海水浴
ガスマスクの視界の悪さにも少し慣れて来た頃、皆は梅雨が開けた夏本番の暑さでバテ気味。こんな中で長袖のパーカーを平気な顔をして着ていられるんだから、俺の感覚はまだまだ鈍いみたいだ。
「ガイコツ~ン。せめて腕まくろ~よ~見てる方がアチィ」
結構遠くから聞こえてきた声に顔を上げると、目の前にはフワフワと宙に浮かぶ1つの眼球。
見ているだけで暑いと言ったクセにしっかりと見に来てるんじゃないか。まぁ、視野の広いゾンビンの事だから、同じ広間にいるだけで俺の姿が視界に入ってしまうんだろう。
でもさ、腕まくりしたくない理由がちゃんとあるので、七分丈で勘弁して欲しい。
「腕も回復してきたのかな?」
今まさに出勤しようとドアを開けたハクシャクンが戻って来て、袖を覗き込むようにして腕を見て首を傾げた。
「腕ってより肩と肘」
まだまだ直視出来るレベルだし、と肘までをまくってみると、昨日に見た時よりも少しだけ回復が進んでいるように見える。いや、ガスマスクと言う視界の悪さの中でも回復が目視出来るんだから、実際はかなり進んでいるんじゃないだろうか?
もしかして、たった1日で直視出来ないレベルになった?
「うぬ、順調に回復しておるようだな」
紅茶を飲んでいたミンランが何気なくめくった俺のフード。完全にモザイクなしでは見る事すら難しい筈の頭部を晒された訳なんだけど、なんだろ…ズット被りっぱなしだったからかな、清々しい。
じゃなくって!
「フードは取っちゃだめなの!」
ササッとミイランから離れてフードを被ろうとすると、今度はフラケシュンが俺の両手を掴んで頭部をかなり至近距離から凝視し始めた。
「…モイストヒーリングが良いと聞いたんだが…」
モイスト?聞いた事ないけど、フラケシュンが誰からそれを聞いたのかってのは分かるよ?エルナさんだよね?
「傷には海水が良いと言うでござろう」
海水?!塩分はかなりの勢いでしみるんじゃないの?
「海行くんならスイカ割ろうよ、スイカ!」
海水が良いって所から、もう既に海水浴が決定したらしく、ゾンビンとミイランは出かける準備をしに部屋に戻って行き、オチムシャンはスイカを用意してくると慌てて市場に向かおうとするから呼び止めた。
「皆で一緒に買いに行けば良いんじゃない?」
なんか途中から急に置いてかれちゃったけど、海水浴には行きたいかな…泳ぐのは無理なんだろうけど、海に行く途中には大きな草原があって、そこには痒み止めにも使える薬草の宝庫になってるんだ。
ちょっと収穫時期は過ぎちゃってるんだけど、まだ7月だし、探して損はない!薬草を乾燥させれば成分が凝縮されて効果が少しだけアップするし、日持ちもするから少し多めに採って……あれ?
乾燥させるなんて図鑑には載ってない事をどうして知ってるんだ?日持ちするって事をどうして知ってる?
また、生前の記憶が少し蘇ったのかな?
可笑しいよね、まだ脳みそないのにさ。
脳がないのに、どうして記憶する事が出来てる?喉もないのにどうして声が出せる?眼球もないのに、何故見える?耳がないのに聞こえるのは何故?筋肉がないのに体が動くのはどうして?
普通ならばありえない事が平然と出来ているのには、きっとなにか原因があるんだと思う。なにがあったのか、肝心なそこについては全く思い出せない。だったらこの記憶ってフラケシュンがなんとなくエルナさんの事を覚えてた感じと似てるのかな?だとしたら俺は薬についてかなり詳しい人物だった事になるんだけど…調合の基本的な傷薬を作った時は確かゾンビンに液体Xって命名される仕上がりだったんだっけ。
なんか、色々考え過ぎなのかな?
そもそも蘇った時点で全うな人間じゃない訳だし、存在が魔物に近付いたとかだったり?骸骨姿の魔物が実際に存在しているんだから洒落になんないよね…。
「町を空ける訳にはいかない。俺は残る」
いかないと言う意思表示を見せたフラケシュンは、無表情のまま俺達に手を振ると屋敷内の見回りに行ってしまった。
こうして市場でスイカを購入してやってきました、海の近くにある草原~!
「俺はこの辺りで薬草収集してるから」
その場にしゃがみ込んで図書館から借りてきた薬草図鑑を広げて何ページが見たんだけど、暗いフィルムが貼られたガスマスクでは正確な薬草の色の判別が難しい。これは皆が海に行ってしまってからマスクを取るしかないか。
「え~、スイカ割りしよ~よ~」
見ていた図鑑にゴロンと乗っかる1つの眼球。と、少し離れた所で目にゴミが、と叫び声。図鑑に乗っけるから悪いんでしょ?!
「そうでござるよ、海水に漬かってみるでござる」
いやいや、それは絶対にしみて痛そうだからヤダ~~~!それに、海に入るって言うんだから服もマスクも外すって事になるよね?無理だからね?本当に顔はもう駄目なんだ。モザイクなしでは見られないと言った頭は、まだ髪がある分マシな位。そんな顔を晒して、俺は今から薬草を探さなきゃならない…“奪う者”が近くを通りかからない事を祈るしか…ちょっと待てよ…容姿が完全に魔物である俺が“奪う者”に見付かった場合、完全に討伐対象になるよね。そんな俺の傍にまだもう少しの回復が必要なゾンビンと、頭に矢が刺さりっぱなしのオチムシャンがいたら、完全に仲間扱いされる。ミイランは完全に人間に見えるから俺達3人ミイランの友だと思われ…そうだ、“奪う者”の友は原則2人までだ。
こんな完全な魔物の姿で一緒にはいられない。ならどうすれば良いのか、そんなのは早く回復するしかない。回復を早めるには傷薬や痒み止めが必須アイテムになるんだけど、市販薬は高い。だから自分で調合したいのに、その材料となる薬草探しの間“奪う者”の恐怖を感じ続けていたら薬草探しが捗らないだろう。
ガスマスクを外して過ごせれて、ここよりも幾分涼しい気候で、薬草の宝庫、そして誰の目にも触れない所。それを網羅する場所を俺は知っている。
「海には3人で行ってきて。俺は薬草探さなきゃ」
一旦図鑑を閉じて3人に手を振ってみると、海水治療を進めていたオチムシャンは諦めたように首を竦めて笑い、ミイランも熱中症に気を付けろと言って海に向かって歩いていった。その後姿を右目だけで追ったゾンビンは、俺の隣に座り込むと図鑑を取り上げ、適当なページを捲って広げた。
「じゃあ、一緒に薬草探す」
海水浴と最初に言い出した当人がなに言ってんだよ。本当は物凄く行きたいくせに。
「折角スイカ買ったのに?良いからスイカ割りしといでよ。俺は薬草探しに行くだけだからなにも面白い事はないと思うよ?」
図鑑を取り上げて痒み止めに利く薬草のページを開いて眺めると、再びゴロンと乗っかってきた眼球。けど、今度は隣にいるゾンビンからゴミが入ったー等の叫び声は聞こえてこない。その代わり、
「樹海まで、だよな?俺も行くからな」
と、なにやら真剣で、いつもよりも低い声が聞こえてきた。
何処で薬草を探すかなんて一言も言ってないのにバレバレなんだな…もしかして俺の行動パターンって分かり易いのだろうか?それともゾンビンの勘が良いのかな?いやいや、それでも一緒には連れて行けない!こんな体を見られたくないってのはもちろんあるんだけど、それだけじゃ済まない現実的な問題があるんだ。
「駄目。樹海で3人分の栄養を毎日とり続けるのって大変でしょ?」
食料調達にと言っても近くにある村は魔物を見ただけで攻撃するような過激な人ばかりだし、樹海の中で見付けると言っても狩をしなきゃ駄目。毎日獲物が確保出来るんなら良いよ?だけど無理だったらどうなる?友達が飢えていくんだ。
「そっか…ガイコツンの友は自分自身と契約してる“奪う者”だっけ」
ポチ達は個々で狩をして、個々で空腹を満たしている。だから俺自身が骸骨になって食事が取れない体になっても問題がない。そもそも俺から栄養を補給していたんなら長い間蘇らなかった俺を待っている間に飢えて衰弱して…倒れていただろう。
「市販薬は高いでしょ?だから自分で調合しようと思ってさ。樹海ならここよりもたくさんの薬草が採れるし」
何か頭に引っかかる。何か可笑しい。だけど、薬草の話しに戻すと浮かび上がりかけていた違和感はスッカリと消えてしまった。
一体…なんだったんだろう?ポチ達の事を考えていたら不意に気になったんだけど、それがなんなのかは分からない。
浮かばないって事は、大した事じゃないのかな?まぁ、今は回復に専念した方が良いんだし、違和感とか、そー言うのは後回しでも良いよね。
「…変に悲観して篭りに行くんじゃないんだよな?」
なにそれ。
「痒みが引いたら帰って来るよ!」
顔がモザイクなしでも大丈夫なレベルになったら多少体が痒くても戻って来てやる~!変に悲観ってなんだよ、子供扱いしちゃってさ!
「わわっ!ゴメンって。じゃあ俺、スイカ割ってくるわ!樹海まで気ぃ付けて行けよ!」
笑いながら謝ってきたゾンビンはそのまま大きく手を振りながら海に向かって走って行き、俺は一旦町に戻ってハクシャクンとフラケシュンに樹海に行く事の説明をして、図書館に行って薬草図鑑を返却し、本屋さんに行って薬草図鑑を購入して、そこでようやく樹海に向けて出発した。
ハクシャクンには引き止められたけど、痒み止めを自分で作りたいからって説得したらシブシブ了承してくれた。
フラケシュンは「行って来い」の一言だったんだけど、多分自分で使ってた痒み止めなんだろうな、余ったから持ってけ、みたいな感じで手渡して来たんだ。
皆、回復が何時までかかるか分からないけど、絶対、絶対帰って来るからね!だから俺の事忘れないでね?聖水飲むってのもなしだからね!
じゃあ、いってきます!




