第七百二十三話 厄介なアードラー
「ゴルド・アードラーを転移させ、ウェパルを討たせにいったか……」
帝剣城。
そこでヴィルヘルムは肩を震わせていた。
アードラーの危険性は誰よりもわかっていた。
血を守り、磨きぬいてきた一族。
才に溢れ、傑物揃いの一族。
しかし、一番危険なのはその精神性。
たかが人間。
たかが大国の皇族。
にもかかわらず、大陸の未来をすべて自分たちで背負おうとする傲慢さ。
そして、それを成し遂げる実行力。
自分たちは尊いのだ、と誇示するのは誰でもできる。
しかし、尊いからこそ責務があると重荷を背負うことは誰にでもできることではない。
しかも数年、数十年ではない。
数百年間、大真面目にそれをやってきた一族。
自らが国を、民を、人類を守る者であると自負し、誇りにしてきた者たち。
注意していた。
警戒していた。
恐れていた。
それでも。
「やってくれたな!! エリク!!!!」
怒号。
ヴィルヘルムは叫ぶ。
完全にやられた。
ゴルド・アードラーを召喚してくる可能性は考慮していた。
けれど、それを魔界に転移させるとは思っていなかった。
できるとは思わなかったのだ。
ゴルド・アードラーを召喚し、どうやって自分の命を狙ってくるか。考えていたのはそれだけだった。
しかし、鷲は自分を通り越して、背後の巣に襲い掛かった。
大事なものを失った。
失ってしまった。
あらゆる計略には保険がある。
第一の作戦が駄目なら、第二の作戦が。
第二の作戦が駄目なら、第三の作戦が。
そして必ず最終作戦が存在する。
そこまで追い込まれたらほぼ負けではあるが、それでも引き分けに近い状態にまで持っていく作戦。
使いたくはないが、それでも用意しておくのが当たり前。
ヴィルヘルムにとってそれは〝魔界への撤退〟だった。
ウェパルの病毒の権能は人類を蝕んでいる。
ならば、時間をかければ人類はそのうち弱体化するだろう。
勇者もいない、SS級冒険者もいない。
それならば侵略も容易だろう。
だが、それはウェパルの病毒に頼るだけ。ウェパルに主導権を握られてしまう。
さらに肉体を失ったダンタリオンにとって、魔界に帰るのはリスクのある選択肢だった。
ただ、人類には負けない。最終ラインがそこだった。
時間をかければ勝てる。
それをわかっていて、ヴィルヘルムは動いた。それは勝てると踏んだから。そして最終的に〝負けない〟とわかっていたから。
その前提をエリクによって崩された。
魔界からウェパルの気配が消え去った。
それを感じて、ヴィルヘルムは顔を歪める。
「五百年前もそうだった……いつもいつも……厄介なことだな!! アードラー!!!!」
五百年。
待ち続けた。
必ず勝機が来ると信じて。
暗躍し続けた。
待つことにつかれ始めた頃、ようやく見えた勝ち筋。
すべて上手くいくはずだった。
厄介なアードラーの数は減らした。
帝国は弱体化し、大陸の戦力はアスモデウスによって削られるはずだった。
けれど、帝国は底力を見せつけ、大陸の最強戦力たちは健在。
まともな反抗戦力がなく、帝国の乗っ取りがスムーズだったなら門を開くのも待てた。
だが、門を開かざるをえなかった。
結界を過信するほど馬鹿ではない。
いずれ突破される。
だから、門を開いた。
戦力を整える必要があった。
悪魔にとって大陸への進出は〝遠征〟だ。
常に戦力確保の問題に晒される。
すべてを解決できるのが門を開くこと。
この門さえあれば、悪魔をいくらでも呼び集められる。
その代わり。
大陸側からでも魔界に攻撃できる。
そのリスクは承知だった。
それでも門を開いたのは人類側の戦力をしっかり把握しているつもりだったから。
魔界に直接乗り込み、ウェパルを殺せる可能性がある者は皆、結界の外へ追いやった。
逆転の一手は起こりえない。
可能性ですら潰したはずだった。
「読み違えた……この私が……」
五百年前、ダンタリオンは魔王に撤退を進言した。
そして粛清された。
それでもダンタリオンの意見は変わらなかった。
辛くも生き残りながら、ダンタリオンは思い続けた。
人類を甘く見るから負けるのだ、と。
自分は人類の脅威をよく理解していた。戦力を把握していた。
自分の意見を聞いていれば、魔王軍は負けなかった。
自分ならば。
頭によぎるのは魔王の言葉。
撤退を進言するダンタリオンに対して魔王は告げた。
『――撤退などして何が楽しい? なにより撤退して勝てる保証は? 人類と悪魔は違う種なのだ。奴らが我々を理解できんように、我々も奴らを理解できん。考え、読もうとすること自体が間違いだ。ならば、好きなようにやるまで。次に撤退を口にすればその命、ないと思え』
魔王にとって大陸への侵攻は愉悦。暇つぶしでしかなかった。
参謀として魔王軍の作戦を担当していたダンタリオンを粛清したのも、自分の意に反したから。
勝ち負けなどどうでもよかった。
自分が楽しいかどうか、それだけだった。
王とは呼べない。
今になって魔王の言葉を思い出すのは、魔王の言葉が本質を突いていたから。
それでも。
「私は……奴とは違う……!」
計略は破れた。
けれど、安全策がなくなっただけ。
「私は……この地を悪魔のものとすると決めたのだ……総力戦がお望みならば受けて立とう……! 奴のようで好みではないが、力で屈服させるまで!!」
ヴィルヘルムはそう告げると深く息を吐いた。悠長に計略を練ることができたのは、負けない作戦があったから。
もはやそれには頼れない。
ここで決着をつける必要がある。
これより先、今より有利な盤面はやってこない。
ゆえに。
ダンタリオンはヴィルヘルムという仮面を外すと決めたのだった。
■■■
「進め!!」
帝都の目前。
帝都を守る最後の守備軍。
それらとレオたちは交戦していた。
ヴィルヘルムを信望し、狂信する人間たち。
権能によって狂わされているだけ。
わかっていても邪魔するならば斬るしかない。
前線で指揮を取りつつ剣を振るうレオは、眉をひそめながら、帝都を守る最後の軍を突破しようとしていた。
そんなレオの姿を見ながら、フィーネは静かに目を伏せた。
「降伏勧告にも応じませんでしたね……」
「彼らは彼らの正義を信じているのでしょうな。仕方ありません」
守備軍を構成するのは帝国の者たちだ。
軍人もいれば騎士もいる。
志願兵もいるだろう。
ヴィルヘルムを信じている者たちだ。
そこに違和感を覚えない者たち。
だからレオだろうと、皇帝だろうと。
ヴィルヘルムに敵対している者は敵なのだ。
「帝都の中にいる方々は無事でしょうか……」
「結界に包まれている以上、偵察もままなりません。考えるだけ無駄でしょう」
セバスの言葉にフィーネは静かにため息を吐いた。
戦いは終わらない。
否、戦いすら始まっていない。
これは茶番だ。
人と人。
帝国と帝国。
本来の敵は悪魔であるが、その前の茶番。
仕組まれたことであり、避けることができなかった。
西部諸侯連合軍が結成されるにあたり、フィーネはあえて軍に同行した。
見届ける義務があると思ったからだ。
この戦いを。
「せめて……流れる血が少ないことを祈ることしかできませんね。私には力がありません……」
「フィーネ様が同行しているだけで西部諸侯の士気は上がっております」
「贅沢な悩みかもしれませんが……今は士気をあげるよりも、流れる血を少なくする力が欲しいと願ってしまいます。私が戦場に出られるほど強ければ……」
「ないものねだりですな。それにフィーネ様が戦場に出たとしても、流れる血は変わらないでしょう。フィーネ様がお斬りになるか、ほかの者が斬るか。それだけの違いです。血は流れるのです」
「……そうですね」
達観しているセバスの言葉を聞き、フィーネは空を見上げる。
帝都の空には気味の悪い門が開いている。いつ、あそこから悪魔が出てきてもおかしくはない。ゆえに連合軍は帝都に攻め入るしかない。
守護神鳥であるゴルド・アードラーは現れ、そして消え去った。
どこかに転移したのだろうと予想はできた。
ではどこに?
おそらく魔界だろう。
人類を蝕む病毒。
その根本を討ちにいったのだ。
「結果はわかりませんが……ゴルド・アードラーが病毒の権能を持つ悪魔を討ったなら……それを喜ぶ私がいます。私は嫌な女でしょうか?」
「当たり前の反応かと」
「……病毒がアル様を蝕むことはなかった。エルナ様を蝕むことはなかった。ミツバ様の命は助かった。その事実に……私は喜んでいる。それと引き換えにアル様の家族が命を落としたというのに……」
「私も喜ばしいと思っています。大切な人たちが無事なのだと喜ぶことが悪いこととは思いませんな。フィーネ様はお優しいからこそ……アルノルト様のことを考えておられるのでしょう。家族の死にあの方がどれほどショックを受けるのか、よくわかっているから。ですが、心配は無用でしょう。皇后陛下や宰相の死を知った時、フィーネ様が傍におられた。そして今はきっとエルナ様がおられる。それならば大丈夫だと私は断言できます。一人ではないならば、きっと大丈夫でしょう」
「……そうですね。エルナ様を信じましょう」
どれほどアルノルトが沈もうと。
エルナは叱咤して立ち上がらせるだろう。
それならば。
自分がすべきことは一つだけ。
「信じましょう。アル様が来ることを」
戦いは終わらない。
根本を討たない限りは。
そして討つべき力は自分にはない。
ならば祈るしかない。
〝彼ら〟が間に合うことを。




