第76話 私のやるべきこと
ライラ視点となります。
次の瞬間、私は跳ね上がるようにして、魔剣から距離を取っていた。
私の座っていた椅子が、音を立てて倒れる。
あの超一流冒険者さえ対処できなかった魔獣。
そんな存在が封じられていると聞いて、冷静さを保てるわけがなかった。
そんな私と対照的に、ジークは冷静そのものだった。
「大丈夫だ。魔剣から魔獣が現れたなど、聞いたことがないだろう?」
「それは、そうだけど……」
「それにそんな危険な物なら、俺やロナウドさんにも影響があるに決まっている。そんな予兆を感じたことでもあったか?」
その通り、確かに長年魔剣と共に過ごしてきたジークやロナウドさんに、異常を感じたことはない。
それでも……といいかけて私は頭を振った。
気になることは確かに多いし、ジークが心配でもある。
だが、そんなことは後でも聞けることだ。
今騒ぐのは、私を信頼して重大な秘密を話してくれたジークを裏切ることになる。
そう、私は自分に言い聞かせる。
「そう、ね。話の腰を折ってごめんなさい、続けて」
「ああ。……ありがとう」
そう、わずかに笑みを浮かべて、ジークは話を再開した。
「魔剣に存在する魔獣の存在、それによって魔剣は使い手を選び、ただの剣や、準魔剣でもあり得ない力を発揮する」
魔剣の中に、意志があるように持ち主を選ぶこと、特別な力を発揮することそれは私も知っている。
……いや、ジークの話から考えると、全ての魔剣に特別な力が含まれ留ことになるのか。
内心驚きを覚えつつも、私は黙ってジークの話に耳を傾ける。
「そして、それが俺が師匠の一番弟子と呼ばれるようになった理由にも関係している。当時、弟子の中には、俺なんて比べものにならないスキルや、剣で強いもの、そして魔剣に選ばれたものもいて、その中から一番弟子が選ばれると考えられていた。……だが、その全ての予想を裏切って俺が師匠の一番弟子となった」
そこで、魔剣を指してジークは続ける。
「一番強力な魔剣とされていた、こいつに選ばれたことによって、な」
知っている。
その魔剣に選ばれた瞬間、私はジークのそばにいたから。
あの時、ジークが滅多に見ないくらい興奮していたのを、私は覚えている。
……けれど、その時と正反対に、語るジークの表情は暗かった。
「だが、ようやく俺は気づいたんだ。自分には、魔剣に選ばれた、それしかないことに」
「そんなことないわ」
咄嗟に、そう告げる。
それでも、私の言葉がジークに届くことはなかった。
「かつてとは言え、師匠が倒すことのできなかった魔獣がこの中にいる。なのに、俺はその力をほとんど引き出せない。できるのは、身体強化することだけ」
淡々と、感情を込めずにジークは続ける。
「かつて、いや、数時間前の俺はそれで良いと思っていた。戦士なのだから、身体強化があれば充分だとな。実際、足止め程度なら人並み以上に力を発揮できるようになって、ギルド直属の冒険者にもなった。だから、自分は良くやっているとさえ、勘違いしていた」
強く、拳を握りしめながら、まるで罪の告白をするように、ジークは続ける。
「だが違う。俺は努力してギルド直属の冒険者にまで上り詰めたんじゃない。……この魔剣を持っていながら、その程度までにしかいけない程度の人間でしかないんだ」
違う、そう私は叫びたかった。
扱いの難しい魔剣を扱うため、どれだけジークが鍛錬していたか私は知っている。
超一流冒険者ロナウドの一番弟子、その名前にふさわしい人間であろうと、必死に歩いてきたからこそジークの今がある。
魔獣の足止めに特化した能力だって、必死の鍛錬の先に魔剣を最大限活かそうと、作り上げた戦い方だ。
決してジークは、その程度など言われる人間ではない。
……しかし、その言葉を実際に口にすることはできなかった。
なぜならジークが見ているのが、彼の努力がかすむほど必死に足掻いてきた人間──ラウストだと分かってしまったから。
「俺は遠く及ばない。冒険者としての核も、積み上げてきた物も。……あの時も俺は、足手まといでしかなかった」
あの時、それが何を指すのか……私には自然と理解できた。
今日の防衛戦の、ラウストがオーガに切られた瞬間だと。
「何が足止めに特化した戦い方だ。ラウストが変異したフェンリルを一人で足止めしているのに、俺はオーガさえ引き寄せていられなかった」
その時のオーガの動きは明らかにおかしかった、仕方ない。
そんな言葉が、喉元まで迫る。
しかし、ジークの表情が、私がそう語ることを許していなかった。
「挙げ句の果て、ナルセーナが飛び出したときの様だ。俺が引き出せる魔剣の力じゃ、まともに援護さえできなかった。……あのギルド職員、ハンザムがいなければ、足を引っ張っていただけだ」
強い、強すぎる後悔をその顔に浮かべながら、ジークは言葉を重ねる。
「引き出せる力は、師匠の足下にも及ばず、弟弟子の足手まといにしかならない。……本当に俺は、何を誇っていたんだ?」
耐えきれなくなったように、片手で顔を覆い、まるで懺悔するようにジークは告げる。
「──俺は弱い」
……うなだれるジークに私は何も言えなかった。
◇◆◇
それからしばらくして、ジークはぎこちない表情で仕事に戻っていった。
そんなジークを私はただ見送ることしかできなかった。
ギルドを後にした私は一人、帰途についた。
一体なんと言えば良かったのか。
そんな問いが、常に頭を支配している。
今さら考えても仕方ないのに。
あの時言えなかった時点で、どんな慰めも無意味なのだから。
……いや、慰めたところで逆効果になった可能性の方が高かっただろう。
実際、ジークの言うとおりなのだから。
ラウストとナルセーナの二人は、確実にジークよりも冒険者として優れていた。
今なら、実力差は大差ではないかもしれない。
けれど、ジークが完成した戦士であるのに対し、二人はまだ成長していく。
いや、それどころか二人はようやく努力が実を結び、成長しだしたタイミングにあると言えるだろう。
そして、ジークが二人に追いつけなくなる未来は遠いものではない。
それを誰よりも感じているだろうジークになんて言えばいいのか、そんなこと分かるわけがなかった。
「……はぁ」
溜息が、思わず口から漏れる。
どうすればいいのか、それはあまりにも難題で、けれど、あんなジークを私は見ていたくなかった。
どうしようもなくざわめく心は、ジークが元気を取り戻すまで収まらないだろう。
一体どうすれば、ラウスト達に追いつけないと悩むジークを慰めることが……私が違和感に気づいたのは、そう考えていたときだった。
「……あれ、何でこんなにも心がざわめくんだろう?」
心のざわめきの理由、それを私はジークの元気がないからだと思っていた。
けれど、ジークのそばにいないにも関わらず、どんどんと増していくざわめきに、私は気づく。
このざわめきの理由は別のこと──ジークがラウスト達に勝てないと思う度に、増しているのだ、と。
そう気づいて、私はようやく自分の本心に気づいた。
「ああ、そっか。私、ジークがラウスト達に劣るなんて、かけらも思ってないんだ」
頭では分かっているのだ。
ジークは、ラウストやナルセーナに及ばないと。
ジークでは、変異した超難易度魔獣を一人では受け持てないし、一撃で変異した超難易度魔獣に致命傷に近いダメージなど与えられない。
ジークが劣る訳じゃないが、あの二人は異常なのだ。
今もなお、ハイペースに成長していく二人には、超一流冒険者の二人でさえ、敵わなくなるかもしれない。
だから、ジークが勝てないのも当たり前の話だ。
……そう知っているのに、私の感情は納得しないのだ。
今もすぐに意識すれば、私はジークが魔剣に選ばれた時を思い出すことができる。
偶然魔剣に選ばれただけ、その身体強化さえほとんど使えないと、馬鹿にされる中、必死に鍛錬していた姿。
そして試行錯誤の末、足止めに特化することで魔剣を使いこなし、ロナウドの一番弟子として、全ての人間を納得させた姿を。
それを思い出す度に、私の心は叫ぶのだ。
ジークだって、決して負けていないと。
「……答えなんて、最初から分かり切っていたのね。私は、ジークを慰める気なんてなかったんだ」
私は、圧倒的な才能を前に消沈するジークを励ましたいんじゃない。
それでもなお、立ち上がろうとするジークが見たいのだ。
以前のように努力を重ね、ラウスト達に追いつくジークの姿が。
ようやく自分が何をすればいいか、理解して私は笑う。
「少し、厳しいかしら。でも仕方ないわよね。──私はそんなジークが好きになったんだから」
そう、これは始終単純な話でしかない。
ただ、好きな人のかっこいい姿を見たいと言うだけなのだから。
そのために私のできうる限りの全てを捧げよう、そう私は覚悟を決めた。
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