第六百九十五話 貧乏くじ
皇国。
皇太孫エフィムは本陣にて手汗をかいていた。
間近で行われる戦争に恐怖したからではない。
あまりに味方が強すぎるからだ。
帝国東部国境守備軍・三万。
リーゼが率いてきた兵力だ。
さらにエフィムに加担する貴族の兵力・三万。
一方、皇都周辺を抑えたグリゴリーは十万もの兵力でエフィムの討伐に乗り出した。
グリゴリーは皇国の実力者であり、若輩のエフィムと違って協力する者も多い。
最大の後ろ盾であった皇王が失脚した今、正式な後継者であるエフィムといえど兵力が集まらないのだ。
ゆえにエフィムは長年の仇敵といえる帝国に助けを求めた。それも皇国の侵攻を阻んできた帝国の姫将軍、リーゼに。
そうでもしなければ勝ち目がなかった。
だが。
十万対六万。
それでも勝ち目は薄い戦いになる。
覚悟の上でエフィムはグリゴリーとの決戦に望んだ。
いくつかリーゼは援軍を出す際に条件を出していた。
一つ、早期決戦で決着をつけること。
一つ、全軍の指揮を自分に預けること。
一つ、決戦後、皇都周辺の領地はエフィムが自力で抑えること。
つまり、リーゼは決戦でグリゴリーを破ることを前提として、エフィムと取引をした。
「これが姫将軍……アードラー最強の将軍……」
帝国東部国境にリーゼが入る前から、皇国は幾度もリーゼと交戦していた。
そのせいか、エフィムに協力した貴族たちはすんなりとリーゼの言うことを聞いていた。
皇国西部の貴族たちは幾度もリーゼと戦っており、その恐ろしさは身に染みている。
敵であれば恐ろしいことこの上ないが、味方であればこれほど頼もしいことはない。
指示を聞いていれば、勝ち戦。
そんな雰囲気が貴族たちにはあった。
指揮の一本化。
他国同士の連合軍。しかも仮想敵国同士。
一致団結が難しい状況で、リーゼは自慢のカリスマと実績でそれを成し遂げてしまっていた。
ゆえに。
「敵軍左翼壊滅! 敗走を開始! お味方はそのまま中央本陣までなだれ込んでいきます!!」
「いいぞ! さすが姫将軍!」
「勝ちましたな! 殿下!!」
側近たちは沸き上がるが、エフィムはとても喜べる気分ではなかった。
あっさりした勝利。
敵は数こそいたが、烏合の衆であり、多少劣勢になっただけで敗走する貴族がでる始末。
さらに各貴族が勝手に動いており、指揮系統がバラバラだった。
統一した動きをするこちらが負ける要素はない。
戦場で指揮を執る将帥の重要性が良く理解できる戦いだった。
そのうえで、エフィムは静かに息を吐いた。
リーゼが出した条件の最後。
それは五年間の休戦。
相互不可侵の条約を結べ、というものだった。
皇国も帝国も立て直しは必須。どちらにも得がある条約だ。
だが、今のエフィムにはその五年という長さが不服だった。
「あんな一族とは十年、二十年、戦いたくはない……」
老いて死ぬまで待てないものか?
しかし、あの女が老いればまた若い皇族が台頭してくる。
だからこそ、戦うならば弱体化した瞬間。
帝国がもっとも混乱する時期。
それが五年だ。
それは封じられた。長くもなく、短くもない。
助けてもらったのに条約を破れば、他国はもちろん国内の貴族からも反発されるだろう。それは指揮に従う貴族たちを見ればわかる。
人を魅了する一族。
心服させ、取り込み、国を拡大してきた鷲の一族。
黄金の鷲の旗は常に輝いていた。
それは次々と傑物が生まれ、その輝きを陰らせることがなかったから。
こんな一族が治める国と隣同士というのは、不幸でしかない。
自分の祖父の偉大さを改めてエフィムは理解した。
この決戦が終われば、自分は皇王の地位につく。
祖父であるミハイルが生きていても、それは既定路線だ。
吐きそうなほど嫌だった。
何が楽しくて、このような貧乏くじを引かねばならないのか。
グリゴリーは馬鹿だ。
だから皇王の地位を求めた。
そして、それゆえに皇王の地位は継げなかった。
この国の王は慎重で、臆病でなければいけない。
虚勢を張り、内心では怯えながら。
隣に住む狂暴な鷲と渡り合わなければいけない。
自らが弱者であると理解していなければ。
この国の王は務まらない。
俯き、最悪な気分に浸っていたエフィムに対して、報告が入った。
「報告!! 反逆者グリゴリーを捕縛いたしました! いかがいたしましょうか!?」
「おお!」
「大手柄だ!」
喜ぶ側近たちを尻目に、エフィムは暗い感情をそのままに告げた。
どうせ結果は変わらない。
ならば、この形容しがたい苛立ちをぶつけさせてもらおう。
「殺せ」
「え? あ、で、殿下……?」
「殿下、処刑ならば日取りを決めて……」
「聞こえなかったのか? 殺せといったんだ。日取りは今日だ。今すぐ殺せ」
「で、では、本陣に連れてまいります……」
「やめろ、顔も見たくない。貴公らで確認し、確実に殺せ。結果だけ伝えてくれればそれでいい」
貧乏くじが大貧乏くじに化けた。
この国を引き継ぐだけでも貧乏くじなのに、向こうに利する条約も結ぶ羽目になった。
だから、苛立ちをこめてエフィムはグリゴリーを殺すことを命じた。
グリゴリーに協力者は多かった。しかし、信奉者は少ない。
殺したところで大した被害は出ない。
残酷だと思われようが構わない。
殺しておけば、対抗する者はいなくなる。
早く玉座につき、国力を回復させなければ。
「前線に出る!」
戦勝に沸く自軍に姿を見せるため、エフィムは馬に乗って前線へと向かった。
戦が終わったばかりで、周囲には山のように死体が転がっていた。
そのほとんどが敵軍だ。
そして皇国兵ばかり。
帝国兵の死体は数少ない。
兵力で勝る敵に勝ち、かつ自分の兵の消耗も抑えた。
しかも。
「勝ちを祝いに来たか? エフィム殿下」
「……ご無事なようでなによりです。リーゼロッテ元帥」
リーゼは前線で指揮を執っていたのに無傷。
多少なりとも傷を負っていてくれれば、どれほど喜ばしかったか。
「心にもないことを。私に死んでいてほしかったのだろう?」
「そのようなことはありませんよ」
「取り繕う必要はない。皇国の王とはそういうものだ。姑息で臆病。常に利益を求めて動く」
とんでもない言い分にエフィムの側近たちは思わず、武器を構えようとする。
だが、エフィムはそれを手で制した。
「私は……元帥と条約を結んだ。それは今から有効だ。私の顔に泥を塗るつもりか?」
側近たちを睨みつけながら、エフィムは武器を下ろさせた。
それを見て、リーゼは不敵に笑う。
「挑発に乗らず、常に自分たちが有利になるように立ち回る。自分が弱者であるとわかっているからこその行動だ。それゆえに――皇国は常に厄介だ」
リーゼは馬を進めてエフィムの横を通り過ぎていく。
そして。
「では、五年後に。エフィム陛下」
「……」
リーゼはそう言うと自軍をまとめて、撤退の準備に入った。
これよりは別行動。
リーゼは帝国に、エフィムは皇都周辺を抑えにいくことになる。
だが、エフィムの場合は消化試合だ。進軍するだけで皇都は門を開くだろう。
「……リーゼロッテ元帥はたしか独身だったな?」
「は、はぁ……そう伺っていますが……」
「婚約者などはいるのだろうか?」
「どうでしょうか……殿下、まさか……?」
「いないならば、わが妻に迎えたいが……そう簡単にはいかないか」
帝国最強の盾。
それをやすやすと渡すわけがない。
エフィムも早々に国内の問題を片付ける必要があったわけだが、リーゼとしても皇国の問題を片付ける必要があった。
こちらからリーゼとの婚約を条件につけておけばよかった。
劣勢であるゆえ、素直に交渉してしまった。ああいうときほど虚勢を張らねば。
さっそく自分の不手際を感じつつ、エフィムは皇都を取り戻しに向かったのだった。




