第七百六十七話 出涸らし皇子
最終話
人はどうしようもない状況になると逃げたくなるものだ。
今、俺はとても逃げたい。
ここで逃げればきっと楽だから。
けど、ガイの言葉が俺を縛る。
相手の言葉に耳を貸せ、お前は完璧じゃない。
ガイはしっかり話を聞いてくれたし、親友ともいえる友人だ。
だから、俺にこう言えば逃げないとわかっていた。
俺は言葉に真摯でありたい。
助けるとか、守るとか、言葉にするのは簡単で。
だからこそ、そこに責任を持ちたい。そうじゃないと薄っぺらくなってしまうから。
一度、大事な言葉を軽んじたら。その後も軽んじるし、その前の言葉まで軽くなってしまう。
相手を騙し、欺き、翻弄するからこそ。
自分の気持ちに正直な言葉を嘘にはしたくない。
そんな自分にはなりたくないから。
俺は気持ちを込めた言葉には真摯でありたいと思っている。
だから。
俺は唯一といえる逃げる機会を逸した。
肩に置かれていた手が、俺の腕に回る。
二人ともだ。
どっちも絶対に逃がさないという顔をしている。
ああ、終わった。
そんなことを思いながら、俺はため息を吐く。
「早かったな……」
苦し紛れの言葉。
それに対して、二人が答えた。
「アル様はすぐ見つけられるかもしれないと仰ったので、遠くに転移してないと読みました」
「だから、帝都で行きそうな場所を考えたのよ。アルが心を許してそうな人のところを」
「良い読みだ」
答えつつ、俺は視線を上へ向ける。
そして口を開き、閉じた。
何を言えばいいのか。頭を整理できてない。
そんな俺に対して、エルナが顔を近づけながら告げる。
「次は何をすればいいのかしら?」
「何をと言われてもな……」
「どうしたら連れていってくれるの? どうすれば認めてくれるの?」
エルナの言葉に俺は肩を竦める。
連れていくことに条件があるというなら、それはもうクリアしている。
能力は十分。そのうえで俺のことをよく理解しているのだから。
これから俺がする暗躍は、今までとは違う。
だからこそ、共に居る人たちには俺への理解が必要だ。
二人はそれをクリアしている。
だから問題は俺のほうだ。
「……」
「アル様は……どうしたいのですか?」
フィーネは静かに問いかけてくる。
どうしたいのか?
よくわからない。
二人についてきてほしいのも本心だし、二人を巻き込みたくないのも本心だから。
「レオ様は皇帝としての道を歩み始めました。アル様の家族も帝国も……ある種救われたといえるでしょう。だから、今のアル様はどこか自暴自棄に見えます。すべてやり終えたから、あとは自分が消えるだけだ、と。それでアル様は満足かもしれませんが……私たちはそれで満足できません」
「そうよ! すべて終わったなら……これからでしょ!? すべきことがあるならすればいいわ。アルがするべきだと思ったなら、それはやるべきことなんだと思う。けど、それはすべきことで、アルがしたいことじゃないはず! 少しは我儘になって! 家族のためのあとは、世界のためになんて……あんまりだわ」
エルナの言葉はもっともだ。
もっともだからこそ。
返す言葉がない。
「あなたは確かに皇子であり、SS級冒険者で、世界を救った英雄です……。皇子として帝国に居場所はないかもしれません。けど……あなたの居場所はそこだけですか? 皇子でもなく、冒険者でもなく、ただのアル様としていられた場所がありませんでしたか? わからないなら教えます! 此処です! 私たちの傍があなたの居場所です! そうして見せます! 私たちがあなたの止まり木になりますから!」
鳥はずっと飛んではいられない。
羽を休める場所が必要だ。
それになるとフィーネは告げた。
それはスッと胸に落ちる言葉で、いつだってフィーネは正道。
正しさを見失わないのだ、と思い出させられる。
わかっている。
ガイに言われるまでもなく。
俺が間違っていて、フィーネが正しい。
二人には覚悟がある。
覚悟がないのは俺のほうだ……。
「俺は……今の俺は……魔力を失っている。宝玉がなければ魔法を使えない。完全に出涸らし状態。正真正銘、〝出涸らし皇子〟だ。今までは〝ある〟ものを〝ない〟ように見せてきた。けれど、これからは〝ない〟ものを〝ある〟ように見せることになる。どっちの暗躍が難しいかなんて、わかり切っている。二人はそれでいいのか……?」
恐る恐る、二人に問いかける。
感じているのは恐怖。
力を失った俺では頼りにならない。
だから、俺は拒絶や失望を恐れている。
それでも問いかけたのは。
ガイが一人になるな、と言ったから。
「そんなことで悩んでいたの!? 私はあなたが魔法を使えるようになる前から幼馴染なのよ! あなたの魔力が失われたからって、何も変わらないわ!」
「私も変わりません。領地にいた私がついてきたのは、あなたが皇子だからでも、SS級冒険者だからでもありません。家族想いなあなたに惹かれたからついてきたんです……! 魔導師としてのあなたは、あなたの一側面です。力があなたのすべてなら……あなたの傍に人は集まりませんでした。あなたの中に力以外の魅力がたくさんあったから、あなたの周りに人は集まったんです。アル様は……アル様です! それに……価値があるからあなたの傍にいたいと願っているんじゃありません! あなたの傍にいたくて、傍にいることが幸せだから、傍にいたいんです! 私たちが価値を感じるなら……それはあなたとの思い出やこれからの未来です!」
価値があるから傍にいるわけじゃない。
傍にいることで価値が生じる。
欠かせない何かになる。
そんなフィーネの言葉に少し驚きを受けていると、エルナが告げた。
「アル……聖剣を失った私は価値がない?」
「そんなわけないだろ……」
「それと一緒よ。聖剣に価値があるわけじゃない。私は私。何かが欠けたとしても、それは揺るがないわ。私はいつだってあなたの騎士だった。そうであろうとしてきた。あなたが困ったら、私がすぐに駆け付ける。あなたが苦しかったら、私がすぐに駆けつける。あなたが楽しくても……私はすぐに駆け付ける。どんなこともあなたと共有したい。あなたの笑顔がみたい、みていたい。それで……その理由が私でありたい。それが叶うなら……私はどんな困難でも斬り裂いて見せるわ!」
二人の腕を掴む力が強くなる。
きっと。
俺はとても情けないんだろう。
二人は真摯に俺と向き合おうとしている。
なのに、俺はどうしても二人と向き合えない。
わかっているさ。
大切だから巻き込みたくない気持ちがあるからだ。
けれど。
それは俺の都合なのだろう。
人には人それぞれの考えがある。
俺は二人を巻き込みたくない。
だけど、二人の未来には俺がいる。俺と共にいる未来を二人は描いている。
それなら。
「……魔力がなくなった出涸らし皇子……これからする暗躍は厄介極まりなくて……世界の抑止力として動かなきゃいけない。足だって不自由だし、皇子でもなくなるし、冒険者でもなくなる。俺は……ただのアルノルトになる。それでも……」
「いつだって私はただのアル様の下にいました!」
「あなたが何者になる前から、私はずっとそばにいたでしょ!」
「………」
二人に追い打ちをかけられて。
思わず苦笑する。
覚悟を決めるときなんだろう。
幼い頃、皇子としての地位がバレたとき。
友人たちは離れていった。
残ったのはガイだけ。
何も言わず友人として接してくれた。
それはガイが優しかったから。
けれど、俺はその優しさに甘えた。
俺がすべきことはそうじゃなかったはずだ。
俺には誰かを言葉で縛る勇気がなかった。責任を取る覚悟がなかった。
友達でいてくれ、離れないでくれと、どうしても言えなかった。
今、二人は傍にいたいと言ってくれている。
それでも。
俺は言うべきなのだ。
覚悟を決めて。
「……傍にいてほしい。どれだけ大変でも……離れないでほしい。ずっと、いつまでも……」
俺の言葉にフィーネとエルナは目を見開く。
それは俺の限界で。
精一杯の言葉だった。
それが二人にとって満足できるものかはわからなかったけれど。
「はい!」
「うん!」
二人は笑顔で了承してくれた。
そして。
二人が俺の手に自分の手を重ねる。
苦笑しながら、俺は歩き出す。
不自由な右足のほうは、エルナが支えてくれた。
そのまま道場を出ると。
「――大きめの馬車をご用意して正解ですな」
セバスが馬車を用意して待機していた。
こいつは……まったく。
「英雄の帰還に帝都は湧きたっています。騒ぎになる前に帝都を出ましょう」
「なるほど。それじゃあすぐに出してくれ」
「それと、アルノルト様」
「なんだ?」
「両手に花ですな」
「うるさい、さっさと出せ」
くだらないことを言ってくるセバスに対して、俺はそう告げると馬車に乗り込む。
そんな中、ふとフィーネが思い出したように告げた。
「そういえばアル様。アル様に爵位を与えるという話が出ていました」
「爵位?」
「勇爵家と一緒よ。特別な爵位を与えて、帝国に留まってもらおうって話なの」
「そういうことか……」
「そうですな。それについて、アルノルト様、レオナルト様から手紙を預かっております。引き出しに入っておりますよ」
セバスの言葉に従い、馬車の中の引き出しを開く。
そこには小さな手紙が入っていた。
けれど、そこには皇帝の印と皇太子の印が押されていた。
公的な文章ということだ。
開けてみると。
「皇太子レオナルトの名において、アルノルト・レークス・アードラーを銀爵に任じる。領地は皇帝領の一部。一代限りの特例として、皇帝と同等の特権を与えるものとする、か。大盤振る舞いだな」
「どうされますかな?」
「……極秘裏なら引き受けると言っておけ。暗躍するにも拠点は必要だからな」
「それじゃあ意味ないんじゃないのかしら?」
「いいんだよ。普段は存在が知られていない上位の貴族。暗躍するにはぴったりだ。嫌なら引き受けない」
「陛下やレオ様は困るでしょうね」
クスクスとフィーネは笑う。
そうだ。
大々的に宣伝できない以上、帝国の抑止力にはならない。
いざというとき、皇帝のために動いてくれる保証もない。
それでも与えたいというなら、貰ってやってもいい。
銀爵の身分があったほうが動きやすいのは事実だが、敬われるのも面倒だ。なにより表立って銀爵なんて身分を受けたら、勇爵家の二の舞になる。俺は自分の血筋を大事に残させる気なんてない。
だから欲しいのは身分だけ。
その他の煩わしさはごめんだ。
「貰ったほうが色々とご都合がよいかと思いますが?」
「何が言いたい?」
「妻を複数娶れるのは皇帝の特権ですからな。今のアルノルト様には必要では?」
「……どうせレオはそこを見越して、俺の条件を飲むさ」
「兄想いの弟君をもって幸せですな」
「まったくだ」
そんなセバスとの会話の後。
俺はふと外を見た。
フォーゲル大陸中央部を支配するアードラシア帝国。
黄金の鷲をシンボルにかかげ、大陸三強の一つに数えられる強国である。その帝都・ヴィルトは今日もおおいに栄えていた。
そんな帝都から一台の馬車が出ていく。
「さて……これからは暗躍の時間だ」
俺の言葉にフィーネとエルナは笑顔で応じる。
そんな二人に俺も笑顔を返す。
俺はもう皇子でもなく、冒険者でもない。
それでも。
――出涸らしの暗躍は終わらない。
完
とういうわけで、本日をもって出涸らし皇子は完結となります。
五年間のご愛読に感謝申し上げます。
まだまだ気になることがたくさんあるかと思います。
後日談を書けたら書こうと思いますので、それをお待ちいただければ(-_-;)
ここまでこれたのは読んでくださる皆さんのおかげです。
読んでくださるから書き続けることができました。
心から感謝申し上げます。
読んでくださる皆さんがいるから、作者は頑張れます。
どうか出涸らし皇子が終わったあとも、楽しいと思える作品を皆さんが見つけてくれることを願っております。
読んでくれることが至上の喜びでした。
出涸らし皇子は完結しますが、これからも新しい作品を書いていこうと思います。
その時、またお会いできたら嬉しく思います。
未熟な僕は皆さんに育てていただけました。
改めまして、ありがとうございました。
最後までお付き合い頂き、感謝申し上げます。
では、またどこかでお会いしましょう。
タンバでした。




