第30話 これからの方針
迷宮暴走、それは天災と並んで恐れられていると言っても過言では無い、迷宮特有の現象のことだ。
本来迷宮内にしか存在しない魔獣達が、迷宮の外に溢れ出す。それが迷宮暴走の一番の特徴だろう。
その上、迷宮から出てきた魔獣は、ゴブリンやホブゴブリンでさえ、本来超難易度魔獣しか起こりえない変異した状態になっており、集団で動くのさえ問題ない高い知能も有する。
それが例え小さな迷宮だとしても、迷宮暴走が起これば、周辺の都市2、3個潰す被害を出す。
それが、僕が本で得た迷宮暴走の知識だ。
そして、確かに今の迷宮都市の状態と酷似していた。
異常な程の知能と実力を兼ね備えたホブゴブリンに、オークの魔力を奪って戦術級魔術を完成させたリッチ。
どこからどう考えてもただ事では無く、迷宮暴走だとすればそれの事態に説明がつく。
だが、それを理解しながらもなお、僕は師匠の言葉を受け入れることができなかった。
「……この迷宮都市の迷宮が暴走するなんて、信じられません!」
魔獣達の群れと相対したあの時、僕も迷宮暴走の可能性を一度は考慮した。が、その時も僕はすぐにその考えをあり得ないと否定した。
何故なら、迷宮都市では迷宮暴走を抑えるために存在し、僕の知る限りその役目は今まで確実に果たされていたはずだからだ。
次の瞬間、ナルセーナが師匠に告げた言葉が、図らずとも僕の内心を代弁することとなった。
「先日私達は、超難易度魔獣フェニックスを討伐しましたし、他の冒険者も迷宮内で狩りを行なっています!この状況で、迷宮暴走が起こるほど魔力が溜まることがある訳が……」
迷宮暴走は、迷宮が溜めている魔力が一定の量を超過することで起こると言われている。
迷宮内の魔力が溢れることで、迷宮外でも生きられる強力な魔獣が生み出され、外に魔獣が溢れ出す。
つまり、迷宮内に魔力を溜めないことが迷宮暴走を起こさないために必要で、迷宮内の魔獣を殺して新しく魔獣を迷宮に生み出させて魔力を消費することが、その唯一の方法だ。
だからこそ、迷宮の周りには迷宮都市が生まれ、冒険者達が魔獣を狩りに迷宮に降りる。
その知識があり、この迷宮都市の冒険者達はかなりの魔獣を倒してきたことを知るからこそ、僕とナルセーナは師匠の言葉を信じることができなかった。
師匠が告げた迷宮暴走の言葉、そこには今まで数々の迷宮暴走を収めてきた経験の上でのものだと理解しながら。
師匠は動揺が隠せない僕達に同意するよう頷き、口を開いた。
「ああそうだ。普通に考えればこの迷宮都市で迷宮が暴走することなんて起こり得る訳がない。何せ、ここにあるのは今まで見つかった中でも、最大の迷宮だ。念入りな魔獣の討伐が行われていないわけが無い」
師匠の言葉は、この状況で迷宮暴走が起こるはずがないという、僕とナルセーナの考えを肯定するものだった。
だったら何故、迷宮暴走なんて告げたのか、そんな思いを一瞬僕は抱くが、師匠の話はまだ終わっていなかった。
「だが、今起きている事態は確実に迷宮暴走だ。いやもしかしたら、似た別の現象かも知れないが、そんなことは今はどうでもいい。大事なのは、今危機的な状況が起きていることだ」
そこまで告げ、一瞬師匠は言葉を止めた。
まるで何かを躊躇うような、そんな態度で。
が、それはほんの少しの間のことでしかなく、師匠は再度口を開く。
「──私は、この事態が人為的に起こされたものだと考えている」
「なっ!」
「………え?」
次の瞬間、その師匠の言葉に僕は動揺を覆い隠すことができなかった。
人為的にこの事態を起こす?誰かが、迷宮暴走を引き起こした?
そんなこと、信じられるわけがなかった。
冗談であることを期待し師匠の顔を伺うが、その顔に浮かんでいたのは、真剣そのものの表情だった。
師匠は、その表情のまま口を開く。
「私はそれが出来てもおかしくない人間を知っている。そして、その人間がここ最近何か怪しい動きをしていたこともな」
「……それは誰なんですか?」
間髪入れずに、僕が告げた言葉に師匠がすぐに応えることはなかった。
代わりに、師匠は一つの質問を口にした。
「なあ、ラウスト。お前は遺失技術を知っているか?」
「……え?」
突然の質問の意味が分からず、思わず動揺の声を漏らす。
が、直ぐにこの状態で師匠が関係ない話をするわけがないと判断し、僕は遺失技術に関して、頭の中に本で読んだ知識を呼び出す。
遺失技術とは、今から数百年以上前に発展した文明が残した、今からでは考えられない高度な技術だ。
何せ、神の領域とも言われる迷宮に手を出しているのだから。
この迷宮都市にある転移陣、別名エレベーターとも呼ばれるそれも、遺失技術だ。
それが無ければ、冒険者たちは迷宮に入るためだけに、超難易度魔獣さえ時々現れる草原の奥を通って、本来の迷宮の入り口にまで行かなくてはならないだろう。
そこまで思い出し、それでも何故この話が今の状況に関わるのか理解できず、僕は師匠へと聞き返す。
「遺失技術が、どうしたのですか?」
「この迷宮都市のギルド支部長は、その遺失技術を知っていて、その知識で迷宮暴走を起こした可能性がある」
「……は?」
その師匠の言葉に、僕は動揺の声を抑えることができなかった。
ナルセーナに至っては、唖然としている。
少しの時間を経て、僕は情報を整理する。
師匠は先程、迷宮暴走を起こし得る人物が怪しい動きをしていたと言った。
そこから考える限り、師匠はこの迷宮都市の支部長が迷宮暴走を起こしたと考えているのだろう。
が、そこまで理解して、それでも僕は師匠の言葉を受け入れることができなかった。
たしかにこの迷宮都市のギルドは、一冒険者でしかない僕から見ても明らかにおかしかった。
が、だとしても迷宮暴走なんて起こそうとする理由なんてあるように思えなかった。
迷宮暴走の後待っているのは、甚大な被害だ。
そんなのもを求めて、何か意味があるとは思えない。
そもそも、遺失技術をギルド支部長が有していると言うことさえ、僕には信じられなかった。
数百年前に亡くなっているからこそ、遺失技術と呼ばれているのだ。
そんな技術を持っていることさえ信じられないし、例え支部長が本当にその技術を持っていたとしても、遺失技術で本当に迷宮暴走を起こせるのかも、僕には分からなかった。
もちろん、師匠を信じていない訳ではない。
師匠の浮かべる真剣な表情を見る限り、師匠が本気であることを僕は信じていて、だからこそ僕は混乱せずにはいられなかった。
横目に見えたナルセーナも、僕に劣らない程に混乱している。
だが、そんな僕達が混乱から冷めるのを師匠が待つことはなかった。
「だから、これからの方針としては居なくなった支部長とその側近の行方を追う。ラウスト、お前は直ぐに用意しろ。ナルセーナはロナウドと防衛を固めていろ」
「え?」
「10分以内には探しに行くぞ。急げ」
そう言った次の瞬間には、師匠は行動に出ていた。
椅子から立ち上がり、そのまま部屋を後にする。
「ロナウド、お前はここをを冒険者達と共に守っ………」
遠ざかっていく師匠の声に、詳しい説明を聞く機会を逃したことを理解した僕は、思わず嘆息を漏らした。
「「はぁ」」
重なった溜息に、横を向くと同じく疲れた顔をしたナルセーナと目が合う。
その瞬間、お互いの気持ちが妙に伝わい、同時に僕とナルセーナは吹き出した。
そして少しの間笑っていたが、直ぐに用意をしなければならない現状、長々とその場にいることが出来ず、僕は椅子から立ち上がる。
最後に僕は、ナルセーナへと口を開いた。
「もし次に魔獣達が来ても、絶対に無理はしないようにね。ロナウドさんもいる事だし、頼った方がいい」
「私は大丈夫です。お兄さんこそ、気をつけてくださいね。……私達の思っていたより、支部長の人間はやり手みたいですし」
「分かっているよ。まあ、師匠がいるし僕は大丈夫だと思うけど」
そう僕はナルセーナに笑って答えながらも、その内心はまるで別だった。
たしかに、師匠は僕の知る限り有数の実力者だ。
しかし、いやだからこそ僕の胸には、一抹の不安を覚えていた。
確かに何時も師匠は人の話を聞かないことがあるが、特に今回はどことなく焦っていたように見えたからだ。
もしかしたら、今回は想像以上に危機的な状況かもしれない。
ふと頭に浮かんだその考えは、それから少しの間頭の中に留まり続けた。




