第109話 思い出したのは
「……っ!」
ハンザムの手に持った大剣からあふれた漆黒が竜を覆い尽くす。
それを、僕達は城壁までもう少しのところで見ていた。
「そんな、あれは……」
ロナウドさんの口元からそんな言葉が漏れる。
その様子は明らかに何かを知っていて……しかし、そんなロナウドさんであれ驚愕を隠せていなかった。
そんな中、走っている冒険者のうち一人が呆然とつぶやく。
「これで、終わったのか……?」
その言葉を区切りに全力で走っていた冒険者の足が止まり始める。
警戒を解く人間はいない。
けれど、もう全力で城壁の場所に向かおうとする人間はいなかった。
それはロナウドさん、ジークさんでさえ。
「……っ!」
そんな中、僕一人だけが全力で走っていた。
「お兄さん!?」
僕の様子に気づいて足を止めかけたナルセーナが速度を上げる。
それにさえ、気を使う余裕はなく僕は全力で走っていた。
……その僕の頭によぎるのは先ほどみたハンザムが、黒い竜に飛びかかっていく姿。
頭にこびりついたそれを思い出しながら僕は唇をかみしめる。
「なんで僕は今になって……!」
そういいながら僕の頭に合ったのは別の光景だった。
それはまだ稲妻の剣にすら入っていなかった時の記憶。
その時の僕はどうしようもない無能として捨て石にされることもよくあった。
……けれど、そんな中同じ無能でありながら僕を助けてくれた人間がいた。
トロールとの戦いの中、捨て身で攻撃をして僕が倒す隙を作ってくれた人間がいた。
──その時の光景と、先ほどのハンザムが黒い竜に捨て身の攻撃を繰り出した光景は、僕の頭の中で合わさっていた。
「もっと気づく時間はあったのに……!」
ハンザムが地面に落ちた場所。
そこに辿りつくまでにかかった時間は数十秒ほどか。
地面に横たわったハンザムの身体が動くのが見えた時、僕の胸に安堵がよぎった。
間に合った、そう思って。
……その安堵は、ハンザムの身体がやけに小さいことに気づくまでの者だった。
「お兄さん、もう……」
ナルセーナが痛ましげに顔を背ける。
その時、もう僕は走っていなかった。
走らなくても、もうハンザムにたどり着くまで時間は必要なかった。
「遅いじゃないか」
……そして、そこまで来て僕たちの存在にハンザムが気づかない訳がなかった。
いつも通り、ハンザムは嫌みを滲ませた笑みを浮かべる。
しかし、それにもう僕がいらだちを抱くことはなかった。
浮かぶのは、どうしようもない罪悪感と後悔。
ハンザムには右半身と下半身がなかった。
ちぎれている訳ではない。
……むしろ、それならどれほど良かったか。
ハンザムの身体の断面にあるのは、うごめく黒い何かだった。
それは今もなお、ハンザムの身体を浸食していた。
このままだと、いずれハンザムの全身はそれに飲み込まれるだろう。
何が起きているのかは分からない。
ただ、明らかな異常が起きていることだけは僕にも理解できた。
「何で……」
「何だ、もっと喜べばいいだろう。お前を虐げたものの末路だろうが」
そう言ってハンザムは笑う。
それは本当にいつも通りの表情で、それがなおさら僕の心を締め付ける。
「っ! 《ヒール》」
ハンザムのすぐ側に膝をついた僕はすぐに治癒魔法を発動する。
しかし、そんなものに意味はなかった。
黒い何かに対し、僕の治癒魔法を何の効果も現れなかったのだから。
「《ヒール》……くそ!」
「お兄さん……」
もし、僕の治癒魔法が弱まっていなければ効果があったかもしれないのに。
そう後悔しながら僕は何度も治癒魔法を発動する。
そんな僕に少し驚いた表情をした後、ハンザムは笑った。
「諦めな。これは治癒魔法でどうになる状態じゃない。それを覚悟して俺はあの剣を振るった」
その言葉はまっすぐで僕は理解する。
本当にハンザムは全てを理解して今の状態になった事を。
そうわかりながら僕は受け入れなかった。
「……僕が言ったんだ」
「ラウ、スト……?」
「怪我したら来て、て。──なあ、そうだろうノグゼム」
それは僕のかつての恩人にして、気づけば迷宮都市から姿を消した無能。
そして、過去の僕が唯一の友人だったと思えた人間の名前だった。
「っ」
それを聞いた瞬間、くしゃりとハンザムの顔がゆがむ。
そして、くしゃくしゃな笑顔を浮かべた。
「……もう隠すって決めたのに、何で思い出すんだよお前」
ああ、知っている。
それはノグゼムのしゃべり方だ。
「僕は……。どうして……」
それに気づいた時、僕の胸にあふれたのはどうしようもない後悔だった。
後ろに行るナルセーナが、どうしたらいいか分からず、それでも僕の背中に手を当ててくれる。
それにさえ、僕は何の反応もできず僕は動けない。
「……ラウスト、間違っていたのは俺の方だった」
疲れたような笑みでハンザムが口を開いたのはその時だった。
「俺はずっとお前には迷宮都市から出て行ってほしかった。……今から始まる地獄につきあわせたくなかった」
ノグゼムの言葉に、僕の頭の中様々なやりとりが蘇る。
それはハンザムだった時に交わした言葉。
今、僕は理解する。
あのときの言葉は本当だったこと。
……ハンザム、いやノグゼムは僕をずっと迷宮都市か逃げさせようとしていたことを。
「俺が間違っていた。そんな回りくどいことをしてお前を傷つけて、こんな最悪な再会にしちまった。全部俺のせいだ」
「そんなこと……」
「そうなんだよ!」
初めて、ノグゼムの顔から笑顔が消えた。
「お前達だけなんだよ。この迷宮暴走が始まってから、ずっと幸せそうなのは。別に俺の心配なんて杞憂でしかなかった。だから、お前は俺を蔑んでいればいいんだよ。恩も返せない惨めな人間だと」
その瞬間、僕の手は止まっていた。
何と言葉をかければいいのか分からなくて。
「貴方は、勝手すぎます……!」
今まで黙っていたナルセーナが口を開いたのはその時だった。
「そうして分からないんですか! お兄さんは恩を返してほしいんじゃない、貴方ともっと話したかっただけだって!」
「……っ」
自分でも理解していなかったその気持ちに僕が気づいたのはその時だった。
「なあ、ノグゼム」
ゆっくりと、ノグゼムが僕の方を向く。
そんな彼に、僕は何とか笑顔を作って告げた。
「……僕は君とパーティーを組んで見たかったよ」
「っ!」
どうしようもない後悔がノグゼムの顔によぎったのはその時だった。
……僕の胸に同じくらいの後悔がよぎったのも。
そうじゃないのだ。
僕はノグゼムを責めたいわけじゃなくて。
そんな内心を理解してるという様に、僕の手を握ってくれる一人の人がいた。
目をおろすと、彼女は必死に口を結んでいた。
いいたいことがたくさんあるのだろう。
それでも僕の為に必死にその内心を押し殺してくれていた。
そんなナルセーナに背を押されるように僕は続ける。
「恩返しなんていらないんだ。お礼を言いたくて、ずっと恩返しをしたいと思っていたのは僕の方なんだから」
「ラウ、スト……?」
「今回の迷宮暴走でもずっと助けてくれてありがとう。黒い竜を止めてくれてありがとう。迷宮都市で僕に向き合ってくれて、僕がパーティーを組みたい人であってくれてありがとう」
そういいながら僕は気づけば笑えていた。
「君のおかげで僕はナルセーナがくるまで迷宮都市でまつ事ができた。希望を信じることができた」
「……何だよ、俺は自分のせいでお前を迷宮都市から追い出せなかったのか?」
「今気づいたのかい?」
あえてとぼけて言うと、ノグゼムがわずかに顔をしかめる。
それが笑みだと理解し、僕もまた笑った。
その瞬間、僕の心に合ったのはナルセーナに対する感謝だった。
この日の事を僕はこれから何度も後悔するだろう。
忘れられず、何度も思い出す苦い記憶として頭に残すだろう。
それでも、ナルセーナのおかげでいいたい事を口にすることができたと。
今まで後ろに下がってくれていたナルセーナが一歩前にでたのはそんな時だった。
「……私は貴方が嫌いです」
そう告げるナルセーナの目に浮かんでいたのは、ノグゼムに対する純粋な怒りだった。
それを目にして僕は困惑する。
ナルセーナは優しく強い。
そんなナルセーナが死を目前にした人間にして、強い口調を使うのが腑に落ちなかったが故に。
「……私がいない間にお兄さんと一緒にいられた貴方がうらやましくて嫌いです。私が唯一のパーティーメンバーなのに、お兄さんに勧誘されている貴方に嫉妬します。そんな長い間ずっと一緒にいたのにきちんとお任さんと話さずに一方的に追い出そうとしたのも頭が固すぎます」
けれど、僕は知っていた。
ナルセーナを止める必要なんてないことを。
……その僕の考えを、ナルセーナの涙が何より雄弁に証明していた。
「──そして、この期に及んでも全部話さず死のうとする貴方が嫌いです」
この度、ナルセーナ声優の前田佳織里さんによる治癒師第一巻の労働がYouTubeで始まりました!
6週ありますので、是非1度見ていただけたら嬉しいです!
お酒の知識が増えますので是非!




