第105話 城壁の亡霊
咄嗟に目をかばった腕をとり、戦場へと目を戻す。
魔法陣の代わりにそこにあったのは、一人の人影だった。
いや、人影とは言うべきではないかもしれない。
何せ、その人影は茨でできていたのだから。
その人影は何か剣のようなものを握っており、瞬時に僕には理解できた。
……あの剣には何か、恐ろしい力が込められていると。
「あれは……」
「面白いことを考える」
楽しげにロナウドさんが口を開いたのはそのときだった。
「勇者を作ってみせたか」
「勇者!?」
想像もしない言葉に、ナルセーナが声を上げる。
しかし、それに応えることなく、ロナウドさんは戦いの行く末に目を遣っていた。
茨でできた男が腕を振り上げたのはその時だった。
はっきりと空気が変わり──次の瞬間、草原全体を白い光が覆った。
「……!」
何が起きたのか、それを理解していたのはロナウドさんだけだっただろう。
想像もしない事態に、僕もナルセーナも咄嗟に目を閉じる。
「……なっ!」
そして次に目をあけたとき、世界は変わっていた。
「魔獣がいない?」
冒険者達のふるえた声が聞こえる。
それは信じることのできない言葉で。
……けれど、事実だった。
先ほどまで、僕達の目の前にはミストの茨に拘束された魔獣達がうごめいていたはずだった。
だが、今その名残として存在するのは魔石と茨だけ。
オークなどの魔獣においては、魔石さえも消えている。
呆然としている中、ロナウドさんだけは楽しげだった。
「勇者の聖剣の力、神が与えた魔獣と相反する光の魔法。それを再現して見せたか」
そういいながら、ロナウドさんが見ているのは竜二体とミストの戦う場所だった。
……いや、正確には竜二体が戦っていた場所、というべきか。
かつて黒い竜がミストと戦っていた場所、そこに今あるのは原型もとどめていない肉体と、血だまりだった。
他の魔獣、それも超難易度魔獣さえ魔石しか残っていないことを考えれば、竜という存在の規格外さを物語っているといえる。
だが、もう黒い竜が再生することはなかった。
「……!」
もう一体、白い竜はまだ健在だった。
いやこれも、そういうのには語弊があるだろう。
何せ、白い竜も生きているのが不思議な程の状態だったのだから。
四肢で残っているのは、前足のみ。
他の足はちぎれ、体の三分の一が欠損している。
本当に、よく生きているとしかいえない状態だ。
「…………!」
それでも、白い竜の闘争心は変わることはなかった。
茨の消えたミストをにらみつけ、口を大きく開く。
その光景に思い出されるのは、先ほどの茨をはぎ取った攻撃。
だが、その攻撃が発動されることはなかった。
その前に、茨の人影が白い竜に剣をむけた。
次の瞬間白い竜へとむけて発射されたのは、先ほどと同じような光ではなかった。
先ほどを太陽の光とするならば、ろうそくに火をともした程度の光。
けれど、それで十分だった。
今度こそ、白い竜は声もなくその場から消える。
後に、この世に存在した証たる魔石を残すことさえ許されず。
「……これが勇者」
その光景を目にし、僕の口から漏れたのはかすれた声だった。
僕ら孤児でさえ聞いたことのある伝説の存在。
それがただならぬ英雄であることは知っていた。
しかし、これほどのものなのか。
「実物はもっと凄いさ」
「っ!」
ロナウドさんが軽々と告げた言葉に、ナルセーナも息をのむ。
何故か悲しげに笑って、ロナウドさんは続ける。
「まあ、これが限界か」
ぐしゃり、と茨の人影が崩れたのはそのときだった。
先ほどまで動いていたのが嘘のように、人の形を取っていた茨がほぐれていく。
後に残ったのは、ただ太いだけの茨。
それは先ほどまでの激闘の名残には、あまりにも小さなものだった。
ただ、ミストの戦闘の戦いぶりは僕達の頭に張り付いていた。
そして、まだミストの行動は終わっていなかった。
ゆっくりとミストが腕を上げる。
瞬間、再度地面に魔法陣が描かれる。
先ほどの勇者を作った魔法陣と比べると小さな、けれどそれでも巨大な魔法陣。
一体何の意図があってその魔法陣が作られたのか理解できず、この場にいる全員の動きが固まる。
その反応を持たず、魔法陣が発光する。
「…っ」
次の瞬間、そこにあったのは白い竜に破壊されたはずの城壁だった。
その光景に、一瞬の間があって理解する。
ミストが城壁を築き上げる魔法を密かに持っていたこと。
絶望的な状況は変わった訳ではない。
けれど、それでも生き抜ける芽が出てきたことを。
──超一流冒険者ラルマに感謝を。
ミストの声が響いたのは、そう僕達が呆然としている最中だった。
──おかげで、この時までこの城壁を温存することができた。
そのミストの声が響いたとき、初めて僕は理解する。
僕達は生き抜いたことを。
この第二派を何とか勝利したことを。
それを理解したのは僕だけではなかった。
そのことを、周りの冒険者達の反応から僕は理解する。
そして全員が、目の前で起きたできごとに何もいえなかった。
草原を、全員の沈黙が支配する。
しかし、それは一瞬のことだった。
「あの野郎、やりやがった!」
「とんでもねぇ、隠し玉用意してやがって!」
次の瞬間、草原を歓声が埋め尽くす。
今までミストを疎んでいた冒険者さえ、興奮した面もちで歓声をあげていた。
竜という存在、それはそれほどに恐ろしい存在だった。
これで終わったと誰もが思いこんでしまってもおかしくない程に。
そして、その存在を討伐したミストは、間違いなくこの場において英雄だった。
今までの確執も、水に流せる程の偉業。
「凄い……。これがエルフ……」
「お兄さん……!」
その熱気を、僕もナルセーナも抱いていた。
上気した顔でこちらを見てくるナルセーナ。
彼女に僕も頷き、勝利を喜ぶ冒険者達の中に入ろうとして。
「…………!」
ーー聞き覚えのある雄叫びが響いたのはそのときだった。
それは先ほどまでに何度も、何度も聞いた忌々しい雄叫びだった。
特徴的なその叫びを僕達が聞き間違える訳がなくて。
だけど、誰もその雄叫びが響いたことを信じられなかった。
……なぜなら、その声の主はもう死んでいるはずなのだから。
そう、ミストの手によって。
故に僕もナルセーナも、ロナウドさんさえも状況を飲み込めない状態で雄叫びの聞こえた方向へと顔をむける。
それはずっと向こう。
かつて黒い竜だったもの、その亡骸と血だまりへと。
そして僕達がみたのは、肉片がかつての姿を取り戻そうとする異様な光景だった。
再生していく頭と、四肢。
胴体は穴だらけで、大量の魔力が漏れ出ており、再生している頭も四肢も骨が見えている。
けれど、唯一完全に再生している片目には、先ほどに劣らぬ闘争心が浮かんでいて。
それはまさしく地獄の死者だった。
その光景に、僕は言葉も発する余裕もなく立ち尽くしていた。
黒い竜が蘇った。
状況は分かっている。
でも、頭が納得できなかった。
なぜなら、僕ははっきり見たのだ。
あの黒い竜が死んでいるところを。
にも関わらず動いている今の状況は、再生なんて言葉で片づけられる範囲の力ではなくて。
「やられた……!」
いつになく、余裕無のないロナウドさんが吐き捨てたのはそのときだった。
「全員走れ! 奴が完全に蘇生する前に!」
次の瞬間、そういって走り出したロナウドさんに僕とナルセーナは反射的に続く。
頭は未だ停止したまま、このままでは行けないという危機感に背を押され走る。
「奴の権能は再生ではない!」
少し遅れて、少数の冒険者達が僕達の後について走り出す。
「一度死んだことを無かったことにする権能、蘇生だ!」
そして次に、魔法使い達が走り出す。
彼らへと、ロナウドさんが怒声をあげる。
「だが、二回の蘇生はない! あいつが蘇る前に殺せ! ミストは宛にするな!」
びりびりと草原を振るわせる怒声に、魔法使い達が慌てて魔法を準備する。
しかし、遅かった。
「……!」
不完全な体で黒い竜は走り出す。
ぼろぼろと、中身をこぼしながら真っ直ぐある方向──ミストが築いた城壁へと。
「奴を城壁に辿りつかるな……!」
ロナウドさんの声を聞きながら、僕はあまりにも遠い黒い竜の背中、そして城壁へと目をやる。
その上ではミストが長い髪と髭を風に揺らしていた。
……その様子は、まるで亡霊のようだった。




