コピー
仮に私という人間が誰かに作られた複製だったとして、この世界がその何者かによって作られた世界なのだとしたら、私という存在の価値はどうなるのだろうか。
私という人間が幾万もあり、その分だけ私の性格が少しずつ異なっているとするなら、この世界の私は成功作なのか失敗作なのか。その答えは私には分からない。きっと、これは製作者にも分からない。――製作者が居るならば、だが。
この世界は妙に息苦しい。そう感じたのはいつだっただろう。
この世界の心は歪んでいる。そう思ったのはいつだっただろう。
皆の心の中に正解が存在しているのに、恐怖心がそれを押さえ込んでいるせいで――または、私利私欲の利己主義の病が蔓延したせいで、人々は道を見失った。金銭の悪夢が世界を覆った。
複製品かもしれない私ですら、この世界の最後は想像がつく。
人は歴史を繰り返す。
その言葉は呪いのように、戒めの如く繰り返し言われ続けてきた。
その時までに、私は死んでいるだろう。何故なら、この世界は私にとってとても窮屈な場所だから。
複製品の私がこの世界から離れた時、もしこの思想、思考、心、魂が一つのまま別の場所で芽を開くなら、その時はきっと、とても豊かな世界になっているだろう。
仮の肉体に宿った魂は、離魂する際に開放される。はて、肉塊という契約書にサインしたのはいつなのだろうか。
本当の自分探しって大切だと思います。




