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井戸
外から見るのはいいけれど
覗き込んではいけないよ
縁に手を置いてもいいけれど
覗き込んではいけないよ
十年前――
お婆ちゃんに言われたこの言葉
耳にタコができるくらい言われた言葉
久しぶりに
お母さんに連れられて
やって来たお婆ちゃんの家
誰もいない家の中
お母さんと二人きり
『覗き込んではいけないよ』
頭の中に浮かぶのは
お婆ちゃんのあの言葉
自然と足が庭に向かう
「ちょっと、どこに行くの?」
「少しだけ散歩してくるよ」
それだけを
お母さんに伝えて家の裏
青々と生い茂る草木
走り回れるくらいに広い庭に
ぽつんと置かれた井戸
苔だらけの灰色の石
腰丈くらいの高さのその井戸は
相変わらず不気味に存在していた
『覗き込んではいけないよ』
ごくりと唾を飲み込んで
一歩、また一歩と歩み寄る
井戸の内側
影が差す内壁が
少しずつその面積を広げていく
覗いてはいけないその中に
一体なにがあるんだろう
視界が井戸の中を少しずつ捉えていく
嫌な汗が頬を伝う
あと少し
あと少しで覗き込める
奥が見え――――
『駄目だよ』
「え?」
後ろから聞こえたお父さんの声
子どもの時に消えたお父さんの声
振り向いてみる
「なにしてるの?」
そこに居たのはお母さん
「ううん、なんでもないよ」




