第70話 遭遇と逃亡
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迷宮都市の中、宿屋が集まる場所。
そこでは、広場とはまた違った熱気が渦巻いていた。
「それ、お願いするよ!」
「分かった!」
指示を出す街の宿屋の主人に頼まれ、あちらこちらに行き来する少年少女達。
数百人を超える冒険者をできる限り近くにまとめるため、彼らは必死に働いている。
想像していた以上に、大規模な人数で働くその人達を眺めながら、呆然と僕は呟く。
「……まさか、こんなことになっているなんて」
その時、僕が目を奪われていたのは人の多さではなく、働く若い少年少女達だった。
たしかにいつもと違って、汚れてもいいようにか、街の人達と同じような服を来ている。
だが、僕の記憶が間違いでなければ、そこで働いているのは、冒険者の中でも若い孤児院から出たばかりの冒険者達だった。
おそらく、戦力として数えるには頼りないと判断されたからこそ、彼らはこうして労働しているのだろう。
「誰か来てくれないか?」
「今行く」
けれど、働く彼らからは不満のようなものは感じられなかった。
それどころか、冒険者として見た時よりも充実しているように見えて、僕は小さく笑う。
はっきりと言葉にはできない。
けれども、たしかに今までどこかおかしかった迷宮都市の淀みが、ゆっくりとだが確実に循環し始めたのを感じて。
……迷宮孤児に生まれたからは、冒険者としてしか生きるしか道がない。
それこそが、僕達のような無能という蔑む対象を産み、他の迷宮孤児達も他者を退けて生きるようにした原因だった。
その悪夢のような規定が、少しづつ薄れてきている。
そう理解した僕は、少しの間ナルセーナを探しながらも、働く彼らを見つめていた。
自分が一体何を守るのか、そう考えながら。
「ラウストさん……!」
背後から、突然僕を呼ぶ声が響いたのはそんな時だった。
まさか、ここで誰かに呼び止められると思っていなかった僕は、少し動揺しながら振り返る。
すると、そこにいたのは想像もしなかった人物だった。
「……アーミア?」
「はぁ、良かった。見つけられて……!」
突然のことに唖然とする僕に対し、アーミアはどこか安堵した様子を見せる。
そんなアーミアに対し、僕は疑問を隠せなかった。
「……何かあったの? て、その格好は?」
そう、今のアーミアは普段のローブを身にまとってはいなかった。
それだけであれば、僕もそこまで驚かなかったかもしれないが、アーミアが身につけている服には、驚きを隠せなかった。
何せ、アーミアは他の冒険者と同じ格好、街娘の姿をしていたのだから。
長髪を後ろで結び、頭を大きなハンカチのような布で括り、少し汚れたエプロンを身につけたアーミアの姿。
それは、今までアーミアが宿屋の準備をしていたことを暗に示していたが、いや、示していたからこそ僕は驚きを隠せなかった。
今まで見る限り、ここで働いている冒険者は全て今回の戦えていない人間だ。
だからこそ、間違いなく大きな働きをしていたにも関わらず、休まず働いているアーミアに、僕は思わず尋ねてしまう。
「一応言っておくけど、休むことも仕事の一つだよ。無理はしない方がいいと思うけど」
「私は今回の戦いでは、ライラさんに助けられてばかりでしたし……。それに、ロナウドさんやライラさんがまだ働いているのに、私だけ休むのは」
……その言葉に、ライラさんに冒険者を押し付けてくる格好になった僕の胸がちくりと痛む。
一瞬、思わず言い淀んだ間に、アーミアは言葉を重ねる。
「いえ、そんなことはいいんです!」
「良くはないんじゃ……」
「私よりも休まないと行けない人が働いていますし、いいんです!」
「え? 一体誰が……」
「とにかく今はいいんです!」
そう強引に言い募るアーミアに、僕は呆れながら口を開こうとして……どこか、アーミアの顔に焦りが浮かんでいるのに気づいたのはその時だった。
「……本当にこうしていいのか、私も悩んだんですが」
一瞬、その目に迷いを浮かべ、けれどすぐに僕を真っ直ぐと見つめながらアーミアは告げる。
「ラウストさんにお願いしたいことがあるんです。着いてきてください!」
「……なっ!」
そう言った瞬間、走り出したアーミアに僕は驚き、それでも何とか付き添って走り出した。
一瞬呆気に取られたことで遅れたものの、身体強化をできないアーミアに僕はすぐに追いつくことができた。
そんな僕に一切振り向くことなく、アーミアはどんどんと走っていく。
その背を追いながら、僕は思わず呟いていた。
「……一体どこに向かってるんだ?」
アーミアが通っているのは、長年迷宮都市に住む僕でさえ通ったことのない、入り組んだ道だった。
アーミアは、様々なお店の裏を通って、どんどん前へと進んでいき、そしてある店の裏で立ち止まった。
街にある店をこんな場所から見たことがなく、ここが宿屋である程度しか分からない。
こんな場所に来ていいのかと、僕は二の足を踏むが、その間にアーミアはさっさと店の中に入ってしまう。
「……しかたないか」
少し悩んだ後、僕はアーミアに続くことにする。
お店に勝手に入るのも悪い気はするが、中に入らなくてはアーミアのお願いさえ何か分からないのだから。
咎められたら謝ろう。
そう意を決して僕は扉を開き。
「ゴミをすてるだけなのに遅かったね、アーミア」
──探し求めていた人間の声が聞こえたのは、その時だった。
その瞬間、僕は今まで悩んでいたことも忘れ、店の奥に向かっていた。
決して広いとは言えない店の中、僕はすぐにアーミアと声の主を見つけた。
同時に声の主もゆっくりと振り返る。
「もしかして、迷っ……え?」
次の瞬間、アーミアを間に僕と目が合った声の主、ナルセーナは固まることとなった。
そして、奇しくも僕も全くナルセーナと同じように固まっていた。
……ナルセーナの格好に見惚れていた、というあまりにもな理由だったが。
ナルセーナの格好は、何時も違う街娘の格好だった。
もちろん、いつもと違うとはいえ、アーミアとほとんど同じ格好だ。
けれど、いつもとまるで違う格好をしたナルセーナは新鮮だった。
短いサファイアブルーの髪を布で覆い、エプロンを身につけた姿。
決して綺麗とは言えないエプロンでありながら、ナルセーナの魅力は阻害されておらず、その姿を見た僕は固まってしまう。
もし、このまま誰も言葉を発しなければ、僕は長い間見とれていたかもしれない。
しかし、僕はすぐに正気に戻されることになった。
「……っ!」
──僕に気づいてからすぐ、ナルセーナが反転したことで。
何をしようとしているのか分からず呆然とする僕を後に、ナルセーナは狭い店内の中走り出す。
そして、僕達が入ってきた裏口とは別の入口、おそらく表口から出ていってしまう。
逃げたとしか思えないそのナルセーナの動きに、僕は唖然と立ち尽くす。
「追ってくだい!」
だが、そんな僕をアーミアの叫び声が正気に戻した。
ナルセーナはもう店の中にはいない。
けれど、まだ見失った訳ではなく、追いつけるはずだ。
そう判断した次の瞬間、僕はナルセーナの背を追って店を飛び出していた。
◇◆◇
予想に反し、身体強化も行っているのか、逃げていくナルセーナに、僕は追いつくことはできなかった。
何とか見失わないよう追いかけることで精一杯の状態だ。
だが、そんな状況においてもなお僕に焦りはなかった。
なぜなら、今まで迷宮都市で生きてきた僕は知っていたのだ。
ナルセーナが走っていくその先は、行き止まりだということを。
「……あ」
ナルセーナが、自分の走っている路地が行き止まりだと気づいたのは、それから少し走ってからのことだった。
呆然と前の壁を見つめたナルセーナは、少しの間逃げ道を探すように、周囲を見渡したが、逃げるのを諦めたように立ち止まる。
しかし、ナルセーナなら最悪壁を超えて逃げられると知っている僕は、警戒心を解かずナルセーナを見る。
そんな僕へと、ナルセーナは力の抜けたへにゃりとした笑みを浮かべた。
「思わず逃げちゃってごめんなさい。少し一人で考えたいことがあって……。でも、もう私は逃げないですよ」
そう言うと、ナルセーナは壁に背を預けて座り込む。
座り込んでしまえば、一度立たなければならず、容易には逃げられない。
そうようやく僕は警戒心を緩め。
──今からどうすればいいのか、まるで分からないことに気づいたのはその時だった。
頬から一筋の汗が滴り落ちる。
アーミアに言われ、咄嗟に追いかけてきたのはいいものの、僕は何をどう話せばいいのか考えていなかった。
……そもそも、アーミアのお願いは一体何かさえ、聞いていないことに、今さら気づく。
様々な自分の失策に内心焦りながら、とりあえずナルセーナの横に座った僕は口を開く。
「いや、その。こちらこそ、追いかけちゃってごめん」
「そんなことないです。多分、アーミアがあまりにも私を見ていれなくて、お兄さんを呼びに行ったんですよね」
「いや、呼ばれた理由は聞いてなくて」
「……そうですか」
そう言うと、ナルセーナはそれきっり黙ってしまう。
内心大いに焦りつつも、表面上はそれを覆い隠しながら僕は話を続ける。
「そういえば、ここに来る前ロナウドさんと話したんだけど、僕達を褒めてくれていたよ。僕達が迷宮暴走を耐え抜けるかの鍵になるだろう、て」
「……ロナウドさんが?」
「うん。それにマーネル達も十分に楽しんでみたいだし、街の人達と冒険者の仲も良くなっていってみるみたいだ」
「……そうなんですか」
その僕の言葉に、ナルセーナは小さく笑みを浮かべる。
けれど、そのナルセーナの態度を目にした僕は内心、焦りを募らせていた。
表面上は取り繕うとしているが、ナルセーナの態度は明らかに他の何かに意識を奪われていた。
その姿に、僕は決意する。
このまま話続けていたところで、決して良くなることはない。
きちんと謝らねばならないと。
そう判断し、僕はナルセーナへと頭を下げた。
「色々と心配をかけて、ごめんなさい」
「……え?」
僕の謝罪に対し、ナルセーナの反応は困惑だった。
そのことに、少し異常を感じながらも、とにかく今は誠心誠意謝罪せねば、と僕は言葉を続ける。
「フェンリルとの戦いの時、いろいろと無茶をしてごめんね。でも、あの時は《ヒール》が上手く発動しなかっただけで、別に無茶をしようとしたわけじゃ」
「そ、その、待ってください!」
どこか焦ったような声で、僕の言葉を遮ったナルセーナ。
その様子に、一体どうしたのかと顔を上げると、ナルセーナは僕以上に混乱した表情を浮かべていた。
「……その、どうしたんですか? 急に」
「え、それで怒っていたのじゃないの?」
思わず僕がそう尋ねると、困ったような顔をしながらナルセーナは告げる。
「それは少しはびっくりしましたし、心配しましたけど、そんな謝って欲しい程のことじゃないですよ」
「だったら、どうして僕を避けるような……」
……少し、マシになっていたナルセーナの雰囲気が、元に戻ったのはその言葉を言った瞬間だった。
その変化に、思わず言葉を失う僕に、ナルセーナは泣きそうにも見える笑顔を浮かべ口を開く。
「……勘違いさせてしまって、ごめんなさい。別に私が逃げていたのは、お兄さんに怒っていたからじゃないですよ。ただ、一人になりたかっただけですから」
そう告げ、ナルセーナはにっこりと笑う。
……どこか、気負ったような表情で。
「本当に、大したことじゃないんです。明日には、きちんと頑張ります。……だから、今日だけ一人にして貰っていいですか?」
そう笑う、ナルセーナに僕は何も言えなかった。
その言葉通り、ナルセーナは明日になればにもなかったように振る舞うだろう。
冒険者としてのナルセーナを知る僕は、そう確信できる。
……だけど、僕はその場を去ることができなった。
冒険者としては信じられても……好きな一人の女の子を、この状況でおいて行くことはできなかった。
一人になりたいのではなく、僕と離れるための口実だとしても。
だから僕は、返事もせずナルセーナの傍による。
「……えっと、お兄さん?」
「そ、その、今の僕は壁だと思ってくれていいから」
……自分でも、何をやっているのだろう、そう思う。
けれど、羞恥を堪えて僕は言葉を重ねる。
「だから、気にせずどっかに行ってくれてもいいし、休みたかったらもたれかかってくれていいから。……それに壁に誰かの愚痴を言ってもおかしくないと思う」
内心、緊張と焦りで震えながら、僕はそうナルセーナに告げる。
ここで、本当にどっかに行かれたり、僕に対する愚痴を言われたりすれば、正直数週間は引きずる自信がある。
……それでも、ここにこんな顔のナルセーナをおいていくことだけは、僕にはできなかった。
「ふふ。なんですか、それ」
そんな僕を見て、ナルセーナは小さく、それでも声を上げて笑った。
そして、俯き小さく呟く。
「……だから、嫌だったのに」
それはどこか苦悩したような言葉だった。
そして、俯いたままナルセーナは尋ねてくる。
「お兄さん、一つ聞かせてもらっていいですか?」
その言葉に、内心びびりまくりながら、僕は平静を装って口を開く。
「……壁にそんなこと聞く必要はないと思うよ」
「そう、ですね。それじゃ、一つ教えてください」
その言葉を聞きながら、僕は内心覚悟を決める。
ここでどんな愚痴を言われても、心を折らず悪い所を改善しようと。
だがそんな考えは、頭を上げたナルセーナの顔……不安を隠そうともしないその顔を見て、消え去ることになった。
思わず目を瞠る僕へと、ナルセーナは震える声で告げる。
「……私は、お兄さんの役に立ててますか?」
それは、まるで想像もしていない質問だった。
活動報告でもお知らせさせて頂きましたが、鳴海みわ先生に本当に素敵に書いて頂きました。
活動報告にホームページのURLを貼っておりますので、是非見ていただければ幸いです!




