23:触れ得ざる女王グウェンドリン。
第427入植惑星ノヴォ・アスターテ。南大洋にポエニカという小大陸が浮かんでいる。
地球で言うところのオーストラリアのような小規模の大陸で、現在は魔女の鍋と化している土地だった。
そもそもポエニカ小大陸はグレイグー・カタストロフィ以前、統一連合政府が樹立する前から暴力の絶えない土地だった。
というのも、この小さな大陸がノヴォ・アスターテで屈指のマギ資源産出地だったからだ。
豊富なマギ資源が生み出す利益を巡り、ポエニカ小大陸は常に暴力が吹き荒れてきた。入植時代は七星連合勢力の紐付き達が争い、統一連合政府が興ってからはテロや武装蜂起が絶えず。
ポエニカの地は常に犠牲者の血と屍で彩られ、生き残った者達の嗚咽と悲嘆と怒号の合唱が響いていた。
そこへ生じたグレイグー・カタストロフィがポエニカを新たな地獄へ変えた。
星を覆う天蓋膜のマギ・セルがグレイグー化した時、超長距離宇宙移民に用いられる都市級軍艦がポエニカ小大陸へ墜落したのだ。
船の名はグウェンドリン。
当時の七星連合宇宙軍最新鋭の要塞母艦だった。
まず都市級艦船とは何かから話そう。
平たく言えば、日本製ロボアニメ『マクロス』などに出てくるような都市一つを丸ごと収めた超々巨大宇宙船だ。
都市級艦船は入植先を探して延々と宇宙を航行し続け、人類の生存可能な環境惑星を見つけたら船ごと入植し、その船を拠点に周辺開発を進める。テラフォーミングが必要な場合は該当惑星の軌道上で宇宙ステーション化し、惑星のテラフォーミング作業を進める――という植民開拓のための艦船である。
要塞母艦はそんな都市級艦船の軍用モデルで、最前線策源地や後方戦略拠点として運用するために生まれた。
最前線での攻防に耐えうる重武装と重装甲を有し、武器弾薬に各種兵器から食料衣類と医薬品等々の生産能力を備え、兵士の治療やサイボーグ化を担う医療機関から休養娯楽施設に職員住居群まで持つ。まさしく要塞だ。
グレイグー・カタストロフィ時、件の要塞母艦グウェンドリンは第8次超長距離移民船団に加わるべく、ここノヴォ・アスターテで工廠用原料などの補給を終え、宇宙へ上がるところだった。
が。
天蓋膜のグレイグー化に巻き込まれ、グウェンドリンは航行能力を失ってポエニカ小大陸に墜落。艦の統合管制用スーパーAIが汚染発狂した。
グウェンドリンは病的自己保存意識と妄執的防衛意識に駆られ、統一連合政府の調査団を撃破し、制圧に派遣された軍を撃滅。
以降、要塞母艦グウェンドリンは艦内の工廠を用いて自己強化を図り、防衛戦力を生産し、周辺地域に無人兵器と資源回収無人機を展開し、距離的安全の確保と資源の採取を続けている。
統一連合政府が瓦解して列強が鎬を削り合うグレートゲーム・エイジを迎え、ポエニカのマギ資源を狙う列強が幾度かグウェンドリンの攻略を試みたが、いずれも悲惨な損害を被って失敗に終わった。惑星再生機構もグウェンドリン内部の調査を試み、最精鋭の特殊部隊を何度か派遣したが、全て失敗に終わっている。
かくて人々は今やグウェンドリンをこう語る。
ポエニカの触れ得ざる女王グウェンドリンと。
○
「あの日、アンダーソン大佐はグウェンドリンに乗っていた。これは間違いない。しかし、君達が先日持ち帰った電脳はアンダーソン大佐のものだった。これも間違いない。脳そのものは既に使い物にならなくなっていたが、電子記憶領域の記録から本人として断定された」
支局長の説明に、ユーヒチは困惑を浮かべ、トリシャは好奇心を隠さずに言った。
「ポエニカの禁足地に死体があるだろう男の電脳が、ララーリング半島の文明喪失圏から回収された。ミステリーですね」
「まったくだ」
エルフ美少年な姿のアウグストは小柄な体を背もたれに預け、2人へ告げた。
「このミステリーの謎解きは社の調査部や惑星再生機構の情報機関が行うが……君達も探偵役として参加してもらうつもりだよ。これは本社も同意していることだ」
ユーヒチは繊細な造作の顔立ちに戸惑いを滲ませる。
「支局長。お言葉ですが……パティルなら分かります。トリプルA級ウィザードで情報収集と解析のエキスパートですから。しかし、自分は単なる偵察員です。戦場ならば優秀な猟犬足り得ますが、探偵役に相応しいかと言われますと、疑問です」
「そうでもないさ」
アウグストは道理を説く老人のような面持ちで言葉を編む。
「アンダーソン大佐の電脳を発見できたのは、君が任務を確実に遂行し、独自の判断で抹殺対象のスカベンジャーと取引した結果だ。運命論的に言えば、これはもう君の縁だよ。君はこの一連の物語の登場人物になったんだ」
「……まさかとは思いますけれど、グウェンドリンへ強行偵察を命じられるおつもりではないでしょうね?」
戸惑いを大きくするユーヒチの隣から、トリシャがアウグストへ尋ねる。その声色は酷く冷たい。
「その心配は杞憂だよ、パティル嬢。現状でグウェンドリンに手を出す計画はない。ラ・シャンテから回収した情報やアンダーソン大佐の電脳は極めて有益だったが、グウェンドリンへ手が届くほどの内容ではなかったからね」
魔女を宥めるように言葉を紡ぎ、アウグストは肘置きを使って頬杖をついた。
「それに……今はグウェンドリンへ手を出すに適した情勢じゃない」
ここ数年、惑星再生機構は拡大した勢力圏と戦線の整理を進めており、アシュタロス皇国や惑星社会主義連邦との戦いを小競り合い程度まで収めていた。アースティル三冠王国と関係改善を進めている。一方で、ケイナン大陸の橋頭保拠点は拡大・増加させていた。
軍事関係者の誰もが惑星再生機構がケイナン大陸――列強ケイナン諸国連合へ狙いを定めたと見做している。
支局長は社員2人へ告げた。
「君達のチームへ二週間の特別休暇と臨時賞与を与える。英気を養いたまえ」
2人が退室した後、美麗な中東系女性サイボーグが入室した。
トリシャのような民族衣装ではなく高級なビジネススーツに身を包んだ彼女は、エルフ美少年の執務机に人造の柔らかそうな尻を置き、機械仕掛けの瞳をエルフ少年姿の“同士”へ向けた。
「……アレを探偵役にするとはな」
アウグストは執務机に腰かけるサイボーグ美女を見上げる。
「NACCPが彼の素性を知れば、必ず食いつく。そうなれば、パティル嬢は彼を護るためNACCPの目的を余さず調べ上げる。彼らが深く秘匿する何かまでね」
「女の情念を利用するか。悪趣味だな」
中東系女性サイボーグは黒く艶やかな髪を指で梳き、黒曜石染みた眼差しを向けた。
「注意することだ。女の情念は怖いぞ」
「諫言ありがとう。だが、言われずともよく分かっているよ」
アウグストは所帯じみた溜息をこぼし、自嘲的に微笑んだ。
「身をもって学んだからね」
○
「支局長の話、どう思う?」
中央管理棟を出て、蠢く碧空を見上げながらユーヒチが問えば。
「陰謀というほどのものではないけれど、表沙汰には出来ない類の面倒事に私達を使う、そういうことでしょうね」
トリシャは眼帯で覆った目をユーヒチへ向け、探るように問い返す。
「不満そうだったけれど、退職は考えてないわよね?」
「別に不満があるわけじゃない。人に使われて殺したり殺されたりする仕事を選んでる時点で、こういうこともあるのは承知してる。ただ……」
「ただ?」
ユーヒチは合いの手を入れてきたトリシャへ、どこか倦んだ顔を向けた。
「何かこう、自分達の与り知らない面倒な話に巻きこまれるのは嫌だなってだけだよ」
「まあ、それは確かにね」
トリシャは繊細な美貌に微苦笑を湛え、話を進める。
「おそらく、私達はララーリング半島から出されるわ。シドニーはともかく、ダフネは確実についてこないわね」
「そうだな」ユーヒチは首肯する。
チームの飛翔艇を操る美人オルカ・ドライバー、ダフネ・ミリガンは子供の養育費その他を稼ぐことが目的で、まとまった額を貯蓄出来たら荒事稼業から足を洗うことを明言していた。
曰く『娘の進学費用が貯まったら、地元に戻って娘と暮らしながら退屈な仕事で食っていく』とのこと。彼女の素晴らしい人生設計に怪しげな探偵ごっこは含まれないだろうし、もしもグウェンドリン行きを命じられたらその場で退職届を出すに違いなかった。
気持ちはわかる。ユーヒチとて会社から『グウェンドリンへ行け』と言われたら退職を考える。
なんせグウェンドリンは制圧に赴いた統一連合政府軍が成すすべなく完全壊滅し、惑星再生機構軍の最精鋭特殊部隊すら生還者無しで全滅(APD)した場所だ。
金を貰って殺したり死んだりすることを承諾しているけれど、必ず死ぬような仕事は流石に嫌だ。
渋面をこさえたユーヒチを余所に、トリシャは思案顔を作って呟く。
「代わりのオルカ・ドライバーを見つける必要があるわね」
「……てっきり慰留すると思ってたけど」
「ダフネが独身なら引き留めたわ。でも、幼い女の子から母親を引き離し続けるのは可哀想でしょう?」
「へえ……」
意外そうなユーヒチへ『私を人の心が分からないサイコパスか何かだと思っているのかしら』と不満げにしつつ、トリシャは艶やかな横髪を弄りながら呟く。
「それにしても……NACCPとはね。グレートゲーム・エイジの貴重な国際組織。それ以上でも以下でもない……と思っていたのだけれど」
「ノヴォ・アスターテ天象会議だっけ? 聞いたことも無かったよ」
物知らずなユーヒチへ、トリシャは大雑把に説明する。
グレイグー・カタストロフィ発生後、統一連合政府はグレイグー化した天蓋膜の問題解決に対策委員会を立ち上げた。惑星中から優秀で有能な学者達や専門家に技術者を拉致同然に搔き集め、グレイグー化を解決して天蓋膜を正常化させようと試みた。なんせ、宇宙世界と連絡や交通を再建しなければ、七星連合その他から援助や救援も受けられない。
だが、ダメだった。対策委員会は問題解決どころか原因すら特定できなかった。
そうこうしているうちに惑星規模の混沌と混乱が悪化。統一連合政府が瓦解し、委員会も解散を余儀なくされた。
この委員会から有志が再集結し、立ち上げられた組織がNACCP――ノヴォ・アスターテ天象会議だ。同組織は今のところ天蓋膜問題を解決も原因特定も出来ていないけれど、本拠地のある三冠王国、惑星再生機構、ケイナン諸国連合、ムルーディンなど列強諸国の承認と援助を受けており、アシュタロス皇国も条件付き協力をしている。例外は惑星社会主義連邦くらいだ。
「あの破裂した金星男と気味の悪いスラブ娘に、なぜNACCPが強い関心を払うのか……調べ甲斐があるわね」
トリシャは実に魔女らしい薄笑いを浮かべる。国際組織にハッキングを仕掛ける気満々だった。
淑やかに意気軒高なトリシャの様子に微苦笑しつつ、ユーヒチは左手を差し出して言った。
「今後のことはともかく、せっかくおめかししてるんだ。このまま街へデートはどうかな?」
「その素敵な提案に大賛成」
トリシャは無邪気に美貌を綻ばせ、ユーヒチの左手を取った。
○
おめかししたユーヒチとトリシャが社用車でシン・スワトー市内へデートに赴いた頃。
白兎娘レーラ・ペンドロスはブルーグリフォン社シン・スワトー支局施設の一角で、辣腕弁護士“女闘士”ハマーノルド女史と共に地域市民権交付手続きに臨んでいた。
市役所から派遣されてきた職員が分厚い書類を並べ(たとえ情報が高度電子化されようが、人類が宇宙に進出しようが、人体を改造できようが、書類は永久に不滅である)、ハマーノルド女史が手早く読みこんで精査し、難しい行政や司法の用語がやりとりされる様を、レーラはぼけらーっと眺めることしかできない。
レーラは珈琲と茶菓子を口に運びながら話がまとまる様を待つ。
町で暮らしてる連中ってこんなに面倒臭いことしながら生きてんの……? 安全で清潔で便利な生活ってこんなに大量の不自由と引き換えにするほど良いもんなの……?
レーラが町の人間なら想像すらしない疑問を抱いていると、ハマーノルド女史がぱたんと書類を綴じる。貫禄たっぷりのダックスフント系垂れ耳熟女が大きく頷いた。
「全て問題ないわ」
「では、書面と電子ログの両方にサインをお願いします」
役所から派遣されてきた『ザ・事務屋』という塩梅の白エルフ系男性が分厚い書類とタブレットをレーラの許へ差し出す。
「こんな質問、バカだと思うだろうけど……なんで同じ内容のもんを書類とデータに分けるわけ?」
慣れない手つきでボールペンを持ったレーラが疑問を呈せば。
「これは相互保険ね。仮にこの都市が壊滅的打撃を被ったとしても、書類とデータどちらか一つ残っていれば、私達の身元が保証されるし、行政的再建が早いのよ」
ハマーノルド女史が大雑把に説明し、ザ・事務屋のエルフ男性も首肯した。
「惑星再生機構を始めとする列強は例外なく、カタストロフィとその後の混乱期に行政情報の保存に成功した地域なんですよ」
「ふーん」
紙と電子データで残すことが大事とだけ理解し、レーラはボールペンで書類にサインし、タブレットにタッチペンでサインする。明らかに書き慣れてない書体がなんともはや。
ザ・事務屋は書類のサインと電子サインを確認し、レーラを励ますように声を掛ける。
「今日は事務的で味気ないですけれど、市民化教育が終了後には地域市民権交付の式典があります。良き市民になれるよう頑張ってください」
「……市民になるってのは、そんなに良いこと?」
挑発的なレーラ。ザ・事務屋は窘めないハマーノルド女史をちらりと窺い、居住まいを正してレーラへ向き直る。
「ミズ・ペンドロス。市民になることが良いことかどうかは、貴女がこれから選択する生き方次第です。ただ一つ確実に言えることは、貴方が得たこの機会は市外の貧窮極まるスラムで生きている人々が喉から手が出るほどに、場合によっては貴女を殺してでも手に入れたいと願い欲しているものということだけは、理解してください」
ザ・事務屋の殺気や怒気とは異なる静かな迫力に気圧され、レーラはこくりと頷いた。
仮身分証カードがレーラの手元へ置かれると、ハマーノルド女史は念を押すように告げた。
「市民化教育期間中は仮身分証が交付されるわ。絶対に失くさないで。失くした場合は即座に連絡してちょうだい。間違っても自分一人で何とかしようとしないのよ? 良いわね?」
その迫力にレーラは絶対に失くさないようにしようと心に誓う。
「踏み込んだことをお尋ねしますが、教育期間中の生活費などは?」ザ・事務屋が問う。「そこまでは援助されないでしょう?」
「住むところはHOLの援助施設があるわ。仕事もHOLの支援プログラムがあるから大丈夫。市民生活に慣れるためにも荒事から離れた仕事よ」
女弁護士の説明を聞き、レーラは思う。それ、つまんなそう。
レーラの心を読んだように、ハマーノルド女史はにやりと笑う。
「心配しなくても、しばらくは退屈してる暇なんてないわ。楽しいことと辛いことが隊列を組んで襲ってくるからね」
「……頑張ってみるよ」
仮身分証カードを見つめながら、レーラがぽつりとこぼせば。
ハマーノルド女史が肝っ玉母さんのような微笑みを湛え、ザ・事務屋がうんうんと小さく頷いて表情を和らげた。
2人から慈しむような眼差しを向けられていることに気付き、レーラは照れ臭そうにそっぽを向く。
美貌の白兎娘レーラ・ペンドロスはこの日、“市民”として生きる一歩を始めた。
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