第97話 第二次迷宮防衛戦 ⅶ
「サラマンダー!?」
そう呟く僕の声はかすれていた。
亜竜、それは文字通り最悪の迷宮の主と言われる、竜に次ぐ存在。
中規模の迷宮の主として現れる魔獣だった。
すなわち、目の前の魔獣は超難易度魔獣の中でも上澄みの能力を備えている。
そんな存在が目の前にいるという状況に僕は改めて思わずにはいられない。
……一体、このマータットの迷宮暴走はどれだけ異常なのだと。
本来なら迷宮の主でもおかしくない存在が地上に現れている。
そんなことは竜が主である迷宮でさえ起きたことはない。
一体何が、この迷宮には眠っているのか。
「ヤレ」
「っ!」
その思考の時間をセイレーンとサラマンダーが許すことはなかった。
先ほどまで僕が立っていたところを炎が埋め尽くす。
辛くもその攻撃を飛んで避けたものの、一息をつく暇さえなく、次の攻撃が迫る。
炎が消えた瞬間には、サラマンダーが距離を詰めていた。
膝をついた僕に、サラマンダーの爪が迫る。
「くっ!」
想定外の攻撃に咄嗟に僕は防御しようとして。
「……!」
「はぁああ!」
しかし苦悶の声をあげることになったのは僕ではなく、サラマンダーの方だった。
痛みに暴れるサラマンダーの上を、青い線を描きながら軽やかに飛び越える攻撃の主。
「お兄さん、大丈夫ですか!」
その声の主は、もちろんナルセーナだった。
頷きながら、僕は告げる。
「ありがとう、おかげで助かった。あの攻撃は受けたくなかった」
もし強化されたサラマンダーのあの一撃を受けることになれば、僕は倒れることになっていたかもしれない。
それほどの威力があの爪には込められていた。
ナルセーナが来てくれなければ、状態はさらに悪化していただろう。
しかし、それを理解しているにも関わらず、ナルセーナの顔に浮かぶのは罪悪感だった。
「ごめんなさい、お兄さん……。私セイレーンを……」
その言葉につられるように、僕はナルセーナの視点の方へと目をやる。
そこにいたのは、先程の攻撃でしとめ損なったのにも関わらず、僕の方をにやにやと見てくるセイレーンの姿だった。
その笑みの理由は不利を脱したと確信したからか、または圧倒的有利な状況になったという確信からか。
「……大丈夫。僕たちなら勝てる」
咄嗟に ナルセーナにそう告げながらも僕の顔色も決して優れなかった。
決して勝てないなど思っていない。
ただ、もう楽に勝てなくなったことを僕も理解せずにはいられなかった。
先ほどの瀕死のギガンテスでさえ、セイレーンの能力によって苦戦させられることになった。
しかも、今回強化されるのはサラマンダーだ。
苦戦するのは必須。
「……嘘だろ」
「何だよ、この状況……!」
不安な空気は周囲へも伝播していく。
そんな中、楽しげに口を開いた人間がいた。
「ようやく俺の仕事の時間が来たか」
想像もしないハンザムの声に、僕は咄嗟に問い詰めそうになる。
この状況をなんだと思っているのだと。
「集中を乱すな。そのまま聞け」
しかし、それを制止したハンザムの声は真剣そのものだった。
「サラマンダーだけならお前達なら倒せる。それは間違いないな」
「……ああ」
「なら、死ぬ気で注意を引け。後は俺がやる」
「なにを……」
突然の言葉に反射的に問いかけようとした僕は、途中で言葉を止める。
ハンザムの気配が消えたことに気づいて。
「勝手なことを」
そういいながら、けれど僕はゆっくりと短剣を握り直す。
ハンザムがなにをしようとしているかはわからない。
ただ、今の僕達にできることは代わりはしないことを僕は理解していた。
確かに、サラマンダーとセイレーンは強敵だろう。
けれど、勝てないなど僕は微塵も考えていなかった。
ナルセーナと目が合う。
それだけでお互いの考えはたやすく共有できた。
勝負は短期で決める、と。
奇しくも、ハンザムが僕達に望んだ戦術になったことに僕は苦笑する。
そんな僕たちを嘲るように、セイレーンは見ていた。
「イイカゲンニ、シネ」
その言葉がまるで合図のようにサラマンダーは自身の口を開く。
しかし、その時すでに僕も動いていた。
「やらせるか」
あえて真っ正面から僕はサラマンダーに突っ込んでいく。
サラマンダーの目に驚愕が浮かぶ。
確かにサラマンダーのブレスは強力だ。
ここで放たれるようなことがあれば、僕とナルセーナはともかく、冒険者達には多大な被害があるだろう。
ただ、初手でその攻撃を選んだのは失敗だった。
僕なら、その攻撃が行われる前にその攻撃を止めることができる。
そして、その攻撃を途中で止められることになれば、サラマンダーといえどただではすまないだろう。
ただ、そのサラマンダーと対照的に、セイレーンの判断は異常なほど冷静だった。
「……っ」
サラマンダーに向かう途中、急激に重さを増した身体に僕は唇をかみしめる。
ひどく見覚えのある感覚に目を向けると、歌を口ずさみながらこちらをにやにやと見つめるセイレーンの姿だった。
言葉もなく僕は理解する。
これはセイレーンの妨害魔法であることを。
先ほどのツタの魔法ではない。
ただ、明らかに何らかの魔法が僕の身体にはかけられていた。
ツタのように時間をかけるほどの強力になっていくことはない。
ただ、一定して身体能力を妨害してくるその魔法に僕は顔をゆがめ、けれど次の瞬間笑った。
「悪いけど、こっちも二人なんだ」
僕と同時に走り出したナルセーナ。
しかし、その姿はもう僕の側になかった。
青い軌跡が見えたのはサラマンダーの背後。
僕が動き出したその瞬間、ナルセーナもまた動き出していたのだ。
そして、ナルセーナの存在にサラマンダーはまるで気づいていない。
やはり、サラマンダーの方の知能は決して高くはない。
「トメロ!」
だが、そう話しがうまく行くことはなかった。
セイレーンの言葉に反応するように一体のオーガが立ちふさがる。
普段であればオーガにナルセーナが苦戦することはないだろう。
しかし、不意打ちの成否がかかったあまりに貴重な一瞬が消える。
その状況に改めて僕は理解させられる。
セイレーンという存在のやっかいさを。
全体的に魔獣の知能があがっている中でも、このセイレーンは並外れて頭が切れる。
余裕が崩れない様子から見るに、セイレーンにとってこの程度は想定内なのだろう。
だとすれば、この戦いの勝機はセイレーンの想定外にしか存在しない。
そう判断した瞬間には、僕は動き出していた。
短期決戦を想定し、徐々に強めていた身体強化を爆発的に強化する。
身体がきしむ、なじんだ感覚を覚えながら僕は足を前に踏み出す。
「ナゼ!」
セイレーンの余裕が消えたのはそのときだった。
それに僕は内心苦笑する。
理不尽の象徴たる超難易度魔獣に、こんな目を向けられることがあるとは、と。
しかし、その思考もすぐに消える。
今は手段などどうでもいい、必要のはサラマンダーを倒すそれだけ。
サラマンダーへと迫る僕に、顔色を変えたセイレーンがさらなる何かを行おうとする。
「ガッ!」
その顔がさらに強ばったのが見えた。
セイレーンの視線の先、そこにもう僕は目を向けなかった。
なぜなら、むけなくとももう理解できているのだから。
自分の相棒がやってくれたのだと。
この瞬間、明らかに僕たちはセイレーンの想定を越えていた。
いや、正確にはセイレーンの想定が甘かったというべきか。
僕とナルセーナが短期決戦を挑んできたことくらいセイレーンも理解していただろう。
そしてその上で勝てると判断して短期決戦に応えた。
だが、僕らを相手にした上でその判断は間違いだった。
僕たちと同じ土俵に立ってはいけなかったのだ。
その結果が、追い詰められたセイレーンの姿。
……ただ、僕たちも一つ致命的な勘違いをしていた。
確かに、目の前のものは思考し、感情を持ち動いている。
その有様はまさに生物だ。
「ヤレ」
──しかし、こいつらはあくまでただの化け物にすぎない。
「っ!」
その肝心なことに僕は、自身の身体が軽くなる感覚とともに気づく。
覚えのあるその解放感はセイレーンの妨害魔法が消えた感覚。
代わりにセイレーンが魔法を使ったのは、サラマンダーだった。
サラマンダーの喉元が異常なほど赤く光る。
その光景に僕は走りながらも理解することになった。
僕達は確かにセイレーンを追い詰めた。
しかし、それは間違いだったのかもしれない。
「くそ!」
……目の前の化け物達が選んだのは自爆という、最悪の手段だった。




