第七百五十六話 とある人物
「それはこっちに、それはあっちに。来賓たちの状況は逐一確認して」
帝都ではレオナルトとレティシア、ラインフェルトとリーゼロッテの結婚式の準備が進んでいた。
その指揮を執っていたのは北部より駆けつけたシャルロッテだった。
「申し訳ありません、ツヴァイク侯爵。本来なら来賓であるあなたに裏方を任せてしまって……」
「宰相は当日の主役の一人ですから。誰かが裏方をする必要があります。私に任せてください」
申し訳なさそうなラインフェルトに対して、シャルロッテはそう笑顔で答えた。
そして、ラインフェルトの背を押してその場から退散させる。
「宰相は宰相でやることが山積みのはずです。それを済ませてきてください」
「で、ですが……」
反論を受け付けず、シャルロッテはその場からラインフェルトを追い出した。
まだ結婚式の準備は始まったばかり。
しかし、時間はない。
急ピッチで準備を進める必要がある。
「当日の警護体勢の確認を」
「ツヴァイク侯爵閣下、要請していたネルべ・リッターの出撃ですが、ほかの任務があると断られまして……」
「そのほかの任務を別の部隊に回して、と言いなさい」
「ですが……」
「警護はどれだけ分厚くても足りないの。皇太子と宰相の結婚なのよ? ネルべ・リッターの出撃を再度、要請しなさい」
「無茶を言わないでください……今のネルべ・リッターは帝国軍の枠を抜けた独立部隊。彼らは彼らの判断で行動します。こちらの要請が通らないということは、彼らなりに重要な案件ということです」
「それでも、よ」
シャルロッテの圧に負けて、説明に来た文官は肩を落として退散していく。
今度はネルべ・リッターから無理だと跳ね返されるだろうと予想しながら。
シャルロッテとしてもそうだろうとはだいたい予想できた。
けれど、用意できる最高の戦力を用意しなければいけないのがシャルロッテの立場でもあった。
帝国の近衛騎士がいる場で襲撃を考える者は少ないだろうが、考えるようなものはイカレているうえに実力がある。
そういう者に対応するために、シャルロッテは最高の戦力を求めているのだ。
「シャルロッテさん」
「これはミツバ様……」
指揮を執るシャルロッテを訪ねてきたのは、ミツバだった。
皇太子の母であり、上位の妃が軒並み命を落としたため、現在では皇后に準じる立場。
恭しく一礼するが、すぐにミツバがそれをやめさせる。
「そういうのは必要ないわ。作業の様子を見に来たの。必要なものはないかしら?」
「今のところは順調です。ただ、戦力にやや不安があるのと、服飾関係の仕事が遅れています」
「そうなのね……私の侍女を何人か回しておくわ。彼女たちなら服のことにも詳しいわ」
今のミツバは帝国最高位の女性だ。
その周りを固める侍女たちも一級品。
その侍女たちを貸してもらえるなら、遅れを取り戻せるだろう。
「感謝します、ミツバ様」
「いいのよ、息子の結婚式だもの。なにか困ったことがあったら声をかけてちょうだいね」
「はい、ありがとうございます」
ミツバを見送り、シャルロッテは一息つく。
あれから三年。
帝国は復興した。
けれど、まだ足りない。
また力を一つにして、頑張るぞ、という雰囲気を作り出すために。
この結婚式は失敗できないのだ。
■■■
「遅れてしまいますですわ! トラウゴット陛下!!」
藩国。
帝国皇太子の結婚式に向かうために出発準備をしていたトラウゴットだが、ウィリアムからの伝令を受けてから藩国で何かを待ち続けていた。
護衛隊長を務めるミアは、そんなトラウゴットを急かす。
「こうなったら力ずくで……」
「ミアさん、落ち着いて……何か考えることがおありのようですから」
「マリアンヌ王妃……でも、このままじゃ私が怒られてしまいますですわ!! あの陰険外務大臣から、絶対に安全に連れてくるようにって脅されているんですの!! 言わなくても安全に連れて行きますですわ!! このっ! このっ!!」
思い出してきて怒りが再燃したのか、送られてきた手紙をミアは何度も壁に投げつけ始めた。
差出人の名前は帝国外務大臣、ヴィンフリート。
温厚な皇太子とは真逆で、性格に難のあるヴィンフリートは外交問題には向いていないように思えるが、現在各国の王たちは一癖も二癖もあるため、ヴィンフリートが適任ということで任命された。
思ったことははっきり言うタイプのため、ミアのような人物にはあまり好かれない。
とはいえ、帝国外務大臣として正式に出した書状がこんな扱いを受けるとは思っていないだろうな、とマリアンヌは思いつつ、ミアをなだめる。
「落ち着いてください。余裕を持った予定にしてありますし、多少遅れても問題ありませんよ」
「それは、そうですが……さすがに弟の結婚式に遅れていくのは問題があるのでは……?」
「まぁ、そうですね……」
マリアンヌは苦笑しながら、トラウゴットを見つめる。
何も言わず、トラウゴットはじっと海を見ていた。
何かを待っているのは間違いない。
けれど、何を待っているのか。
それはマリアンヌにもわからなかった。
そんな時、トラウゴットの視線に一隻の帆船が入ってきた。
連合王国からの帆船。
国王直下の船であることを示す、黒船だ。
それを見て、トラウゴットはすぐさま立ち上がる。
「来た!! ミア隊長! 馬車の準備を!」
「は、はいですわ!」
「あなた……何を待っていたのですか?」
「知らせを受けたときは信じられなかったでありますが……本当なら大変なことであります……それこそ大陸規模で……だからこそ、ここで話が漏れるわけにはいかないでありますよ……」
「どういうことですか?」
「大事なレオナルトの結婚式……違う話題で上書きするわけにはいかないであります。とはいえ、行かないという手もない……困った話であります」
話がつかめない。
ただ、マリアンヌはそれ以上、何も聞かなかった。
喋っているトラウゴットがなぜか嬉しそうだったからだ。
だから、何も聞かない。
悪いことじゃなければ、それでいいのだ。
この三年、こんなに嬉しそうな顔は見たことがなかった。
「馬車の準備ができましたですわ!」
「それでは港へ! なるべく騒ぎにならないように!」
「そ、それは難しいですわ……国王用の馬車ですから……」
「目立ちたくないならほかの馬車にすればよいのでは?」
「用意はできますが……あまりしたくないというか……」
「すぐに用意を」
「わかりましたですわ……」
せっかく急いで国王用の馬車を用意したのに……。
肩を落としながらミアは別の馬車を用意しにかかる。
性能はもちろん、防御力も国王用の馬車のほうがいい。
警護のリスクを減らすなら、国王用の馬車を使うべきだ。
それでも、ミアは否とは言わなかった。
藩国をよりよくしようとする、トラウゴットとマリアンヌ。
二人の力になりたくて、今、二人の傍にいるからだ。
その後、トラウゴット一行は、港にて〝とある人物〟を回収し、そのまま帝都への旅に出たのだった。




