口をはさんでいた。
ミストの言葉はたしかで、迷宮暴走に対処するにはミストが必要かもしれない。
しかし、こんな流れでミストを受け入れられるわけがなかった。
せめて、目的ぐらいは聞き出しさなければ、ミストを受け入れることなどできない。
引かないと言う意志を込め、僕はミストを睨みつける。
「……ラウスト下がれ」
だが、師匠が僕を止めた。
一瞬、師匠を振り払ってしまおう、そんな考えが浮かぶ。
けれど、そんな考えは師匠の顔に僕以上の怒りが浮かんでいるのを見た瞬間、消え去ることとなった。
「魔獣がやってきた。今はそちらが優先だ」
「……っ!」
迷宮暴走という現実を目の前に突きつけられ、頭が冷える。
どれだけ苛立たしくとも、今はたしかにミストの存在が必要だった。
殺気さえ込め、僕はミストを睨みつける。
「……僕達を利用しようとしたことを後悔するぞ」
「楽しみにしている」
そんな明らかな負け惜しみが、僕にできた最後の抵抗だった。
◇◆◇
それから僕達は、ミストの転移陣で急いでギルドへと戻り、突然現れた城壁にパニックになる人々に説明した。
最初はやや手間取ったものの、現れたのが迷宮都市を守る城壁だったこともあり、その騒ぎは徐々に収まっていった。
それでも時間が取られたことには変わりなく、戦闘準備を整えた僕達がギルドに集まったのは、ある程度時間が経った時だった。
「ミストを見張っているジーク以外、全員揃ったか」
部屋の中で僕達が来るのを待っていた師匠は、いつも通り足を組んで背にもたれかかる尊大な態度で椅子に座り込んでいた。
その姿はいつもと変わらない。
尊大で、どんな状況であれ自分は関係ないという態度。
平時であれば少なからず反感を買う態度ではあるが、この緊迫した状況では心強く感じるのも事実。
……だが、いつもと違い師匠の顔色は悪かった。
「ああ、私のことは気にするな。城壁に魔力を持っていかれただけだ」
僕が何かを言う前に、師匠は手をぴらぴらと振りながらそう告げる。
その態度からは、特に問題があるようには見えず僕は無言で引き下がる。
師匠が大丈夫というならば、今は気にすることではないだろう。
胸に感じる不安を抑え、僕は口を閉じる。
それを確認し、師匠は口を開いた。
「とはいえ、今回私は戦えない」
圧倒的な攻撃力を有し、経験豊富な師匠の戦線離脱。
それは衝撃ではあったが、ある程度予想できるものだったからこそ、僕達の中で動揺するものはなかった。
これだけの城壁を築いたのならば、いくら師匠でも大きく消耗していてもおかしくない。
ただ、そこまでしてもこの城壁は完璧ではないのか。
戦闘準備を整える周囲を見ながら、僕は呟く。
「……やはり城壁でひきこもっているだけではすまないんですね」
「まあな。さすがに私一人では、完璧な城壁は無理だった」
「だったら、私が魔法で……」
「いや、お前には無理だ」
自分も魔力を込める、そう言おうと声を上げたアーミアを師匠は拒絶した。
「私の見立てが間違っていた。これは魔法使いが何人集まっても展開できない類のものだ。魔術師以外使えない」
魔術、それはかつて師匠が僕に教えてくれたスキルを介さず、魔力を扱う方法だ。
だが、そんなもの知るはずのないアーミアの顔に疑問が浮かぶ。
「魔術師、ですか?」
「エルフの別称とでも考えておけ」
「は、はい」
納得したわけではないだろうが、それ以上話す気のない師匠の姿にアーミアが口を閉じるのが見える。
以前説明したことのあるナルセーナ以外の人間が、疑問を覚えている中、僕だけは違うことを考えていた。
魔術がエルフの技術ならば、やはり師匠に魔術を教えた人間こそがミストなのだろうか、と。
だとしたら、あの言葉も城壁が完璧ではないことを見抜いたゆえのことなのだろう。
──どれだけ城壁を維持できる?
師匠にミストが問いかけたことを思い出し、僕は改めて理解する。
ミストが脅威なのは、戦闘ではない別の部分なのだと。
……ただ、ミストの口ぶりを思い出した僕は少し違和感を感じる。
あの口ぶりは城壁の強度ではなく、もっと別のことを言っているようにも聞こえた。
けれど、その僕の考えは師匠が口を開いたことにより中断した。
「まあ、変異した超難易度魔獣は無理だが、変異したオーガ程度までなら耐えられる。今はこの城壁が迷宮都市の希望なのは代わりない。……認めるのは業腹ではあるがな」
オーガまで耐えることのできる城壁、それはたしかに師匠の戦線離脱を考慮しても有用なものだった。
いや、そんな言葉ではこの城壁の価値は言い表せないだろう。
超難易度魔獣まで現れた現状は、控えめに言って最悪だ。
そんな中、この城壁こそが唯一の希望だった。
「だからフェンリルを城壁の近くに寄りつけるな。絶対に城壁を守れ」
いつになく重い師匠の言葉に、誰もが言葉を発しなかった。
代わりに強く拳を握りしめる。
誰もが理解していた。
この城壁を維持できなければ、自分達に未来はないと。
そんな僕達の覚悟を確かめるように師匠の視線が鋭さを増す。
「とは言っても、そこまで気負いが必要なことではない程度のものだがな」
しかし、その視線はすぐに柔らかいものへと変化した。
「本来ロナウドだけでフェンリルには十分だ。他の魔獣がいても、想定通りにお前達が動けば対した被害もなく終わる。それを理解した上で、今からの話を頭に叩き込め」
その師匠の言葉に、今から指示を出されると判断した僕達は口を閉じる。
「まずは他の連中、迷宮都市の冒険者達のことだが、あいつらにはお前達が戦いやすいように、オーク以下の魔獣の相手をさせることになった。ミストとギルド職員の男には、そのサポートを命じている。そしてライラ」
「はい」
「お前は冒険者達を回復し、想定外の事態があれば指示を任せる」
「……ミストが何かしないか見張りながら、ですね」
「ああ、そうだ」
ライラさんの返答に満足気に頷いた後、師匠はアーミアに顔を向ける。
「そこの魔法使いには、とりあえず冒険者達の魔法使い達と共に後衛にいて、ライラかロナウドの支持で攻撃しろ」
「は、はい」
そして次に師匠が顔を向けたのは、僕とナルセーナだったが──その顔は今までと違い真剣なものだった。
「馬鹿弟子とナルセーナ、そしてここにいないジークには、最初はオーガの対処を頼むつもりだ。冒険者達が相手にならない敵をな」
師匠の言葉に混じる「つもり」という言葉。
それは、僕の実力を師匠が測りかねていることを示していた。
「そしてオーガ達の対処を終えた後に、ロナウドさんの援護ですね。分かりました」
「お兄さんと一緒なら余裕ですね!」
それを理解した上で、僕とナルセーナは師匠の懸念を無視した。
──オーガ程度なら問題などない、そう言外に主張しながら。
こういった自信に満ちた言動は、ナルセーナならともかく自分には似合わないと知っている。
それでも、もう僕は自分を無意味に蔑む気はなかった。
隣にいる彼女が、自分の価値を十分に教えてくれたから。
僕の今までに見せたことのない自信を隠さない態度が想定外だったのか、一瞬師匠は目を瞠る。
「……随分と生意気な態度をとるようにになったな」
だが、すぐに師匠は顔を不自然な程に不機嫌そうなものに変え、そう吐き捨てる。
ただ、その声音が弾んでいることはまるで隠せていなかったけども。
「まあ、問題がないならばこのままでいく。後はロナウドに指示をあおげ」
装った不機嫌そうな表情のまま、そう言いきった師匠は話は終わったとばかりにそそくさと、立ち上がって部屋から出ていこうとする。
しかし、完全に部屋を出ていく直前で足を止めた。
「……まあ、なんだ。とにかく早く帰ってこい。物資的にも少なくとも今日だけは、小さな祝宴が行えるだろうからな」
そんな言葉を最後に、今度は部屋を後にした師匠に僕とナルセーナは顔を合わせて笑う。
こういう時師匠がいなくなるのが、喜んでいるところを見られたくないからだと僕達は知っていた。
「早めに終わらそうか」
「はい。お腹を空かして帰りましょう!」
最後にそう言葉を交わした僕達は、隣合って歩き出す。
……それが、苛烈な城壁の防衛戦の始まりだった。
更新遅れてしまい、申し訳ありません……。




