第106話 不完全な魔剣
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「……これでひとまず何とかなるかの」
そういって私、ミストが見下ろすのは立派に迷宮都市を囲う城壁だった。
それは前までラルマが築いていたものとは違い、まばゆい程の青白い光を放っている。
それも当然だろう。
何せ、この城壁は私が長年魔力を込めてきたものなのだから。
むしろ、即興の魔力で城壁を築いて見せたラルマの方が異常としかいえない。
そしてそのおかげで、今の今までこの城壁を完璧な状態での保存に成功していた。
「これなら、超難易度魔獣が来ても大丈夫か」
そういいながら、私の顔に浮かぶのは疲労と達成感だった。
今の絶望的な状況は変わることはない。
それでも、何とか立て直したといえるだろう。
「次の第三波さえ耐えれば、勇者がやってくる……」
そしてそこまで行けば、私の目的は達成される。
こうするしか無かったとはいえ、迷宮都市の人間を迷宮暴走に巻き込んでしまったという罪滅ぼしを。
それは本来喜ぶことであることを私は知っていた。
「また、私は生き残ってしまったのか……」
そう知りながら、私の口から漏れたのはそんな言葉だった。
分かっている。
この結末が何より喜ぶべき状況であることを。
……なのに、そう知りながら私の心にあるのは虚無感だった。
なぜなら、私がこの迷宮都市に赴いた理由は一つ。
──死ぬためなのだから。
「…………!」
だから、だろう。
その時、その雄叫びが聞こえた時、私の顔に浮かんだのは笑みだった。
私の視線の先、そこにいたのは徐々に再生していく黒い竜の姿だった。
竜にしては弱い、そう思ってはいたがこんな罠が隠されていたとは。
蘇生、一度死んだことを無効にできる権能。
それは間違いなく、邪龍が私を想定していたとしか思えない能力だった。
私を確実に殺すための初見殺しの権能。
その権能にあのロナウドさえ、騙され出遅れていた。
ロナウドの魔剣でも、もう黒い竜を止めることはできないだろう。
つまりここで城壁を守れるのは私だけで。
それは私が命をかけても仕方ない理由だった。
「は、はは」
その権能を発揮しこちらに向かってくる黒い竜。
それを目にしながら、私の口から漏れたのはどうしようもない笑い声だった。
六百年生きたエルフ。
この世界の人間は私の長寿を誉める。
しかし、その六百年は私にとって恥ずべき記憶でしかなかった。
なぜならその年月は、私が弟子を犠牲にして生きてきた年数なのだから。
──貴方に死なれる訳にはいかない。
未来ある若者に、自分が自ら技を鍛えた弟子たちに、そう言わせながら私は生き残ってきた。
死にゆく弟子達に背中をむけ、惨めに生き抜いてきた。
「ようやく死ねる」
だから、私は笑う。
ようやく弟子の為に命を捨てることができると。
誇るべき、命を懸けて救いたいと思う弟子のために。
ラルマ、ハンザム。
この苦境の中、迷宮都市に残った二人の弟子を私は頭に浮かべる。
かたや英雄と呼ばれるにふさわしい弟子。
そして、かたや命を捨てることになると知りながら迷宮都市に残った弟子。
その二人を思い浮かべ、私は笑う。
「……本当にどうしようもない二人だ」
そういいながら、私の頭にかつてラルマの前から姿を消した時が浮かぶ。
次に頭をよぎったのは、初めてハンザムと出会った時の記憶だった。
──あんただけは許さない。
真っ正面からにらみつけ、ハンザムが告げてきた言葉。
それは私の脳裏にはっきりと刻み込まれていた。
何せ、私はそう言われて当然のことをしてきたのだから。
異様に治安の悪い冒険者達。
そして、一度無能と認定されれば常に蔑まれることになる不条理。
マータットのその文化を意図的に作ったのこそ、私だった。
だから、無能として迷宮都市で生きてきたハンザムが私を憎むのは当然の話で……しかしそのときはまだ私は死ぬわけには行かなかった。
故に私はハンザムに戦うすべを教えた。
それはただ、自己満足の償い。
彼に伝わるとも、その償いに意味があるとも思わない。
ただ、彼が無能というレッテルから解放されるようにと、それだけの思いで私はハンザムを鍛えた。
それだけのはずだったのだ。
──貴方は私にとっての恩人で、尊敬すべき方です。
その言葉を聞くまでは。
あのときほど、自分の愚かさを笑ったときはない。
何がもう弟子はとらないか。
気づけば、ハンザムは私の中でかけがえのない存在になっていた。
そして、何時の日にか私の中での優先順位は変わっていた。
死ぬための迷宮都市の生活が、ハンザムを生き残らせるための生活へと変化していた。
しかし、何度説得してもハンザムは迷宮都市を去ろうとしなかった。
迷宮都市の茨、城壁も、ハンザムが生きていられるように用意したもので。
そして、その切り札はまだつきていなかった。
私はゆっくりと、城壁に手をおく。
その瞬間、そこから茨が生えてくる。
布にくるまれた棒状の何かに絡まった状態で。
私はそれを茨からはがしとる。
──そうそれこそ、かつて隠れ家でハンザムに切り札と語ったものだった。
「取り扱いを間違えれば危険、か」
第二派が始まる前日。
ハンザムにむけてした説明が思い出され、私は笑う。
「使用者諸共敵を殺すこれに、取り扱いなどありはしないだろうに」
布をめくると、その下から姿を表したのは魔剣によく似た柄の大剣だった。
それもそうだろう。
何せ、この大剣は魔剣と同じく、ドワーフによって作られた兵器。
遺失技術の結晶にして、魔剣を生み出す中できた失敗作。
不完全な魔剣、それがこの大剣の名前だった。
「不完全とは言い得て妙よな」
そういいながら、私は布を投げ捨てる。
かつて忌み嫌っていた兵器を使う私の顔には、苦みが滲む笑みが浮かんでいた。
魔剣は本来、切りつけた対象を内部の別空間に閉じこめる封印具だ。
魔剣が魔法を使えるのはその中に魔獣が存在するから。
その強力な魔法さえ︎︎本来の能力の副産物でしかない。
そして、不完全な魔剣もまた同じく強力な封印具だった。
ただ魔剣とは違い、不完全な魔剣は切りつけた対象を、ランダムにどこか別空間へと飛ばす。
……それも、使用した人間と共に。
そう不完全な魔剣とは、兵器というのもおこがましい自爆用の武器だった。
「…………!」
随分近くなった黒い竜の雄叫びに、私は視線をあげる。
その後ろ、必死に魔法を放つ冒険者達の姿が見える。
しかし、その攻撃さえ当たらない程に、冒険者と竜の距離は離れていた。
「追いつくものはなし、いいな好都合だ」
それを見て、巻き込む不安はないと私は笑った。
その心に恐怖はなかった。
「……!」
血走った竜の目が、殺意と共に私にむけられる。
迫り来る死を目前にして、私の心にあったのは安堵だった。
言葉通り、これで他の冒険者の死者を出すことなく、死ねるという。
そして私は竜の元へと踏みだそうとして。
──ただ一人、竜を迎え撃つ人影に気づいたのはそのときだった。
「……ハンザム?」
その人物は唯一、竜に追いついていた。
城壁の上を走り、竜に向かうただ一人の人影。
それを目にした私の心臓が早鐘を打ち始める。
最悪の想像がよぎったのはそのときだった。
そんなことはあり得ない。
ハンザムが不完全な魔剣の効果を知るわけがない。
──ハンザムが不完全な魔剣を私の代わりに使おうとするなど、あり得る訳がない。
そんな否定の言葉を、私は自分にかける。
けれど、私は気づいてしまう。
……ハンザムの腰に、私が持つものとよく似た大剣がつるされていることにを。
まだ抜くときでない、危険である。
頭によぎったすべての懸念を無視し、私は大剣の柄に手をかける。
「っ!」
次の瞬間、私が目にしたのは魔剣ではあり得ない、錆だらけの刀身だった。
何者かが魔剣をすり替えた何よりの証拠を目にし、一瞬私の思考が止まる。
そんなことができる人間は一人しかいなかった。
「ハン、ザム……!」
初めての弟子の反抗に、私ができたのはただかすれた声を漏らすだけだった。
私は必死に、黒い竜へと、ハンザムのもとに走り出す。
息を切らせ、ただの老人のように。
「神よ、どうか……!」
神など、役に立ちはしない。
そう知りながら、私の口から祈りの言葉が漏れる。
今回もまた、神が役に立つことはなかった。
私の視線の先、ハンザムが城壁から黒い竜へと飛ぶ。
不完全な魔剣に手をかけたハンザムの身体が、宙に躍る。
──その顔に浮かぶのは、初めてのいたずらを成功させた幼児のような、無邪気な笑顔だった。




