第110話 残酷な願い
この度、コミック、ノベルの全巻重版決定致しました!
ありがとうございます……!
「な……!」
じっとナルセーナに言われるままだったノグゼムが目を剥いたのはその時だった。
そんなノグゼムを意に介さずナルセーナは続ける。
「どうしてまだ分からないのですか? 貴方の罪悪感は見当違いだって。どうしてお兄さんの顔を見ないんですか!」
「……だが俺は」
「ノグゼム」
何かを言い募ろうとしたノグゼムに、僕は口を開く。
このときまでくれば、僕にも理解できた。
ノグゼムは何か僕に頼みたいことがあって、けれどそれを抱えたまま死ぬつもりだと。
「僕は君の力になりたいよ」
そういいながら、僕はナルセーナの手のひらを強く握りしめる。
……僕はこの子に何度救われるのかと思いながら。
「恩とか、感謝じゃない。ただ君の力になりたい」
その僕の言葉に、ノグゼムがなぜか悲しげに笑った。
「お前は本当にそうだ。いい奴すぎるんだよ。もっと、俺を恨めよ。……何で、お前がこんな目に遭うんだろうな」
その言葉に僕は思わず笑っていた。
それはかつて僕も思っていた考えだった。
自分をいいやつだなんて思った事はない。
でも、どうしてこんなにも苦しまないといけないのか、そうはずっと思っていた。
けれど、なぜか僕は今はその問いに対する答えを持っていた。
「お前はこんなところで無能と言われる人間じゃなかった」
「ううん、僕は無能と呼ばれていて、虐げられて来て良かったんだよ。──そのおかげで僕はナルセーナに会えたんだから」
「っ!」
息を飲んだ音はノグゼムか、ナルセーナか。
それとも両方か、それも確認もせず僕は笑う。
「こんな幸運があるのに、この程度の不幸あって当然だろ?」
そう言いながら笑う僕に、ノグゼムは楽しげに笑った。
「本当にお前馬鹿だな、ラウスト。もう少し賢かったら、こんな迷宮都市逃げてるよ」
「君が言えないだろ? そんな馬鹿をずっと追い出そうとしてるのもなかなか間抜けだと思うよ」
「知ってる。自分が大間抜けな事は。……だから、そんな間抜けの頼みごと、嫌だったらすぐに断れよ」
「それを断りたくないから僕が大馬鹿なんだろ?」
そうのうのうと言って見せる僕に、ノグゼムが顔をグシャグシャにしながら笑う。
……その身体が、黒いもやに飲み込まれていることに、この場にいる全員が気付いていた。
下半身を飲み込んでいたもやは今、ノグゼムの腰あたりまで覆っていた。
その光景は異様きわまりなく、ましてや当人がうける恐怖はどれほどか。
「……っ」
ハンザムを嫌いと言ったナルセーナさえ息を飲む状態にあって、それでもノグゼムの顔にかげりはなかった。
「三つ、お願いがある」
「任せてくれ」
「せめて内容さえ聞いてから言えよ」
そんな中、僕もいつもの対応を変えることはなかった。
「まあいい。一つは人への伝言だ。王都にいるノートという男に手紙を渡してほしい。隠し部屋の俺の荷物の中にそれはある。……約束を果たせなくてすまない、とも伝えてほしい」
そう言いながらノグゼムは腕を動かそうとして、けれどその腕が動くことはなかった。
その様子に僕は理解する。
……想像よりも時間はないことを。
同時に、ノグゼムの口調からおふざけが消える。
「二つ目はミスト様を守ってほしい。あの人はこれから先に必要な人だ。この願いには私情ももちろんあるが、本気でお前達には必要なことだと俺は思っている」
「……それはいるのか?」
それでも、僕は思わずそう口を挟んでいた。
ミストに悪感情があって守りたくない、そういう気持ちが合るわけではなく、ただ疑問からでた内心だった。
確かに、ミストが希有な実力を持ち、何か僕達が助けを必用とする未来はあるかもしれない。
でも、ミストは守る必用があるような存在には見えなかった。
僕と目があったナルセーナが頷き口を開く。
「そう、ですよね。竜さえ簡単に倒したあの人に助けがいるようになんて見えない……」
「あの人は、ミスト様はもう抜け殻なんだ。……俺があの人の心を潰した」
そう言ってノグゼムは笑った。
それは今までとは違う、必死に胸の痛みをこらえようとする笑い方だった。
「あの人を最後に生かしていたのは罪悪感と弟子を死なせたくないという強迫観念だった。六百年の間、ずっと自分の代わりに弟子を身代わりに生き延びてきたあの人の心はもう限界を超えている。これから先の地獄を生きていくための思いはもうあの人の中にはない」
「待って、地獄って……」
「頼む、聞いてくれ」
……そう告げるノグゼムの声はかすかにふるえていた。
それに言葉を失った僕は同時に気付く。
黒い浸食は腰を完全に覆い、さらにその上を浸食しようとしていることに。
「そうだ。俺は知っていた。あの人はもう俺しか存在意義がないことに。その上で俺はあの人を裏切った。俺があの人の心を殺した」
「ノグゼム……」
「でも、絶対に絶望だけじゃないはずなんだ。だって、こんな絶望的な都市で無能とさげすまれた俺でも助けれくれた人がいた。そんな俺に手をさしのべてくれた人が絶望して死ぬなんて絶対に許せるもんか。……だから、お願いだラウスト。あの人の希望になってあげてほしい」
「希望……? 何を言っている? 僕に何を望んでいる?」
「……なあ、一つ聞かせてくれ。お前達はこの迷宮暴走が怖いか?」
僕の問いに答えることなく、突然変わった話題。
それに、僕とナルセーナは思わず顔を見合わせる。
ただ、その答えはもうでていた。
「ああ、怖いよ。落ち着かないし。──だからすぐにでも終わらせる」
「私達、終わってからやることいっぱいで忙しいんです」
怖くない訳じゃない。
ただ、僕もナルセーナも知っていた。
僕ら二人で乗り越えられないものはない、と。
そんな僕らに、ノグゼムは心から楽しげに笑う。
「十分だよ。お前達はただミスト様の側にいるだけで、その姿を見せるだけでいい」
「何を……?」
ノグゼムの言ったすべてが僕には理解できない。
それでも気にせずノグゼムは続ける。
「お前達だけだよ。この迷宮暴走において楽しそうにしているのは」
「そんなこと……」
「責めてる訳じゃねえよ。そんなお前達だからミスト様の希望になれる。──この世界に希望に、最強の治癒師になれる」
その言葉に僕は思わず目を見開く。
そのノグゼムの言葉の意味が僕は理解できなかった。
「最強? いったい何を……」
「悪い、後はミスト様に話を切いてくれ。……時間がない」
そのノグゼムの言葉に、僕は唇をかみしめる。
そう言われていい募れる状況ではなかった。
好奇心にふたをし、僕はノグゼムに問いかける。
「最後の願いは……?」
その僕の問いに、ノグゼムは少しの間答えなかった。
その時の表情はとにかくつらそうで、僕は理解できた。
本当に時間は残されていないことを。
「……酷い願いを口にする俺を恨んでいい」
「恨まない」
そう反射的に僕は口にする。
これ以上酷いことなどおきはしないだろうという気持ちで。
……しかし、その想定が甘かった事を僕はすぐに理解することになった。
「──お前のその短剣で俺を殺してくれ」
僕の古い友人が望んだのは、僕自身の手で彼を殺すことだった。




