第6話 アーミアの憂鬱
今回アーミア目線です。
「はぁ、はぁ、……私は、なんてことを」
ジークさんの側にラウストさんがいたことに驚き、動揺して逃げ出してから数分後。
私は、街の奥深くで荒い息を吐いていた。
全速力でこの場所まで来たせいか、息は苦しいし、周囲の人からは怪訝そうな目を向けられている。
……だが、今の私には、それらを意識する余裕はなかった。
酸欠のせいか、朦朧とする頭に浮かぶのは先ほどの出来事、ラウストさんと出会ったことだった。
それは、私が切望していたはずのことだ。
決して多くはないが、昨日ジークさん達と迷宮に行ったことで、ある程度の貯えを私は手にした。
その瞬間から私はラウストさんを探そうと行動を起こしていた。
もちろん、私が手にした貯えをラウストさんに渡すために。
だが、突然過ぎる出会いに私は動揺してしまった。
ラウストさんに出会った時、どう謝罪をし、どう償いの意思を見せるか、それを何度も繰り返し想像していたからこそ、想定外の事態にパニックに陥ってしまったのだ。
………そして、私はあの場所から逃げ出してしまった。
最初、全くラウストさんの存在に気づけていれば、パニックに陥ることはなかっただろう。
だが、その時私は自分をフェニックス討伐から除外すると告げたジークさんに対する怒りで、視野が狭くなっていた。
フェニックスに、後衛の私を除いて戦いを挑むなど、自殺行為以外の何物でもないのだから。
「……何で、こんなことに」
……だが、感情のままに行動したことについて、私は激しい後悔を抱いていた。
最早、私の中にはジークさんに対する怒りはなかった。
あるのはただ、やってしまったという思い。
「どうすればどうすれば」
そして、その後悔は焦燥へと変化し、私は無意識にそんな言葉を口から垂れ流す。
ラウストさんへの償い、それは私が最優先に行わなければならないことだった。
それにもかかわらず、こんな失態を犯してしまったことに対し、私は自身へと強い自責の念を抱く。
「……もう失敗は、許されない」
そしてその感情の中、私はそんな言葉を漏らす。
何故なら、もう私にはラウストさんに償う以外の存在価値など無いのだから。
最早、私と共に償ってくれる人間はいない。
その人間達は私を裏切り、逃げ出し……
「ゔっ!」
私が、突如として吐き気を覚えたのはその時だった。
私は人目のない路地裏へと駆け込み、口元を押さえる。
「ゔぁ……」
最終的に、私が胃の内容物を吐き出すことはなかったものの、最悪な気分が治ることはなかった。
稲妻の剣の人間達へと告げた、償おうという言葉。
それは決して何も考えずに告げた言葉ではなかった。
私だって、あれだけのことがあれば稲妻の剣の人間達がが良い人ではないことぐらい分かっていたから。
そして、ライラさんのパーティーに入れば、もう一回苦労して底辺から頑張らないでも良いことも分かって、酷く悩んだ。
── だが、それでも私の中から、稲妻の剣に誘われて一流になることが出来たという事実が消えることは無かった。
それは、私にとっては大きなことだった。
その前まで私は底辺の人間で、けれどもそんな私を稲妻の剣は引き上げてくれたのだ。
例え、その本心がどうであっても。
だから私は、稲妻の剣に恩を返そうと、もう一度底辺からやり直すことを決断した。
……なのに、その私の気持ちは最悪な形で踏みにじられた。
「どう、して」
その時のことを考えてしまうたびに、私は黒い何かで覆われそうな感覚を抱く。
淀んだ感情が凝り固まったような、黒い何かに。
「……こんなことを考えている暇なんてない」
私は、その感覚から目を逸らそうとする。
償わなければならないという強迫観念を抱くことで、何とか我を保とうとする。
「はあ、ようやく見つけた」
「………え?」
次の瞬間、誰もいないはずの路地に響いた、聞き覚えのある声に、私の思考は中断させられることとなった。
声のした方向へと、私は上げる。
「ナルセーナ、さん?」
───そして、その場にいた人間の姿に私は呆然と、その名をつぶやいた。
◇◆◇
ナルセーナさんと出会ってから数分後、私は彼女に人気のない空き地へと連れていかれていた。
空き地へと向かうその道中、ナルセーナさんは何も話そうとはしなかった。
そしてそのナルセーナさんの様子に、私は今から自分が何をされるのか想像がついていた。
……おそらく、ナルセーナさんは私に仕返しをしようとしているのだろうと。
ナルセーナさんが、ラウストさんと恋人であることは、冒険者ギルドでは有名だ。
そして、ナルセーナさんは恋人であるラウストさんを不当な扱いをするものを許さないことも。
そんな彼女が、私のような人間を許すわけがない。
今から何をされるかはわからないが、決して楽にすむものではないだろう。
だが、そのことを悟ってなお、私が取り乱すことはなかった。
それは当然の報いであることを、私は知っていたから。
誰に何をされようともそれは当たり前の罰でしかない。
……だが、その私の予想に反し、空き地に辿り着いたナルセーナさんは、石に腰掛けただけで何のそぶりもすることはなかった。
ただ、こちらの様子を伺うような視線を向けるだけ。
「……何も、しないんですか?」
そのナルセーナさんの様子に、私は思わずそう問いかけていた。
「私は警告に来ただけ」
「……え?」
私の言葉に対し、ナルセーナさんは簡潔にそう告げた。
だが一瞬、私はその言葉の意味がわからなかった。
動揺から、間の抜けた声を漏らしてしまう。
「お兄さんに償うことに、執着しないで。もうお兄さんを利用しようとするのはやめてくれない」
「なっ!?」
……だが次のナルセーナさんの言葉に、全てを理解し、私の顔から血の気が引くことになった。
償うことへの執着、そんなことをしているつもりは私にはなかった。
にもかかわらず、ナルセーナさんにそう告げられた時、私はその言葉を否定することができなかった。
頭に浮かぶのは、稲妻の剣のことを忘れるために、償うことだけを意識していた自分。
それは執着どころか、依存と言っても良いような、醜い行為。
そしてそんなことをしていた自分に、私は動揺を隠すことが出来なかった。
「別に私が貴女に手を出すつもりはない。お兄さんが貴女に望んでいるのは、復讐でも、償いでもなく、無関係であることだから。でも、貴女から関わろうとするのはやめて」
……その私の気持ちを見通したように、ナルセーナさんはそう言葉を重ねる。
その言葉に、最早私はナルセーナさんに対して顔を上げることができなかった。
私は羞恥と、情けなさでこの場から消え去りたい衝動に駆られる。
「貴女のどうしようもない未練に、私を巻き込まないで」
「…………っ!」
……しかし、次の瞬間ナルセーナさんの告げた言葉に、その感情は怒りへと変化することとなった。
── 稲妻の剣に関わったことが愚かであったことぐらい、私は十二分に理解していた。
ナルセーナさんの言葉は正論そのものだろう。
私は、信頼してはならない人間を信じ、その結果裏切られた。
そんな目に会いながら、未だ稲妻の剣のことを割りきれない私は、ナルセーナさんからすれば、間抜けにしか見えないだろう。
それを理解してもなお、私は激情を抑えることが出来なかった。
必死に私は、自分の感情を抑えようとする。
これが見当違いな八つ当たりだと分かっていたから。
……だが次の瞬間、私は感情を抑えることができず、口を開いていた
「貴女に、私の何が分かるの!」
叫び声をあげた次の瞬間、私の胸に広がったのは激しい後悔だった。
相手の言葉はなにも間違っていないのにも関わらず、八つ当たりで叫び声を浴びせる。
そんなことを、本来こちらが謝らなければいけない相手にしてしまった。
これはもう、どれだけ貶されても文句は言えない。
「………え?」
だが、そんな私の予想と反し、ナルセーナさんは冷静そのものだった。
私に、理不尽な八つ当たりを受けたのにもかかわらず、その顔には怒りさえも浮かんでいなかった。
その代わりにナルセーナさんの顔に浮かんでいたのは、私を哀れむような視線だった。
「なっ!?」
まさか、そんな表情を向けられるとは思ってもいなかった私は、動揺を隠すことが出来なかった。
私はナルセーナさんにとって親しい人間でもなく、こうして哀れられる理由などないのだから。
「貴女の葛藤を、貶すつもりはないけど、それでも今はそれに囚われているのは駄目」
動揺する私を一瞥したナルセーナさんは、そう告げた。
「貴女が今やらないといけないのは、未練に縛られることでも、償いでもないでしょ」
ナルセーナさんの言葉、その意味を私は理解することが出来なかった。
未練を振り切れないのも、償いに執着するのも良くないことであるのはわかっている。
でも、私が今やらないといけないことなんて、全く思いつかない。
「え?それはどういうこと……」
その疑問を晴らすべく、私はナルセーナさんへと問いかける。
だが、ナルセーナさんはその私の言葉を一切聞くそぶりを見せなかった。
私の言葉を無視して、その形の良い唇を動かす。
「貴女のパーティーメンバーである人たちは、貴女がお兄さんに謝罪できる場を取り持つために、フェニックスの共同討伐の報酬を全て私達の取り分にしていいって言ってたよ」
「───っ!」
……そして、そのナルセーナさんの言葉にようやく私は、彼女の伝えたかったことを理解することとなった。
頭の中に、心配して気を遣い元気づけさせようとしてくれていたライラさんとジークさんの姿が蘇る。
フェニックスの報酬を全てラウストさん達に渡す、それがどれだけの赤字になるのか、私に理解できない訳がなかった。
しかし、それでも私を立ち直させるために、ライラさんとジークさんは、その報酬を諦めようとしたのだ。
……なのに、その一方の私は自分のことだけで、二人に気を遣うことなんて全く出来ていなかった。
ライラさんには稲妻の剣時代にも支えてもらっていたに、それさえ私は忘れていた。
私には支えようと、助けてくれようとしてくれている仲間がいたのに、全く気づけていなかった。
だが、もう違う。
本当に私はどうしようもない子供だ。
またどうしようもないことに目を奪われ、一番大切なことを見失いそうになっていた。
だけど今は分かっている。
どれだけライラさんとジークさんが、私に気を遣っていてくれたか。
そして、その二人がどれだけ大切なのか。
……未だ、稲妻の剣のことは胸の中燻っていて、黒い何かも、大きな存在感を出しながら、私の中に居座っている。
でも、それでも今の自分がしなければならないことに私はようやく気づけたから、もう立ち止まるつもりは私にはなかった。
「その、ナルセーナさん、ありがとうございました!」
そして、そのことを気づかせてくれたナルセーナさんへと、私は大きく頭を下げた。
「今直ぐには無理だと思います。でも、それでも絶対にラウストさんに今までの分の償いをさせて頂きます。ナルセーナさんへの御礼も。本当に、ありがとうございました!」
そう叫ぶ私に、ナルセーナさんは小さくうなずく。
そして、そのことを確認して、ジークさん達の元へと私は走り出した。
「先ずは、フェニックス討伐を許可してもらわないと……」
その足取りは、先程とは比べものにならない程、軽いものだった。




