第45話 隣街と障壁
更新遅れてしまい、申し訳ありません……。
もし、隣街に迷宮暴走の被害が及んでいれば。
それは、考えたくもない事態だった。
迷宮都市とは違い、隣街には迷宮暴走に対応できるだけの戦力はない。
隣街には城壁や騎士団もあると聞くが、それでも迷宮暴走から隣街を守るに足りるとは思えない。
……もって一日、そんなレベルの話だ。
そのことが確信できるからこそ、僕達はライラさんの言葉に動揺を隠せなかった。
ライラさんの言葉が正しければ、今頃隣街は地獄絵図が広がっていることになるのだから。
だが、その被害を理解しても、隣街の心配をしていなかったのは失念していただからではなかった。
「……隣街に被害が行くのは考え難いと思うぞ、ライラ。あの冒険者達程度が隣街に辿り着くとは、俺には思えない」
ライラさんへとジークさんが問いかける。
そう、その言葉こそ隣街に被害が及ばないと僕達が判断した理由だった。
性格はともかく、たしかに戦神の大剣は冒険者として優秀だ。
そんな戦神の大剣が率いる数百人の冒険者達が強力な戦力であることは、否定しようがない。
それを認めた上でも、この状況で隣街にまで辿り着くのは不可能としか思えなかった。
戦術級の魔法を放とうとしたリッチを思い出し、僕はその思いを強くする。
あの場にいたジークさんも、考えは同じだった。
「俺の戦ったオーガは、超難易度級の魔獣に匹敵するような実力があった。いくら数を揃えたところで、杜撰な計画での隣街への逃走が成功するとは思えない」
真剣にそう告げるジークさんに対し、ライラさんは少しの間思案するような様子を見せる。
しかし、ライラさんの顔から不安げな様子が消えることはなかった。
「たしかに私は、迷宮暴走の魔獣はホブゴブリンとしか戦っていないわ。だから、見当違いな意見かもしれない。それでも、これだけ考えてみて」
そう前置きをした後、ライラさんは真剣な顔で口を開く。
「……もし、戦神の大剣が数百人の冒険者を囮にすることを想定していたとしても、そう言えるかどうかを」
「囮!?」
「迷宮都市の冒険者でも、さすがにそんなことは……」
信じられないと言いたげに、ジークさんとアーミアが声を上げる。
それは当然の反応だろう。
僕達側と違って、逃げ出した冒険者達は戦神の大剣の味方だ。
いくら迷宮都市の冒険者であれ、数百人もの味方を捨て駒にするなど、普通はありえない。
……けれど、戦神の大剣ならばそれを考えてもおかしくないことを、僕は知っていた。
ジークさん達と対照的に、僕の顔からは熱が引いていく。
周囲から見れば、さぞ青い顔となっているだろう。
それを理解しながらも、僕は表情を取り繕うことができなかった。
迷宮都市から逃げ出した時点で、戦神の大剣は後には引けない。
その選択をした戦神の大剣ならば、自分が助かるために数百人の人間を囮にすることを選んでも決しておかしくないのだ。
そして、数百人の冒険者に魔獣達が気を引かれ、蹂躙する時間があれば、戦神の大剣なら隣街の近くまでたどり着くことができるだろう。
……そうなれば、戦神の大剣を魔獣達が殺した後、近くにある隣街に魔獣達が押し寄せるのも、決しておかしな話ではなかった。
そのことにまで思い至った僕は、苦渋に顔を染めて口を開く。
「……ライラさんの懸念通りだと思います。戦神の大剣ならリーダーという立場を利用し、味方を囮にすることも平然とやってもおかしくない」
「なっ!」
「……っ!」
怒りを隠さない様子のナルセーナが、僕の言葉に同意する。
「お兄さんの言う通りだと私も思います。いくら私に気絶させられたとはいえ、仲間を躊躇なく切り捨てる連中なら、囮くらい……」
「……言われてみれば、あの戦士と治癒師の仲間か」
ナルセーナの言葉に、ジークさんが強張った顔で呟いた。
ジークさんも僕の話を聞いていたことで、戦神の大剣の人柄について思い当たる節があったのかもしれない。
アーミアだけは衝撃を隠せない様子だったが、今は懇切丁寧に戦神の大剣の非道さを物語る暇などなかった。
とにかく今は、隣街の状況確認が先決なのだから。
気まずけな表情で師匠が口を開いたのは、そんな時だった。
「……熱くなっているところ悪いが、隣街に冒険者が辿り着くことはありえないぞ」
その師匠の言葉は、本来喜ぶべき話だった。
にも拘らず、師匠の顔に浮かぶのは、喜ぶべきことを話しているはずの現状に似合わぬ後悔だった。
「最初に言っておくが、今から話す話は絶対に外には出すな。お前達には元々話すつもりだったが、広まれば冒険者どころか、民衆達もコントロールできなくなる」
真剣な師匠の声音に、僕達は黙って頷く。
その時なって、僕はロナウドさんの変わらぬ表情が、少し緊張しているように見えることに気づく。
それは、今から師匠が告げる言葉がただならぬ事態である何よりの証拠。
「迷宮都市から隣街ネルブルクに入る唯一の入口である城壁が、障壁によって封鎖された。──端的に言うと、迷宮都市は孤立することになった」
「…………え?」
しかし、そのことを想定していてもなお、僕は動揺を隠せなかった。
迷宮都市が孤立した、それは本来ならば迷宮暴走が起きた際に、国から送られる救援もないことを暗に告げていた。
つまり、僕達は冒険者の数が大幅に減った現在の戦力で、迷宮暴走を乗り越えなくてはならないことを示している。
それは、今の迷宮都市にとって、かなり辛い状況だった。
険しい顔をしたライラさんが師匠へと問いかける。
「……どういうことですか?」
「言った通りだ。城壁を強化するように、障壁が展開されている。ちょうど、私達が出ていった後にな。迷宮都市の人間があの城壁を突破することも、隣街から迷宮都市に人が来ることもありえないだろう」
「……っ!」
師匠の言葉に、ライラさんは押し黙る。
それでも、師匠の言葉は止まることはなかった。
「それも障壁は近くでは魔法や魔術を無効化する、私でも知らない魔術で作られた超高性能なものだ。例え、変異した超高性能魔獣の攻撃を受けても問題ないだろう」
……変異した超難易度魔獣の攻撃を弾く、その言葉にロナウドさんを除いた全員が絶句する。
魔法的な障壁というのは、本来かなり脆い。
何せ、時間が経つごとに魔力を消耗する障壁はかなり効率が悪い。
常時障壁を維持しながら、強度は維持できない。
それならばいっそ、普通の城壁の方が強力で、そんな背景から、原始的な城壁で隣街は守られているのだ。
故に、超難易度魔獣の攻撃でも受け止める障壁など異常以外の何ものでもない。
それが師匠の冗談であれば、どれほど良かったことか。
「ロナウドが逃がした冒険者を囮にしたのも、あの障壁を計算してのものだろう」
だが、それがありえないのは師匠の言葉から明らかだった。
ロナウドさんは、弁解するように自分の失態を主張していたが、それを無視して師匠は言葉を続ける。
「……少しの間だけでも、障壁を展開するまでの時間を稼ごうとはしたが、無理だった」
そう告げた師匠の顔には、後悔が浮かんでいた。
その表情は、師匠が障壁の展開を必死に遅らせようとしていたことを暗に示している。
それを理解したからこそ、僕は疑問を隠せなかった。
超一流冒険者として、名声だけではなく一定の権限を師匠とロナウドさんは持っている。
それを無視して、強引にことを進めるのには、正直不自然さを感じずにはいられなかった。
「迷宮都市に比べて、隣街では師匠の名前が響いていない?」
「いえ、そんなことはありえないと思います。超一流冒険者の権限はギルドによって保証されていますし、ネルブルクだけラルマさん達の権限が通用しないなんてこと、ありえる訳が……」
「ナルセーナの言う通り、ギルドがある場所では冒険者の権限は保証されている。ギルドがある隣街ネルブルクで、超一流冒険者の権限が通用しないことは本来考えられないな」
「そう、ですか」
ナルセーナとジークさんの補足に、僕は顎に手を当て思案する。
ほとんど迷宮都市から出たことのない僕と違い、ギルドの権限を知る二人の言葉だ。
間違っているとは考えにくい。
だとしたら、残る可能性は一つ。
「……師匠達、超一流冒険者よりも強い権限を持つ人間が、障壁を作らせた」
超一流冒険者の権限はかなり強い。
それを考えれば、障壁を作らせたのは迷宮都市ギルド支部長のミストか?
いや、ミストの権限はあくまで迷宮都市限定だ。
いくら隣街だといえ、ミストの権限が師匠達を超えるとは考えにくい。
つまり、ミストさえ超えるような人間が障壁を築いたことになる。
師匠が口を開いたのは、その時だった。
「おそらく、障壁を築いたのはこの国の中心部にいる人間だろう。そんな人物でなければ、あの障壁は築けない」
「障壁が築けない?」
その言葉をオウム返しにしたナルセーナへと、師匠は苦々しげな表情で告げる。
「あんな強力な障壁は、私も見たことがない。ただ一つだけ言えることがあれば、あれには百人単位で魔法使いが必要な障壁だということだ。この障壁を築くには、一ヶ月は必要だろうな」
忌ま忌ましさを隠そうともしない表情で、そう師匠は吐き捨てる。
師匠のことだ。
少なからず、自分の要求をはねのけたことを根に持っているのだろう。
勝手に孤立させられたことにたいして、いい思いなど抱いていていないのは、僕も同じだ。
とはいえ、師匠の言葉が本当ならば僕達に障壁はどうにもできない。
その現実に、僕は苦々しげに呟く。
「魔法使い百人、か。それと一ヶ月もあれば、たしかに師匠の言う通り……一ヶ月?」
……ある、違和感に僕が気づいたのはその時だった。
突然様子が変わった僕に、ナルセーナが心配して声をかけてくる。
「お兄さん?」
「……ナルセーナ、なんで隣街に障壁があるか分かる?」
「え? それは迷宮暴走から隣街を守るため……っ!」
言葉の途中、ナルセーナの言葉が途絶える。
その反応に、僕はナルセーナも自分と同じことに思い至ったことを悟る。
そう、本来であれば一ヶ月も準備期間が必要な障壁を、迷宮暴走の備えとすることなど不可能なのだ。
──そう、一ヶ月前から迷宮暴走が分かていなければ。
「……まさか、迷宮暴走を王都の人間が予知していたというの?」
僕達の話を聞いていたライラさんが、震える声でそう口を開く。
それに答えたのは、僕達ではなかった。
「いや、迷宮暴走を離れた王都の人間が予知できるわけがない。予知できたとしたら、迷宮都市内の人間だけだ」
師匠は淡々とそう告げる。
その態度からは、僕達の想定に対する動揺は一切なく、それが師匠が既に僕達の想像した話まで行きついていたことを証明していた。
いや、それ以上のことに師匠は思い至っているのだろう。
それを理解し、沈黙が広がった部屋の中師匠が口を開く。
「そして、その王都の手先は迷宮都市支部長で、遺失技術を持つエルフ、ミスト以外ありえない」
その瞬間、師匠がミストに持つ過剰な敵意や、これまでの言動の全てが、僕の中繋がった……。




