第48話 障壁の秘密
ミストの言葉が聞こえた瞬間には、僕達の目の前の景色は変わっていた。
目に映るのは、先程までのギルドの部屋でなく、外の景色。
周囲を見回し、ここが迷宮都市の外であることを確認した僕は、小さく呟く。
「……本物の転移陣か」
ミストが使っていた転移陣が偽物かもしれないなんて疑っていた訳ではない。
それでもこうして、実際に迷宮の出入り以外で転移陣を使うのは、どこか不思議な感覚を覚えずにはいられなかった。
……改めて、遺失技術に対する畏怖が僕の中に刻み込まれる。
とはいえ、今は遺失技術に気を取られている場合ではないと、僕はそのことを頭から振り払う。
今は現状をどうにかすることが最優先で、他のことに気を回している余裕なんてないのだから。
それに、転移陣よりもよっぽど確かめなければならないことがあるのを、僕は知っていた。
ひとまず確認のため、前にいる師匠へと僕は問いかける。
「……師匠はミストの言っていたものの存在を、知っていますか?」
それは問いかけと呼ぶにはあまりにも言葉を省いた言葉。
だが、今はそれで十分だった。
無言で首を振る師匠に、自分の言いたいことが全て伝わったことを確認し、口を噤む。
やはり、これは僕だけが知らない話などではない。
明らかにおかしいと確信した僕は、ミストへと問いかける。
「迷宮都市の城壁とは一体どういうことですか? ……迷宮都市には城壁なんてないはずだ」
転移前にミストが告げた言葉を、僕ははっきりと覚えていた。
いや、忘れられるわけがなかった。
なぜなら、常に僕達の頭をよぎっていたほどに切望していたにも拘わらず、なかったものこそが城壁だったのだから。
故に僕は、城壁をあるものとして扱うミストに不信感を隠せない。
「迷宮都市に城壁なんてない、か」
……そんな僕の言葉に、ミストの顔に浮かんだのは、今までの飄々とした態度からは相反する表情だった。
まるで何かを、懐かしむような、思い返すような、そして何かを後悔するかのような複雑な表情。
今までとはあまりにも違うミストの姿に、僕は目を瞠る。
しかしその表情は、次の瞬間には消え去っていた。
「仕方ない。若い物に過去を教えてやるのも老いぼれの役目だ。道すがらにも話してやろう。迷宮都市になぜ、ネルブルクのような城壁がないのか」
先程の表情が見間違いかと思うような、笑みを浮かべミストは告げる。
先程の表情は見間違いなのか、そんな考えが僕の頭に浮かぶ。
けれど、ミストが歩きだしたことにより僕はそんな考えを一度頭から振り払い、その背を追うことにした。
ミストは歩きながら、話し始める。
「まあ、端的に言えば無駄だからだ。ネルブルクにあるような城壁は、少し優秀な魔法使いであれば潰せるような脆いものだ。そんなものがあった所で、迷宮暴走ではすぐに潰れて終わりだ」
それは確かに事実だった。
今回のような迷宮暴走では、すぐに破壊されるだろう。
迷宮暴走では、リッチが戦術級の魔術を放つ。
そんな攻撃を受ければ、一撃で城壁は粉々だ。
それでも、なくて良いとは僕は思っていなかった。
「だからって、どうして城壁がなくて良いなんて結論に!」
顔を歪めて、吐き捨てたナルセーナに僕は内心同意する。
そう、例え一撃しか耐えられない城壁であっても決して無意味ではないのだ。
いくら脆い城壁でも、逆にいえば一撃耐えることができる。
その一撃の意味は大きい。
それに、たとえ崩れたとしても、魔獣との戦いではそれを防衛戦として利用することもできる。
例え脆い城壁でもあった方がいいにきまっている、苛立ちを込めて僕はそう吐き捨てようとして、その前にミストが口を開いた。
「城壁がいらないなんて結論には至っていない。その時決めた方針は、迷宮暴走でも耐えられる城壁を建てることだ」
「……え?」
「当たり前だろう? そもそもどれだけこの迷宮都市に、迷宮暴走に対する対策がされていると思う?」
そう言って、ミストは先程僕達が渡ってきた転移陣を指さす。
「迷宮都市からでも、迷宮に入ることができる転移陣に、迷宮都市での冒険者の優遇制度。どれも迷宮都市の迷宮を暴走させないため、暴走しても危険を最小限に抑えるための仕組みだ」
まるで僕らの反応を楽しむように笑いながら、ミストは言葉を続ける。
「それだけ対策されたこの迷宮都市に、城壁がないわけないだろう」
突然ミストは歩くのを止める。
一瞬何か起きたのか、そう僕は身構える。
だが、ミストの視線の先にいるハンザムの姿に、すぐに理解することとなった。
すなわち、ここがミストの目指していた場所だと。
僕を含めた全員がそのことを悟って立ち止まったのを見て、ミストはあるものを指さす。
「あれがこの迷宮都市の壁にして、最高峰の城壁だ」
──それは、迷宮都市を囲むように設置された、冒険者達が高台と呼ぶ、白い建造物だった。
「……なに、を?」
僕は呆然とその建造物を見つめる。
それはたしかに神秘的な何かを感じなくもない、美しい建造物ではあった。
だが、それだけだ。
こんなものでは、迷宮都市に雪崩込む魔獣を抑えることなんてできはしない。
僕だけではなく、ロナウドさんとナルセーナもミストへと疑わしげな目を向けている。
そんな中で、師匠だけが違った。
「そういうことか。くそ! ……もっと早くに気づくべきだった」
苛立ちを隠さずに吐き捨てて、師匠は建造物に手を当てる。
「し、師匠!?」
突然の行動に僕は思わず声を上げるが、師匠は何も応えなかった。
ただ無言で建造物へと魔力を流し始める。
……その師匠の行動こそが、自分の問いに対する答えだと僕は理解することになった。
次の瞬間、建造物は師匠の魔力に反応して輝き出す。
どんどんとその光は強まっていき、一際強い光を放った後、その光は迷宮都市を覆うように周囲へと広がっていく。
「これが、迷宮都市の城壁……?」
そして光が収まった後、そこにあったのは迷宮都市を囲むようにたたずむ、石造りの城壁だった。
それを見て、ようやく僕は把握する。
迷宮都市の城壁は魔術的な何かによって作ららたもので、この建造物こそが城壁を発動するための魔道具なのだと。
ミストが珍しく驚愕を浮かべ、呟く。
「……一人で障壁を作れるだけの魔力だと?」
「うるさい」
師匠の顔には、さすがに疲労が浮かんでいた。
しかし、それも当然のことだろう。
迷宮都市にを囲む城壁の高さは10メートル程もある。
そんなものを作った直後なら、疲れてもおかしくない。
「大丈夫か? 手をかすよ」
ロナウドさんが、師匠へと手を伸ばす。
「いや、いい。そんなことよりも、ミストに聞きたいことがある」
しかし、その手を押し退けて師匠はミストを睨みつけた。
「ミスト、聞かせろ。この城壁はなんだ? お前は何が狙いだ」
突然今までにない敵意を露わにして、ミストに食いつく師匠の姿。
その変貌に僕達は呆然と立ち尽くす。
だが、師匠に敵意を向けられているはずのミストにまるで動揺はなかった。
「落ち着いてくれないと、私も話せないのだが?」
「……黙れ。今は無駄話を聞き流す余裕もつもりもないぞ」
「ラルマさん、落ち着いて下さい!」
ミストの態度に、さらに激昂して殺気を滲ませる師匠に、さすがに度を越していると判断したナルセーナが宥めにかかる。
「ナルセーナ、警戒するのはこのエルフだ」
「……え?」
はっきりと断言した師匠に、宥めようとしていたナルセーナの動きがとまる。
師匠は迷宮都市を覆う城壁を指さしながら、吐き捨てる。
「見た目こそ違うが、これは隣街ネルブルクを覆っていた障壁と同じものだ」
迷宮都市の城壁、それは一見単純な石の城壁に見える。
けれどそれが、明らかに石で作られたものでないことに、魔力探知をした僕は気づく。
一見石に見えるが、この城壁は魔力の塊だった。
「うん。この城壁の感触は石だけど、明らかに強度が異常だね。おそらく、隣街ネルブルクで作られているものと同等ぐらいの強度はある」
いつの間にか、城壁を軽く叩いていたロナウドさんがそう断言する。
師匠は僕達が障壁の異常さを知ったことを確認し、敵意を露わにしてミストを睨む。
「でだ、ミスト。この障壁の作って気づいたのだが、この城壁は隣街ネルブルクを覆う障壁とよく性質がにている。……なあ、お前なのか?」
「なんの話だい?」
飄々と変わらぬ笑みを浮かべるミストは、表情を変えない。
そんなミストをまっすぐと見据えて、師匠は問いかける。
「迷宮都市を孤立している障壁は、お前が作ったのか」
「ああ、その話か」
師匠の言葉を受けて、ミストは笑う。
「そうだ。私が迷宮都市を孤立させた」
……そしてミストは、あっさりと自分が敵であることを認めた。




