可愛い天使
港町のバーの厨房で、俺はエプロンをつけて食器洗いに精を出している。
分厚い上着を着ていれば背中の羽は隠せるんだけど、このバーには少し…いや、かなり軽装と言うか、なんと言うのか…ドレス?みたいな背中がガッツリと開いた制服があったんだ。
流石に天使が接客してたらお客さんなんか1人も来ないだろうから、俺はかなり厚着をさせられた上にエプロンをつけて、フロアーに出ないようにと念を押されつつの食器洗い係に任命された。
そしてエドはフロアーでバリバリ働いている。
あの、フワフワとした制服を着て、マスターから言われたように裏声で喋り、不意に眼球が飛び出さないようにいつもの眼帯じゃなくて、フリフリの眼帯をつけて…。
正直、直視できない。
エドの攻撃スタイルは殴る、蹴るの直接的な打撃。だから当然筋肉質なんだけど、着痩せしてる訳でもなくて体の線はほっそりとしてる。
細マッチョとか言うものらしい。
ガッツリと開いた背中を見ると、やっぱり女性ではないムキムキ感が酷いし、腕だって逞しい。
にも関わらず、どうしてドレスが似合ってるんだろう?もうね、この数時間で1カ月分くらいは笑ったよ。
「エドちゃ~ん」
フロアーからそんな言葉が聞こえて来る度に吹き出しそうになるんだけど、なんとか堪える事は出来て……
「は、はぁ~い」
ブッ!
笑い過ぎて…これは明日確実に筋肉痛になるね。
堪えきれない笑いによる苦しさでお皿を落としてしまわないよう気をつけながら洗っていると、フロアーから微妙にエドの気配が漂ってきた。
普段は気配のないエド。だけど、ビックリしたり、落ち込んだり、そう言う時は気配を放ってくる。
何かあったのだろうか?
心配になってチラリとフロアーを覗き込むと、1人のお客さんに腕を掴まれているエドがいて、お酒を勧められていた。
「1杯付き合ってくれないかな?」
「いや、あの…飲めないから」
飲めないんだ?あ、確か未成年だったっけ?
蘇ってからの月日を入れたら成人はしてるんだろうけど、体の成長って事になると止まってるんだから何年生きようとも未成年のまま?にしたって少し位は良いんじゃないの?
「薄めに作ってあげるわ」
困り顔のマスターが2人の間に入り、何とか場を治めようとするが、エドは首を振るばかりだ。
そこまで強く拒否する理由は?もしかして1滴も飲めないとか?
「水が良い」
そう言えば、エドはカフラに茶を進められてもズット水だったなぁ。
水に対して何か思い入れがある?もしかした、エドの中に入った魂はアクアみたいな水の悪魔だったりしてね。
いや、中に入った魂の自我は全く残らないんだった。ならエド自身が水の悪魔…人間だよね、うん。
「良いから座って。僕の可愛い天使」
て、天使!?
人間にとっても天使は敵の筈なのに、くどき文句として使うの!?それともただの冷やかし?
グイグイとエドの腕を引っ張るお客さん。最初は困惑しているだけだったエドの気配に、別の感情が混ざり始める。
まずい。
即急に助けに行かなくちゃ!
俺はエプロンを外すとエドとお客さんの所に走った。
「お待たせしましたぁ~フル~ツ盛り合わせでぇ~す!」
フルーツの盛り合わせなんてオーダーは通っていなかったんだけど、他に何も思いつかなかったんだからしょうがない。しかも皿に数切れ置いただけのレモンの輪切りで盛り合わせとはこれ如何に?なんだけど、しょうがない。時間がなかったんだ。
「キリク…」
ハッと我に返ったらしいエドからスッと気配が消える。どうやら落ち着いたようだ。
はぁ、良かったよぉ。もうちょっと遅かったらお客さん殴ってたでしょ?駄目だよ?お店のお手伝いって依頼を受けてるんだから。
でも、飲めないって言ってるのに無理に飲ませようとするお客さんもお客さんだよね!
「俺で良かったら座るよ」
ニッコリ笑顔を作りながらお客さんの方を見ていると、不意に視線を逸らされた。
お客さんから感じるのは、酷く気まずそうな気配。著しく酔いが覚めてしまったようだ。これならもう安心だね。
「悪い…もう大丈夫だから」
俺の肩にポンと置かれたエドの手、全く気配がないからちょっとビックリしちゃったよ。
そうだ、俺ってフロアーに出るなって言われてたんだ!早くお皿洗いに戻らなきゃマスターに怒られる!
慌ててお皿洗いに戻ってしばらく、営業時間が終わった。
マスターによると、俺達が働いている間に何人かが面接に来たらしくて、その内の2人を採用したとか。
と言う事は、お手伝いは今日だけで良いって事なのかな?
「エドちゃんは、このままスカウトしちゃいたいわ~」
ブッ!
「え!?ヤだよ!」
生きていてもやる事が分からない。なんて悲観していた割に、断っちゃうんだ?ドレスも似合ってるし良いと思うんだけど、屋敷から遠いから毎日通勤すると考えるとちょっと大変か。
エドに頼みたい事がある俺からしてみたら、マスターの誘いを断ってくれて有難いんだけどね。
でも、そっか。そうでした。
エルナさんはもう蘇ってるじゃないか。
解毒剤プラスアルファを作るには、どの薬草が必要なのかって説明は済ませてる。
本当は細かい分量をもう1回ちゃんと調べたかったんだけど、エドに任せよう。
自分の微調整で解毒剤プラスアルファを完成させる事がエドの自信回復に繋がるかも知れないし。
なら、この依頼をちゃんと終わらせて、おしまいにしよう。
蘇りのメカニズムを黙っていれば、何も気が付いていない振りをしていれば、今まで通り皆と過ごせると思ってた。
聖水を飲む事を、もっと、もっと先延ばしにする事が出来るんじゃないかって思ってた。
けどさ、エドやディルクは俺を天使だと一線を引いてるし、ディルクに至っては“エルナに近付くな”って態度だ。
薬草探しに出る。とか何とか嘘付いて、樹海で聖水を飲むって感じにしようかな?じゃあエドはどうする?留守番は嫌だって言われてるし…って、何を考えてるんだろう。エドが怒ろうがなにしようが、聖水飲んだ時点で俺は消えるんだ。先の事なんか、考えなくて良いじゃないか。1人で樹海に行って、飲む。これで決まり。
思い残す事は…多分ない。
あ、1つだけあるかな。
恭治の矢、抜いてあげるって約束したんだ。
約束、守れなくてごめん。薬の知識はエドに伝授したから、後の事は…ちょっと無責任なんだけど、後は皆に任せるよ。
港町からの帰り道、月明かりに照らされた草原に、風に揺れる花が見える。その中には、薬草が咲き乱れる季節の始まりを合図する月見草の花が咲いていた。
月見草の花はレア薬草と知られていて、その香りの良さからハーブティーにしたり、香にしたりと需要は高い。
薬師じゃなくても積んでいて損はない。
「あそこに見える花が何か分かる?」
指差さずに尋ねてみると、辺りをキョロキョロ見回したエドは、ちょっと自信なさげに月見草の花をプチンと摘んで花の匂いを嗅ぎ、
「これ、月見草だ!」
自信たっぷりな笑顔で答えた。
うん、そうだよ。
「レア薬草だからね、見つけた時に摘んでおくと良いよ。ってな訳で探せる分摘んでしまおう」
はーい、と手を上げたエドがしゃがみ込んで草を掻き分け探し始めたから、俺は薬の知識を記したメモ等をソッとエドの横に置き、
「俺はもう少し向こうの方を探してくるから」
と。羽を広げて飛び上がった。
その瞬間、右足に感じる物凄い重量感。視線を向けると、しがみ付いてきているエドが見えた。
この状況……俺が、俺が倒された時と同じ…同じだっ!
あまりの恐怖感からなのか、羽を動かす事を忘れてしまい、俺達の体は地面に向かって急降下し始めた。
このまま着地してしまったらどうなる?昇天はしないだろうけど、また頭は陥没するかも知れない。いや、俺は良い。それより!
「ルシファー!!!」
俺は心底助けて欲しかったんだ。
だから呼んだのに、ルシファーは一直線に飛んでくると迷いもなくエドではなく、俺の腕を掴んだ…。
グシャ
下から、嫌な音が響いてきた。




