北の村に
朝食を終えた俺は、いつもならばエルナと共に塔周りの警備をしている時間だというのにも拘らず、屋敷内の廊下に立っている。
なにも罰を与えられている訳ではないし、手に水の入ったバケツを持っている訳ではないし、いつもの通り見張りをしている事に変わりはない。
ただここがキリクの部屋の前というだけだ。
部屋には外から簡易的に鍵を設置し、重度の怪我人を閉じ込めている状態。
満足に歩く事も出来ない程の怪我人なのだから、ベッドに寝かせてしまえば起き上がる事も、歩き出す事もないのだろう。なら何故外から鍵をかける必要があり、尚且つ俺がこうして見張る事になっているのか。
それは部屋の中にいるのがキリクで、その上痛覚を失っていて、魔王島から持ち帰った痛み止めの解析をしたいとか言うからだ。
放っておいたら高確率で…いや、必ず部屋から抜け出して彼方此方と行ってしまうだろう。
そしてエドから聞いた話によれば、天使の羽を生やす事にも着手しているとの事。
もしキリクに羽なんか生えた日には…俺の見張りでは行動を制限する事は出来なくなるのだろう。
それこそ、キリクの部屋に鉄格子が必要になるレベルだ。
せめて怪我が完治するまでは大人しくしていて欲しい所だが…いや、痛覚が戻りつつある今となってはベッドから起き上がる事すら難しいか?
時折部屋の中から酷く苦しそうな声が聞こえてくるようになった。
それはもう、聞いている俺の精神までをも削るような、悲痛な声…。
部屋の中にいるのが普通の人間ならば、楽にしてやろうと剣を持って入って行くだろう。だが、中にいるのは“奪う者”なのだ。
死に行く苦しみではなく、回復に伴う苦しみなのだから、いくら悲痛だろうとも放っておく事しか出来ない。
早く回復する事を祈りながら。
もちろん、薬屋で買った痛み止めは渡してあるが余り効果はないらしい。
せめて俺に薬草の知識があれば、より効果のある薬を厳選して買う事が出来るのに…。
「ディルク、ちょっと良いかな?」
部屋の中から聞えていた呻き声が聞こえなくなって少し経った時、俺の所にエルナがやって来た。
人に何も悟られまいと声を殺したか?それとも回復しかけていた事を棒に振って再び痛覚を飛ばしたか?ただ気絶しているだけなら良いが…あぁ、気絶するのが良い状態って、俺の感覚も人間とはかなり違ってきたものだ。
「どうした?任務中じゃないのか?」
昼休憩まではまだ時間がある。
「ちゃんと任務中。えっとね、王様が不老不死について色々熱心なのは知ってるよね?」
何を今更?
「…知らない訳ないだろ」
俺はその実験材料だったんだから、身をもって知ってる。
王は“奪う者”を使って実験をしている事を公表しているが「不老不死への人体実験」ではなく「一般人にでも“魔石”を使えるようにする為の実験」としている。それ故国民からの支持はかなり高く、暴動が起きる気配もない。
「で、近頃は“奪う者”の研究と平行して万能薬にも興味があるみたいなのよ」
万能薬?見た事も、聞いた事もないな。生前の俺は知っていたのだろうか?いや、今何も知らないんだから過去がどうあろうと関係ないか。
「なんだそれ」
エルナに無知を晒すのは悔しいが、ここは素直に知らない事だけを伝えよう。
「傷薬の最上級がドラゴンの抜け殻。それと同じように解毒剤の最上級が万能薬なのよ。なんでも、どんな状態異常もたちどころに治してしまえる魔法の薬なんだって。完成させた薬師が1人もいないから、言ってしまえば幻の薬ね」
どんな状態異常も!?確かにそれは魔法だ。しかし完成させた者が1人もいないとなれば現実的ではない。
「そんな物にまで手を出すほど不老不死に熱心だとは」
その情熱を少しでも公言している「一般人にでも“魔石”を扱える実験」に費やしてくれれば良いのに。
「不老不死、私はなりたいけどね?」
そう笑顔のエルナは俺を指差してくる。その事からエルナがなりたいのは不老不死ではなく、蘇りなのだろうと想像がついた。
「記憶もなにも残らないんだぞ?どんな姿になるのかだって…」
いや、蘇った後は少しずつ回復が進んで生前と近い姿にまでなる事は出来る。ただ俺の肌の色は実験で使用された薬品の色に染まったままで、エドとカフラの顔色も良くはない。恭治に至っては頭に矢が刺さったまま。サクリアとキリクの顔色は良いが…サクリアは蘇るまでの時間が早かった事と、元は魔族で、キリクは天使だ。
「その時はホレ、先輩として色々教えてくれるでしょ?」
楽観的だな。
「お前は“奪う者”にはなるな」
頼むから、本当に…。兵士である以上“奪う者”になったら実験材料にされるだけなんだぞ?俺は運が良かっただけなんだ。
「それは素質の問題なんだからなれない時はなれないし、なれる時はなにをしたってなるのよ」
なにをしたってなれるだ?何もするなって言ってんだ!いくら素質があった所で“魔石”を持たなきゃ“奪う者”にはなりようがない。
と、ここで話し込んでいても仕方ないか。第一、エルナに何を言っても無駄な事は良く知っている。
だから俺に出来る事といえば、エルナに“奪う者”の素質がない事を祈るだけ。
「…話の腰を折ったな。続きを」
俺に用事があるのか、それとも…
「キリクに聞きたい事と、言いたい事があるのよ」
キリクに、か。
「伝えておく。なんだ?」
やっと見張りらしい仕事が出来た。
「え?中にいないの?聞きたい事があるんだからディルクじゃ話しにならないよ」
万能薬の話題が出た後なのだから、エルナが聞きたいのは万能薬の事で間違いはないのだろう。確かに薬の事は薬に詳しいキリクに聞くのが1番だ。しかし今日は日が悪い。
「中にはいるが、起き上がれる状態でも、話しが出来る状態でもない」
自分の名前が出ても全くの無反応という事は、痛覚を飛ばした訳ではなく、本当に気絶をしているのだろうし。
「そっか…じゃあ、城に招かれる事があっても万能薬については何も知らないって答えるように。って伝えてて」
王の耳にもキリクが薬に詳しい事が入っている?いや、それなら有無を言わさずに連れて行くだろう。なら王はまだキリクの事は知らないか…町の薬師達に万能薬について尋ねている段階か。もしくは万能薬について調べるように命令を出しただけか。
「伝えておく。しかしキリクが万能薬について何か知っているのか?」
蘇りなのだから生前の記憶はない筈だが…キリクは天使だと自分で言っていた。なら記憶を失っている訳ではないのか?いや、天使であると言いながら今のキリクの姿はただの人間に見える。生前は人間だった?なら何故天使なんだ?
いいや、もう。キリクが話せる状態になった時、本人に直接聞けば良い。
「私、万能薬について調べるようにって直接命令を受けたのよね。それで色々調べてたら、大昔の事なんだけど、北の村にいたらしいのよ。万能薬を研究している薬師達が」
薬師達って事は、万能薬の研究チームがそんな大昔から存在していたのか。
「その1人がキリクだった。と言いたいのか?」
可能性は、なくはない。生前に薬の研究をしていたのなら、今のキリクの薬の解析に対する情熱にも納得できる位だ。
「可能性があるってだけの話し。それでね、私今から北の村に行こうと思ってるの」
今から!?
「いやいや、待て。え?案内人は?用心棒は?」
余りにも急過ぎる。
俺は見張りを頼まれているからここを離れる訳にはいかないが、もう少ししたら買い物から恭治が戻ってくるし、カフラも戻って来る筈だから、どちらか1人でも…
「用心棒は必要ないでしょ。それに1人で行くんじゃなくて仲間の兵士もいるし」
仲間の兵士?
「あ、あぁ…1人で行く訳じゃないんだな」
用心棒でも友人でもなく、仲間の兵士と言うのだから、個人的な理由で行く訳では無さそうだ。そもそも万能薬について調べるよう直接命令を受けたんだったな。
「当たり前でしょ?城の兵士としてのお仕事です!」
ピシッと姿勢を改めたエルナは、グッと拳を握って見せると実に兵士らしくニッと笑って見せてきた。
はいはい、止めても無駄なんだな。分かってるさ。
「いつ帰ってくる予定だ?」
これ位聞いても重荷にはならないだろ?
「冬になると雪山が閉鎖されちゃうから、それまでには戻ってくるよ」
実にアバウト。
まぁ、何か手がかりがあって、それを追いかけている最中ならば冬が来ても戻っては来ないんだろうな。
しかし、万能薬が発見されて、それで王が不老不死になったとしたら…大変な時代の幕開けにはなるのだろうが、同時に“奪う者”が実験台にされる時代が終わる事にもなる。もしエルナが“奪う者”になってしまった時の事を思うのなら、それ程嬉しい事はない。
「そうか…気をつけてな」
「それで、お土産何が良いかなーってキリクにも聞こうと思ったのよ。ディルクも、何が良い?」
ぶっ!
聞きたい事って万能薬の事じゃなくて土産かよ!もうアホみたいに、お前が無事で帰ってくるだけで良いぜ☆とか言ってやろうか!
絶対言わないけど…。
俺は腰に装備していた小剣を外してエルナに手渡し、エルナがそれを自分に装備してから、
「その小剣を俺に直接返しに来てくれるだけで良い」
と。
これ位なら言っても良いだろ?




