24:閑話:彼女の始まりと『シンハ』の終わり。
ウガリタ大陸ララーリング半島南部、惑星再生機構勢力圏シン・スワトー市。
再建された古コロニアル都市の一角に、民間軍事会社ブルーグリフォンが提携するリゾートホテルがある。
ネオロマネスク様式の豪奢な建物に様々な娯楽施設が用意されている。賭博場に劇場、アミューズメント場……
そして、当然ながらプールも。
プールには様々な人々がいる。
水着やバケーション装束に身を包んだ人々は地球系の黄色人種に白人と黒人、各種民族。ドワーフ然とした短躯の者がいれば、エルフのような耳長もいて、身体を機械化したサイボーグがいて、心身を弄ったチューンドもいた。極少数のドラゴニュート染みた奴や獣人みたいなケモライズもいる。
地球西暦時代の人間が見たら、きっとゲームか何かの世界だと思うだろう。
が。現実だ。
他惑星植民が現実化し、惑星改造で地球化しきれない部分を人間の適応改良で補った結果、ドワーフみたいになったりエルフみたいになったりドラゴニュートみたくなったり。
人体の改造技術が実現し、肉体の機械置換や人工物侵襲、遺伝子や細胞に精神の恣意的変化が可能となった結果、サイボーグやチューンドが生まれ、獣人のようなケモライズも世に現れた。この先、いつか『人間』の定義そのものが変わっていくかもしれない……
まあ、それはともかくとして。
選抜強行偵察チーム『シンハ』の面々は特別休暇を与えられ、燦々と疑似陽光を注ぐ碧空の下、プールサイドで水着姿を晒している。
癖の強い赤毛ショートヘアの木星系ドワーフ娘シドニーはフレアビキニ姿で浮き輪を使い、水面をぷかぷかと快適に浮かんでいた。19歳の溌溂とした健康美を披露中。
いつもインド民族衣装をまとっている地球アングロ・インド系美女のトリシャも、この日は水着姿。エレガントなパレオ付きビキニで、エキゾチックな小麦肌の肉体美を飾っていた。艶めかしいほど美しい黒髪を結い上げ、目元をデータバンデージではなくサングラスで覆っている。
サンベッドへ仰向けに寝転がり、トリシャは疑似陽光を堪能していた。
「お嬢。ユーヒチは? 日焼けオイルを塗らせようと思ったのに、いねーんだけど」
火星系白人で金髪碧眼に尖り耳とエルフ美女なダフネが尋ねた。レースアップビキニに包まれた肢体はアラサーの成熟した艶気と元人妻特有の色気を滴らせている。周囲の男共から寄せられる視線を当然のものとして堂々と受け止めていた。
トリシャは優雅な所作でベッドサイドから氷の浮かぶモヒートを口に運び、柔らかな唇を開く。
「ユーヒチなら――」
○
選抜強行偵察チーム『シンハ』の女性陣がプールサイドで優雅なひと時を過ごしていた頃。
ユーヒチは社用車で白兎娘レーラを人権団体HOLが持つシェアハウスへ送っていた。予定ではハマーノルド女史が送るはずだったのだが、剛腕弁護士である彼女は急遽クライアントの呼び出しが入ったため、ユーヒチが善意で送り届けることにしたのだ。
反応炉電池式のSUVがシン・スワトー市を目指して海岸沿いの幹線道路を走っていく。防弾仕様のため車重がかなり大きいけれどハイパワーモーターですいすいと進む。
小ざっぱりしたカジュアルシックな装いにサングラスのユーヒチに対し、レーラは白銀色の長髪をポニーに結いまとめ、安物のサマーパーカーと七分丈デニム、スニーカーで化粧無し、と垢抜けない装いなのだけれど、化粧っ気の無さがかえって人並外れた素の美貌を強調している。
シートの背もたれに体を預け、レーラは物憂げな面持ちで車窓の外を眺めていた。
海岸沿い幹線道路からは海や街がよく見えた。
レーラは主に密林や廃墟で生きてきたため、こんな風に海を眺めた経験は乏しい。疑似陽光を浴びて煌めく紺碧の海の美しさが素直に楽しい。一方で、幹線道路は等間隔に自立型の監視塔と警備ドローンが据えられており、なんとなく威圧的なものを感じる。
「……なんでこんな厳重なの?」
ハンドルを握るユーヒチは淡々と説明を始めた。
「シン・スワトー市は惑星再生機構のララーリング半島における最大拠点で、ゲーテッド都市だからな。防衛と治安維持の手が込んでる。市外に通じる幹線道路はどこもこんな調子だよ」
そして、市外縁を覆う大きく厳重な外壁が見えてきた。巨壁の足元には立ち入り禁止の緩衝帯と無秩序に安普請が所狭しと並ぶ貧民窟。
「ヴォイド・エリアの土着コミュニティと変わらないわね」
「見た目はな。ただ、決定的な違いがある。少なくともここで暮らしている限り、レイダーやミュータント、野良無人機には襲われない。それと、上手く行けば市民として安全で豊かな暮らしが約束される」
ユーヒチはSUVを進め、車が並ぶ検問所の列に加わった。
規制品や危険物の持ち込み、密入境を防ぐための各種センサーの検査は厳重であり、買収と怠慢を防ぐため、ゲートの警備は全てウォーロイドだ。
男女型を問わず同一的な体型をしているけれど、最前線運用の無機質な無貌ではなく後方警備用で、数億パターンのパーツから自動生成されたフェイススキンが貼りつけられている。
『こんにちは。身分証の提示をお願いします』
濃紺色の惑星再生機構軍の装備をまとい、突撃銃を抱いた男性型と女性型のウォーロイドが、SUVの両脇に立ち、車内を覗き込みながら言った。
ユーヒチは自身とレーラの身分証を男性型ウォーロイドへ渡す。
『ブルーグリフォン社の方と市民の方ですね。市内にはバケーションですか?』
「市内へ引っ越す彼女の送迎だ。事前申請してある」
『確認しました。ようこそ、ミズ・ペンドロス。惑星再生機構は新たな市民を歓迎します』
「……どうも」
不気味の谷を越えた自然な笑顔を返す男性型ウォーロイドに、レーラは気後れを覚えながら挨拶を返す。
検問所のチェックを終え、SUVが外壁内トンネルを進んでいく中、レーラがどこか不安げに言った。
「……街の中まで人形だらけじゃないでしょうね?」
ユーヒチは精悍な顔立ちに微かな“倦み”を滲ませる。
「少なくはないよ。この星全体で人間はたった5億ちょいしかいない。政治家も宗教屋も産めよ増やせよと言うが、人口は伸び悩んだままだ。産業も経済も社会もアンドロイドや無人機無しじゃ回らない。本当なら貴重な人間……この場合は資源としての意味だが、市外のスラムで遊ばせている余裕なんてないんだ」
「なら、なんで街の中に入れないのよ?」
レーラの美声には咎める響きが含まれていて、ユーヒチは控えめに眉を下げつつ言葉を編む。
「カタストロフィ後の混沌期、世界中で難民が原因の争いが頻発したからだ。善意で助けてやった奴らに家族を殺されたり、金や物を奪われたり、街そのものを奪われるとかな。だから、今じゃ難民の扱いはどこもシビアだ。例外は子供くらいだよ。いろいろ“染まって”ない子供は市民化し易いから率先して保護される。まぁ、この辺りの事情は複雑だ。市民化教育の講師にでも聞くと良い」
「……選択を間違えた気分になってきた」
辟易顔のレーラの悪態に、ユーヒチは口元を和らげ、レーラを横目にして告げた。
「郷に入っては郷に従え、さ。周囲に敬意を示して尊重すれば、同じように扱って貰える」
「……扱って貰えなかったら?」
ユーヒチは警戒心を滲ませるレーラへ、新入生に物を教える先輩みたいな調子で説く。
「暴力でなんとかしようとするのは止めとけ。いろいろ面倒な話になる。さしあたってはHOLの人達に相談すると良い。こんな世界で人権団体をやっている人達だ。気合が入ってる」
そんなやり取りをしている間に、SUVは外壁トンネルを抜けて市内――宇宙技術文明の姿を取り戻した街に入った。
○
再建された古コロニアル都市はマギ・テクとハイテクで彩られ、実に清潔で豊かだ。
あえて利便性の高い最新建築物ではなく、入植時代の古い街並みや地球西暦時代のリバイバル様式を採用し、古都であることを強調している。
清掃用無人機が絶えず遊弋しているため、アスファルト敷きの車道も石畳の歩道もゴミ一つ落ちていない。
町ゆく人々はベーシックな地球系、エルフ染みた火星系、ドワーフのような木星系などが多い。もっとも、各種店舗に立つ従業員は半数以上がアンドロイドやバイオロイドだが。
ヴォイド・エリアでは見たことも無い豊かさと華やかさと穏やかさに、レーラは感動よりどこか薄ら寒いものを覚えた。
なんだか……ロボットの町に人間が住まわせてもらってるみたい。
SUVはさらに小一時間ほど走って幾つか通りを越え、ようやっと目的の建物が見えてきた。
人権団体ヒューマン・オブ・ライトが所有する支援用シェアハウスは、4階建てのモダン的な建築だった。
レーラは私物を詰めたドラムバックを担ぎ、ユーヒチは書類ケースを持ってSUVを降り、建物内へ入り――
「貴方、独身なのっ? ダメっ! 高給取りの若く健康な男性が結婚しないなんて絶対にダメよっ! いい? 今、この星は人間が圧倒的に足りてないのよっ? 貴方のような若く健康な男性は結婚して子供を作ることはね、この星に生きる若者の義務よ、義務っ! 相手がいないなら、私が良い娘を紹介してあげましょうかっ!?」
受付に現れたシェアハウスの管理人であるミセス・エスパルサは恰幅の良い火星系ヒスパニックの御婦人で、入居手続きに現れたユーヒチとレーラと簡単な挨拶を済ませた後、部屋へ案内する道すがらに交わした雑談において、ユーヒチが独身と判明するや否や、赤軍師団砲兵の効力射みたくまくし立てた。
「しょ、紹介していただかなくても大丈夫ですから……本当に勘弁してください」
恰幅の良いヒスパニック系エルフ婦人の勢いに気圧され、ユーヒチは思わず仰け反る。
その様子を脇で眺めていた白兎娘が紅い目を細め、ざまぁないぜ、と笑う。も、
「ミズ・ペンドロスッ! 貴女もよっ!」
「!? あ、あたし?」
ミセス・エスパルサから矛先を向けられ、レーラは目を丸くした。
「当然でしょっ! 貴女みたいな若く健康で綺麗な女の子は絶対に結婚して可愛い子供をたくさん作るのよ! これはもう義務よ義務っ! 良い子を世話してあげましょうかっ!?」
恰幅の良いおばさんに怒涛の勢いで詰められ、レーラは思わず仰け反った。
「あ、あたしは市民権を取ったり生活を立てたり忙しいから、そういうのは……」
「そうだ!」ミセス・エスパルサは名案を思いついたと目を輝かせ「貴方達2人! ちょっと付き合ってみたらどう!?」
「「それは無理」」
レーラとユーヒチは口を揃えて即答した。
なんせレーラは復讐者で、ユーヒチはその仇であるからして。
○
与えられた個室のベッドへ寝転がり、レーラは小さな紙片を見つめる。
ユーヒチが去り際に寄越した名刺だった。
『何か困ったことがあったら連絡を寄越せ。可能な範囲で力になる』
何企んでんの? とレーラは嫌悪感を隠さず吐き捨てた。怨恨を抱き、殺意を宣言しているのに、なんなんだコイツは。
『別に何も企んじゃいない。一種のケジメみたいなもんだ。連絡を寄越さないならそれで良い』
そう言い、ユーヒチはノーヴェンダーの手帳を置いていった。
『内容はデータにコピーしたからな。身内の君へ返却する』
フン、レーラは鼻を鳴らす。ユーヒチの厚意にまったく絆されない。この程度のことで揺らぐほどレーラの恨みと憎しみは薄くない。この程度のことで嬢を抱くほどレーラの殺意と敵意は弱くない。
奴が厚意だというなら、せいぜい利用するだけだ。奴がこちらに甘いというなら、せいぜい付け入らせてもらうだけだ。そうして隙だらけになった時。
「殺してやる」
真紅の瞳は確かな殺意を宿していた。
もっとも、レーラは知らない。
これから始まる市民化教育の日々があまりに忙しく、復讐どころではなくなることを。
文明喪失圏とまるで違う生活に苦労し、仇討どころではなくなることを。
レーラはまだ知らない。
○
夕刻。レーラを送迎後、ユーヒチはリゾートホテルでトリシャ達と合流する。
食事に向かう高級レストランにドレスコードがあるため、選抜強行偵察チーム『シンハ』の女性陣は麗しい衣装に着飾っていた。
ドレス姿の美女美少女へ、ユーヒチはさらりと称賛の言葉を贈る。
「三人とも、とてもよく似合ってる。凄く綺麗だ」
「でしょう?」
トリシャは目が覚めるような青いレヘンガドレスに肢体を包む。美貌を褒められることに慣れているため、称賛を当然と受け取る。
「分かってるじゃないか」
バツイチシンママの火星系美女ダフネは優艶な身体を強調するマーメイドドレス。スマートに称賛するユーヒチを上から目線で逆に褒め。
「嬉しいっす」
19歳のシドニーだけが素直に喜ぶ。ちなみに木星系ガーリーな彼女はチュールフレアのカクテルドレス。キュート……
ホテル内の高級レストランに赴き、ユーヒチは三人の椅子を順に引いて着席させ、最後に自分が座る。火星系のウェイターが音もなく現れ、滑らかな所作で食前酒をグラスに注いだ。
「何に乾杯する?」
「いつものあれで良いでしょ」トリシャは気持ちの一切こもってない声で「惑星再生機構の崇高なる使命が成就することを祈って」
『乾杯』
雑な音頭を済ませた直後、給仕係が恭しく創作料理のコースを運び、新たな料理が届けられる度に白赤のワインが注がれて。過去の任務などの笑い話を交わしながら美食と美酒を楽しみ。デザートを迎える頃にはシドニーが軽く酔っていてフワフワしている。
「それにしても」ダフネはしみじみと「二週間の特別休暇に臨時賞与ね。御褒美が多すぎないか? うちの会社ってそこまで太っ腹じゃなかったよな?」
食後の珈琲を味わいつつ、ダフネが探るようにトリシャとユーヒチをじろり。
「休暇明けに危ない案件へ関わるとかじゃないよな? 郷里で幼い娘が待ってんだ。ヤバい話は嫌だぞ」
「ややこしい話に関わるかもしれないけれど、その時はこのチームを解散して私とユーヒチだけで対応する。貴女を地獄巡りに付き合わせて娘さんを泣かせたくないもの」
トリシャはアングロ・インド系らしくチャイを口へ運ぶ。もっともチャイは紅茶ベースではない。茶葉ではなく乾燥させた花弁で淹れる花茶だ。仄かに甘い香りと紅茶とは違う味わい。
「あたしぁどーなるんれす?」ほろ酔いのため舌足らずなシドニー。可愛い。
「貴女もこの基地に残すわ。前途有望な若いメカニックを鉄火場に連れ回すのは忍びないもの」とどこか残念そうなトリシャ。
「その気遣いは周回遅れの気がしないでもねェなぁ」
ダフネは珈琲を口にしながら控えめに苦笑いをこぼす。たしかにこれまで散々、強行偵察艇に乗せてきて今更の気遣いでもある。
揚げ足を取られても澄まし顔を崩さず、トリシャは小さなスプーンでケーキを削ぎ取り、口へ運ぶ。良く冷えたレアチーズケーキはすっきりした甘さで、御馳走のコース料理にくたびれた舌に心地良かった。
「えー、あたしこれからもトリさん達と一緒にいたいっすぅ~」ほろ酔い調子で駄々をこねるシドニー。愛らしい。
手を伸ばしてシドニーの頭を撫でながら、ダフネがトリシャとユーヒチに問う。
「そもそもどういう事情で地獄巡りに?」
「ニード・トゥ・ノウだ。知ったら地獄巡りへ強制参加になるぞ。一緒に来るか?」
「今の質問は無しで」
ユーヒチの回答を聞き、ダフネはあっさりと撤退した。娘第一のシングルマザーは無理をしない。
薄情なほどにさっぱりしたダフネの反応に微苦笑しつつ、ユーヒチは軽口を叩く。
「火星系美女と木星系美少女との別れはつらい。心が張り裂けそうだよ」
「そういうセリフはもっと残念そうな顔で言えよな。適応調整が抜け切れてねーぞ」
ダフネの毒舌に微笑む一同。
デザートを平らげ、楽しい時間が終わる。
トリシャが当然のようにユーヒチの左腕と組み、ダフネが母性を発揮してほろ酔いのシドニーを世話しながらレストランを出ていく。
それぞれの部屋へ向かうべくエレベーターに乗り込む。スムーズに稼働を始めるエレベーター。階表示のナンバーが変わっていく様を眺めていた。その時。
トリシャがユーヒチの左手をぎゅっと握り、ぽつりと密やかに呟く。
「良いチームだったわね」
チューンドのユーヒチしか捉えられぬほど小さな、けれど確かな心情の吐露だった。
二週間の特別休暇後。
選抜強行偵察チーム『シンハ』のコマンド兼オペレーターであるトリシャ・パティル、フィールドオペレーター兼スカウトリーダーのユーヒチ・ムナカタへ辞令が届いた。
惑星再生機構の本土へ帰還し、総合情報部に出向せよ。
感想評価登録その他を頂けると、元気になります。
他作品もよろしければどうぞ。
長編作品
転生令嬢ヴィルミーナの場合。
彼は悪名高きロッフェロー
ラブロード・フレンジー(完結作品)
おススメ短編。
スペクターの献身。あるいはある愛の在り方。
1918年9月。イープルにて。
モラン・ノラン。鬼才あるいは変態。もしくは伝説。




